第79回(家=国家=小宇宙の神話以前・その31)
「あの、お話を伺っていて、どうしても気になることが出てきてしまって…」
リンちゃんが、女神様と女蚊様を交互に見ながら遠慮がちに切り出します。
「先ず、女蚊様は女神様の血をお吸いになった、それはよろしいでしょうか…?」
「ああ、吸ったぞ。なかなか美味な上にちょろいものだから、たっぷりとな」
「と、言うことは…」
「ん!?」
リンちゃんは質問の核心を言いかけていたのだと思います、そこで風ちゃんが突然声を上げたものですから皆の視線がひゅっと集中しました、見れば袖を摑む立場が逆に、今度は風ちゃんが女神様を押し止める格好になっています。
「今逃げようとしたな、さっきは人を摑まえといて。何を考えてる」
「べべ別にあーやあーや怪しくなど。くぁ⤴神を疑うとは、しし失敬だなキミィ」
突然の訥弁、THE小物社長然とした物言いに振る舞い、俄に蓄えられるちょび髭・平衡を保つかのようにすだれ状になる頭髪。女神様の挙動不審ってゆーか反応不審は、しかしこれらにとどめを刺す訳ではありません、そもそも普段の女神様ならこんな時すかさず相手の目を覗き込んで光子弾を、ずっと秘めてたと言わんばかりの好意を変調された光に載せて相手に打ち込む、更に側に居て欲しいの? とか効果的な言霊も添えちゃって、打ち込んだそれを相手の胸できゅんと炸裂させるのが常なのです、要は我らが夫を手玉に取るのがこの場合の正しい女神様であるはずなのですが、これはもう語るに落ちたとしか言い様の無い不自然さですネ。で、リンちゃんは何言いかけてたの?
「はい…つまり、女蚊様が神化されたのは、女神様の血が原因じゃないのかと…」
「はは、多分に英雄叙事詩的な仮説だね」
「男、『的』でも無ければ仮説でもないぞ。その娘の賢さを見習ってから物を言え」
「…え?」
あれ、風ちゃん正味その発想は無かった! って様子ですね。でもここに居る連中の大概はその可能性に薄々気付いていて、けれど口にするのは己の厨二を吐露するよう、なんとなく気恥ずかしくて黙ってただけなのですが。
「待てお前ら、それが仮説じゃないなら大事だろっ! ねぇエレ様、蚊に刺されるの、勿論今回が初めてじゃないよね?」
「え? そんなことはそれはそのぅ、無い? 無くも無くぅ、有ろうか! いや無い、えっと。うん。無きにしも非ず?」
「どうした、オリジナル。さっきから何をうろたえている?」
女蚊様は意地の悪そうな笑みを女神様に向けて、そうお伝えするのは何も脳内に響く声の調子から察したんじゃないんです、そもそも見えるんですよ、今も空中に漂う女蚊様の点の如きお姿、目で捉え脳で判断されるスケールはそのままに、あたかもセル画を重ねるよう、人のこぶし大もあろうかという女蚊様のお姿もまた同空間同座標を占め同時的にそこに在り、だからその両複眼がにぃっと細められているのが嫌でも分かるのです、ああ蚊の目玉蚊の目玉、そは珍味中の珍味とか。なるほどね、うん。確かに珍しいものではあるよね、笑ウ複眼とか。
「むぅ、偶然神様になったようなのが生意気な。あるよ! あります!」
「うん、当然そうだよな」
風ちゃん重々しく頷けば、今の威勢も何処へやら、女神様の瞳孔は再び開きかけます。
「で、その蚊はどうなったんだ? 無論仕留めたよな? 野に放ったりしてないよな、繁殖させたりしてないよな、物理的には今見た通り、化学的な手段でも死なないであろうこんなとんでもない羽虫を」
…あ。
「…いや。それこそ、結果は推して知るべしなんじゃないか?」
「宇宙船ガイア号が蚊族に委ねられる確率って、計算出来るんでしょうか…」
「ううっ。だってさ!」
姐御さんとリンちゃんが嫌ぁねぇって感じで女神様をちらちら見ながら囁き合うに及び女神様は遂にいたたまれなくなったのです、身を捩り地団駄踏んで、幼子のように言い募り始めました。
「エレちゃんの血にそんな効能があるのってエレちゃんのせいじゃないし! 蚊がエレちゃんの血を吸うのだってエレちゃんのせいじゃないしぃ! それを何よ、みんなエレちゃんのせいにしてぇ。ずるいよっ、意地悪だよっ」
「まぁ確かに女神の与り知らぬところは多々あるな。しかし、自分の血にそんな効能があること自体は知っていたであろう、ならば常時我が身に加護を施すなりなんなり、神ならばいくらでも防ぎようがあったのではないか?」




