第87回(家=国家=小宇宙の神話以前・その39)
わっ、びっくりした。この場にいる誰もが女蚊様と風ちゃんの遣り取りを固唾を呑んで見守ってたものだから尚更です、声の出所はインターホン? そのスピーカーから突如聞き慣れない、澄んだ女性の声が飛び出してきたので驚いたのです。それにしても軌道修正マヌーバて。ちゃんと管制されてるですか、この未確認飛行物件。
「ぬぁ! そんなところにも無駄機能がっ」
風ちゃん頭を掻きむしり、
「必要だろう。例えばデブリを避ける時、黙って急制動をかけられたくはあるまい?」
女蚊様は落ち着いて反論します。ねぇ。デブリ言うなら、それはむしろおいらたちの方だよねぇ。
「シーケンスは全て正常に終了、当家はISSとのランデブーを開始しました」
と、またしてもインターホンのお姉さん。え? ISS? 風ちゃん一瞬白目剥きかけた、その仰け反った反動を利して常人ならざる振り向き動作を実現する、びとっと窓に張り付く。窓外では地球が再び昼の面・半球これ夏空のような輝きを見せています、いや見せているはずでした、今その眩しさを大きくわたしたちから遮るのは。左右に細長く伸びた胴体、その両端・上下に4枚ずつ、計16枚の長大な櫛の歯を並べ、中央付近により容積のある、中核と思しき構造物群を集めた。あーありゃあ写真で見たことあるですよ、まさにISS・国際宇宙ステーションだよね。うん。
「あっさり知られてもぅたぁぁぁぁぁぁ!!!」
風ちゃんはこの世の不幸を全てそこに凝縮させたかのような凄まじい表情で叫びます。
「い、いや。まだ見られてないかも知れぬ。ほらキューポラが拭き掃除中とか」
「おー。ISSからなんか伸びてきたぞ」
「ネットの配信で見たことあります…ロボットアームです…」
「意外と早く動くものなんだな…」
「ちょっと早すぎない?」
一方で、傍らの姐御さんとリンちゃんと小動物は普段通り、速やかに向かってくるロボットアームにも暢気なものです。そのまた隣の女神様は曖昧な苦笑いですネ。
「あ゛ーっ、こっち目掛けて伸ばしてるとか! 分かってやってるんですかISSの皆さん! 落ちてるものをほいほい拾っちゃ危な」
「ISSと当家の相対速度差、毎時1センチメートル。当家の3軸安定。当家はISSからのキャプチャ〔把持〕待ちです。アームの移動、残り1メートルで一時待機。GO/NOGO判断」
「え゛っ、こうのとり? 我が家こうのとり相当ですかっ!?」
一応拾うか否か判断入るみたいだから、違うんじゃないかしら?
「管制よりGO判断。当家はISSにキャプチャされます」
「だからおまいは何処の管制と話してるんどぁっっっ」
風ちゃんインターホンに迫ろうとしてつんのめった、あー把持された衝撃ですかね、それにしても新しいお家のどの辺に摑むところがあったのやら?
「お? お? お?」
俄に加速度が感じられ、風ちゃんのみならず他の者も慣性でよろめきます。おー、ぐいーんとISSに引き寄せられてるんだね。うん、でも。一体なんのために? しかも急速にISSが近付いてきてさすがに恐いのですが。
「ドッキングします。総員、対ショック・対閃光防御」
「なんだとぉ? 何が必要だ、とぉぉぉぉ!?」
どごーん、べきべきべき。窓辺にいた者は全員変顔をガラスに押し付け、舞える者は例外なく宙を舞い、落ちて床に重なり合う。あたたた、おねーさんこれはドッキングじゃなくって衝突、しかも宇宙空間では致命的な破壊音が聞こえたような気がしたのですが。
「いやー。ちょっとばかし荒っぽいが、素早いドッキングだったなー」
「類似のオペレーションを重ね、スタッフの方々の習熟度も上がってるんでしょう…」
「姐御。リンちゃん。もっともらしいことを言い続けるのはやめなさい」
曇り一つ無かった窓にべったりと顔脂の跡を残した風ちゃんが、きゃっきゃはしゃいでる女二人をたしなめます。するとぴんぽーん。おや。登場してから始めて、インターホンのお姉さんが本来の仕事をしましたね。
「誰が…誰が訪ねてきたというのだ…」
風ちゃんは顔を伏せわなわなと肩を震わせます。そりゃ普通に考えればねぇ。ほら、お客様をいつまでもお待たせしちゃ失礼だよ。
「あ、はい…」
インターホンに返事するのもそこそこに、代わってリンちゃんが玄関に向かいます。自然、みんなの目がリンちゃんの背中を追っかける。リンちゃんは足を突っかけにねじ込もうとする仕草を前進の力にも変え、もどかしげに扉に手をかけ、うん? かけようとして戸惑うようです、背伸びをし・屈み込み、右を覗き左を試し、暫くの間扉の前でおろおろしていましたが、
「あのぉ、風太さん。新しいお家のドア、どうやって開けるんでしょう…?」




