第65回(家=国家=小宇宙の神話以前・その17)
「あ…シーツ汚れちゃう…」
数瞬、己と己の腰のみの世界に隠れていた風ちゃんだったから、姐御さんに聞き返すのは仕方のないことでした。でも今度は姐御さんの方が己と何かのみの世界に隠れてしまったようです、物問いたげな風ちゃんを置いてもぞもぞ体を動かしています。暫くして姐御さんはそれまでお尻をぺたんと敷布につけていた座り方を改め、きちんと正座して風ちゃんと向き合いました、表情もぐずる幼子のような頼りないそれからきりっと、お、姐御さんやっといつもの調子が出てきましたか、と思ったのも束の間、また直ぐにくちゅっとたわいなく表情を歪めて、むずかるような顔付きになってしまいます。うー。うー。なにやら小さく唸りながら体を揺らしてますネ。で、ようやっと風ちゃんと目を合わせまして。
「あのさ…近くにコンビニ、あったかな…?」
「え? 通りに出たとこにあるけど…なんか必要なの?」
「ん…」
姐御さんはこくんと頷きつつ、再び他人事のように体を動かし始めます。もそもそ。
「新しいパンツ、買ってくゆ…」
「ぶっ」
風ちゃんは噴いた反動で仰け反り、ボクたちは唖然とした。そして互いが鏡像のように見交わせば個々独立に発生したはずの疑念はたちまち同じ確信として共有されているのだ、即ちこの者、姐御さんとは似て非なる者である。ボクたちと見詰め合う風ちゃんの目に真剣味が増し、増して、ぅあっこ、これって誓い、あなたが両耳から長すぎちゃったこよりを引っこ抜きながらじゃなかったらもっと深くハートを穿たれてたの、互いの成功を祈りつつボクら同時に作戦行動に移るのです。姐御さん、姐御さん、コンビニ行くならなんか適当に飲み物買ってきて、これお財布ー。そう言ってボクらが膝の上に押し出した表裏一体っ子を姐御さんは疑う素振りも見せずに手に取って抱えます、そしてベッドから下りようと先ず縁に座る、一呼吸の間をあけてよっと立ち上が
「あーーーーーーーーっっ!!」
ればその瞬間、風ちゃんが密かに差し招き位置取りさせたは穴メル変、姐御さんはまたしても彼のパッシブ・ブラックホールへと、穴は食らい付かず・吸い寄せず・飲み込みもせずただ落とすのみ、ボッシュゥゥゥゥト! と相成ったのでした。はっはー、姐御さん良い旅を。大きくなって帰ってこいよー ノシ
「バカ! ボッシュートにされたんじゃ、帰ってこれないだろっっ!!」
「姐御、おけぇり。やーっと戻ってこれたみたいだな。色んな意味で」
風ちゃんが屈託無くにかっと笑いかければ姐御さんは打たれたように身を竦め。左手に抱えてた表裏一体っ子を、思わず床に取り落としたのでした。表裏一体っ子は猫よりもしなやかに身を捻り無事着地…ん? いや待て、あんた表裏一体だろう即ちどちらを下に着地しても腹背両用、いや背に腹は替えられる、ええいだから風ちゃんの脚にそのどっちだかを擦り付けてじゃれるんじゃないわよっ。
「えっ。私、確かに落ちて…あれ? なんで??」
「なーんだ。姐御、まだ気付いてなかったの?」
今度は比喩として突然地面がなくなってしまったかのように激しくうろたえ始めた姐御さんに向かい、風ちゃんは再びきらっといい笑顔。そして頻りにズボンの裾を引っ張ってくる表裏一体っ子をひょいと持ち上げ、きらきら笑顔倍率ドン、更に倍。
「こいつだよ。表裏一体と一緒に落ちれば穴の入り口はまた出口、それ自明でしょ?」
おお、世界の全てが輝く白に沈んでいきます、我らが心も夫との閨も、内も外も、分け隔てず遍く照らす。そは、そは…
「いたーい」
真理の光、ではなくって、風ちゃんの両の目から飛び散った火花だったみたいです。うずくまった風ちゃんが両手で抱えるその頭、指の隙間からはなにやら漫画的な様子で白煙が立ちのぼります。ぷすぷす。
「お前って奴ぁ…私を助けるって、んな怪しげな理屈で…っ」
「怪しげとは失敬な」
やっぱり漫画的に固めた右拳から白煙を立ちのぼらせる姐御さんへ異を唱えん、風ちゃん涙目噴血何のその、勇ましくすっくと立ち上がり。あ、けど。普通に立ちくらみしたみたい、よろめいて机に手をつきます。
「お、思い付きなんかじゃないんだぞ。俺自身、以前身をもって経験してだな…」
まー夜毎添い寝されてるお人だもん、そりゃ一度や二度は落ちるよねー。
「お前、よく身がもってるな…」
風ちゃんの言に偽りなし、姐御さんも最早当家の事情を見聞き体験した身なんだから理性でも感性でもそれは否定のしようがありません、故に完全に毒気を抜かれた、いやむしろ驚嘆と尊敬、そしてうーん、恥じらいなのかな? とにかく色んなものが入り交じってるらしい眼差しで風ちゃんを見るのでした。




