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第84回(家=国家=小宇宙の神話以前・その36)

 風ちゃんはまたちょっと状況を上手くいなせなかったようでして、平衡を失い始めても頑なにノブを握りしめたままだったが故にドアにしたたかおでこをぶつけ、その勢いで台所中央付近まで漂い出れば同じ様に平衡を失ってわたわたのたくってたメル変肉の海にごぶんと飲み込まれ、暫し嫌悪とも快楽ともつかぬ奇声を発しながらうねり締め付けてくる肉塊と何らかの遣り取りをし、遂にはなんの力も及ばずに在る水滴のよう、真球に収縮したメル変肉の海の僅かな隙間から穏やかに目を見開いた顔だけを覗かせ、ゆったりと虚空に漂ったのでした。そうなのです、わたしたちは皆、なんの前触れも無く浮き上がっていました。わたしたちを日頃から大地に縛り付ける軛、実はそれのなんとわたしたちを自由にしてくれていたことか。ふわふわと頼りなく虚空に漂う状況では、わたしたちは全く身の処し方を知りません。その軛であり自由の翼でもあった重力が、屋外の物音に続き、これも突如として消えてしまったかのようなのでした。

「おっと、すまん。それも必要だったな」

 驚愕・狼狽で一杯の頭の中の片隅に、そんな女蚊様の声が響きまし、とぅわーっ!! どどどどどどんがらがっしゃーん。な、なんですかなんですか、これもまた唐突に重力が復活したみたいな、思い掛けない無重量下での空中遊泳に困惑しながらも、しかし全員が健気に順応を模索し早い連中はある程度の移動法を確立し始めた頃合い、そんなタイミングで皆が皆いきなり床に落とされたのです。わっ。ただでさえ場は平静と混乱の境界線上で揺らいでました、そこをまたしても驚かされたのですから一気にパニック状態へと転がらない方がどうかしてるでしょう、落下の衝撃もまだその身に残響を残すだろうに、殆どのメル変どもは我先に立ち上がり・駆け出し始め、とにかくどこかへ逃げようと台所の出入り口に殺到したのです。ずどどどっおぅむぅぅぅぅんっ! 直後、ねっとりと重い轟音が鳴り渡る、家全体が軋み波打つ。嗚呼。集積して肉の海となり、時折荒ぶっていた大量に過ぎるメル変たち、彼らは確かに安息の地へと続く小さな門へ走ったはずでした、けれどそこで待ち構えていたは何故か壁、これは一体どうしたことか、集団恐慌にあった彼らが集団誤認を起こした訳で無いのはわたしたちにも分かります、だって客観冷静に考えたってそこには出入り口が無きゃおかしいんですから。我らメル変なら誰だって勝手を知りまくった風ちゃんの家、目をつぶってたってこんな悲劇は。そりゃもう投げ付けられた肉団子のようにべちゃっとね、その団子が一部屋を埋め尽くすほどの分量だったもんだから悲劇はより深刻に、さっきのほら、身の毛もよだつような粘っこく潰れる轟音からも推して知るべし。かように凄惨な光景が。しかし目前に広がらず。おいちょっと、激突して潰れたはずのあんたたち、なんだって無事で済んでる上にむしろ今まで以上に元気よく。なに? 我らの体は総じて魅惑の弾力に恵まれているだろう、壁で固着生活を営む連中もまたそうだろう、即ちメル変の王を悦ばすためだけに適応してきた我らのこの特質が我らを救ったろう、あー要するに天然のクッションが効いたってことね、更に我らその端倪すべからざる肉質により偶然にも適合的癒合を果たし候、今一個の生命体として新しい段階に瞠目・興奮つかまつり候。あーそれで殊更元気に、ってまじですかい。今まで肉の海とか比喩的には言ってきたけれど、ここでいよいよ本当の多種族フュージョンが。

「ここ、新しい家じゃんか…どういうことだよ…」

 一時のパニックによって肉滴の檻から解放されていた風ちゃんが、呆然とそんなことを呟きました。えっ、どゆこと?

「ドユコトナンデショウネー。ただ間違いなく言えるのは、ここが新居の台所だってことだ」

 風ちゃんの投げやりな言葉に慌てて見回せば、おおっ、そう言われれば確かに目新しくも見覚えのある間取り、旧宅の触ると落ちる塗りの壁とは違う滑らかな壁紙、隅々までピッカピカなんだけど家具ひとつ入ってなくがらんとした寂しい空間、これはまさについ先日の引き渡し時にもこの間の引っ越し準備でも風ちゃんにお供して参った、おいらたちの新しいお家ではないですか。なるほどね、ここが新居ならその間取りに不慣れな者共が大挙壁に殺到して、あー…煤ひとつついてない壁面を凹ましたり蜘蛛の巣状のひびを入れちゃったり、まぁそんな事故もあったりするよね、うん。

「女蚊…あんた、新しいお家になんてことしてくれんの」

 おいらたちの指摘でその事故と被害に気付いたらしく顎を落っことしてる風ちゃんに代わって、女神様が眉間を押さえつつ非難します。

「私の奇跡自体は無害かつ完璧だったろう? なんなら確認してみろ、卦好家一同、動けぬ者も小さき者も、まったくもって欠員はあるまい」

 ふぅむ。女蚊様に促されてなんとなく意識してみましたが、今まではおいらたちの言葉の網にかかってたのにここへ来て一切言語化されなくなった、その様な家人は、少なくともこの家内部に限った大雑把なスキャンでは確かに居ないようです。え、ってことは。引っ越し問題、あっさり解決?

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