第67回(家=国家=小宇宙の神話以前・その19)
「うちの女神様の性癖のことなら、どうか触れずにいてやってくれ」
風ちゃんは耐え難いといった様子で女神様からも姐御さんからも顔を背け、悲痛な声で応じます。
「いや、あれはエレナさんがどうこうじゃないだろう。壁や床から何かが凄い速さで出たり引っ込んだりしてるぞ。それをなんだって聞いてるんだ」
おお、姐御さんあれが見えたのですか、個々の視覚体験を個が処理し得るのと同じ時間で分析・補完・統合、結果的に全体的動体視力でもってものを見られるボクらとは違い、姐御さんが個に固執した動体視力しか持たぬのは言うまでもありません、それでもあれを視認出来たというのなら、姐御さんの目もなかなか侮りがたいものがありますネ。まぁ、一つだけうるさいことを申し上げれば、出たり引っ込んだりしてるのは壁や床からじゃなくて、そこに密集して生きるメル変どもからなのですが。
「まあね。壁から生えてるカメレオンの目玉とかな」
姐御さんが苦笑しながら指摘したのは、固着した円筒形胴体の上半分、ドーム状になった部分を四方八方くりくりくりくり動かしてるメル変っ子です。そいつなら確かにカメレオンの目で言えば瞳孔に当たる部分から、捕食器を伸ばしたり引っ込めたりしてますね。
「あの、メル変たちの間に半ば埋もれてて、ちょっと開いてる二枚貝みたく見える奴、あれもだろ?」
仰る通りで。
「うーん…あのさ、捕食器とか言うのがびゅんびゅんいってるだけじゃない、ってことはあり得る?」
姐御さんはコロニーをじっと見たままで聞いてきます。あり得まっせ。
「ちっちゃい虫みたいな連中が、高速で行ったり来たりもしてる?」
はいな、俄には信じ難いのも良く分かりますが。直角に向かい合った壁の間をぴょんこぴょんこ、1秒間で数十回往復してる忙しないメル変どもがいるですよ。
「そんなスピードでエレナさんにぶつかっちゃって、大丈夫なのかよ」
むしろ女神様の方が心配ですかねー。ああいう連中は、ちゃんとそういう生活に進化適応してますし。
「そっか…そういうのと比べて、鳥の羽みたいなのを揺らしてる連中はのどかだな。水の中でゆらゆらしてるみたいだ」
ウミユリやウミシダの仲間を思わせるそれらメル変っ子は、姐御さんが和んだようにまったく大気の海深くで静かに揺らぐようです、柔軟な柄状の器官にあるいは長く、あるいは短い、細毛のような捕食器を密に生やし、時折その細毛1本1本が動物っぽい動きを示します。捕まえにいくばかりが能じゃないってね。待ち伏せ派の連中だよ。
「…うっ。ごほごほっ。げーほげほげほっ。うっ」
姐御さんとボクらがコロニーの住人について更に意見交換を進めようとした矢先です、風ちゃんが突然胸を押さえ激しく咳き込み始めたのです。え、今度は風ちゃんが苦しみ始めて。やだなんなの、今日に限ってあの人やらこの症状やら次から次へと。
「なんだ風太。摘み食いでもして、横っちょいったか」
姐御さんは風ちゃんの背をさすってやり、冗談めかして言ったのですが、
「ううっ」
それを聞いた途端、風ちゃん益々苦しそう。姐御さんの表情が引き締まります。
「マジか? それとも喉につかえてるのか?」
「いや違うんだ…姐御さ、捕食器って聞いて」
「え?」
「や、奴ら、何処から何を捕まえて食ってると思う?」
風ちゃんは喉をゼエゼエ鳴らして必死に息を整えようとしながらも、一方ではあまり呼吸を、特に吸気をしたくない、そんな感じでふーぅ(⤵)ひっ(↑)ふーぅ(⤵)ひっ(↑)ふーぅ(⤵)ひっ(↑)、不自然な息の仕方を繰り返しておりまして、その行為に伴って脂汗の滲んだ顔を赤くしたり青ざめさせたり、おっと、ちょっとよろめいたり。あのね風ちゃん、その様子だと多分あのことを思い出したんだろうけど。でも変だよ、当家住環境におけるその点ならとっくの昔にアセス承認済みのクリアな事柄、それをなんだって急に風ちゃんだけ意識しだすのかな、かな? ほら、もっと深く息を吸って吸って吸ってー、そぉんな遠慮なさらずにもっと鼻孔を押っ広げて。はぁい、たんまりとぉー。
「なんの話だ?」
首を傾げる姐御さんへ向かって風ちゃんは口をぱくぱく、けれどその喉からはぴす、ぱす、ぷ、そんな弱々しくもまぬけな呼気の漏れる音しか出てきません。ふふ。風ちゃんもう肺が空っぽなんでしょ。だからほら、吸って吸って吸ってー。鼻・口同時に活用し! 皮膚も隅々まで押っ広げてぇー。
「…我が家の空気中にはね、そこにもメル変どもが巣食ってるんだよ」




