第63回(家=国家=小宇宙の神話以前・その15)
「あーーーーーーーーっっ!!」
悲痛な励ましを投げかけ階下の電話へと走ろうとする風ちゃん、でも足を一歩大きく踏み出した途端にぱぴゅっと両耳から小さく血を吹いて崩れ落ちた、風ちゃんの励ましも悲鳴と大差ない大声だったのですがそれを容易に蒸発させる大絶叫、風ちゃんをひゅんと貫く疎密の高エネルギーが突如姐御さんの口から射出されたのです、ぎょぎょっ。姐御さんホントどうしちゃったの今度はまるで自らばらばらになりたいみたい、体の各所に加えられる負荷は力の大きさについても可動域についても一見して人体の限界を超えてしまいそうです、特に引き絞った弓の如くの背の反らせようはそれがため体重を一手に引き受けることになった首、こちらはまったく装飾的な意匠の弓筈です、くるんと小さく丸まったそれ同様いつへし折れるかと思わせる危うさです。ところで、姐御さんはこの時もなお女神様を上にのっけているのです、身中で暴れ回る何らかの激しさを一刻も早く追い出してしまいたい、先程の絶叫はその一端でしょう、けれど我が身を襲う異変に耐えるのに時としてきつく閉じねばならぬのも口であり、ならば一層心情の訴えは身体に委ねられる、よって口を真一文字に引き結び・超力招来人体安全の制御弁を吹っ飛ばし、女神様を、気を失って脱力した成人女性一人を軽々持ち上げてしまうのは圧巻ですが、ヤバイやめて、見る者をうろたえさせる決死のブリッジを敢行するのです。女神様はと言えば、首回りを万力で締め付けられてるのは相変わらず、弛緩した胴体は姐御さんの弓なりに素直に添い、両脚は人体橋の一方を支えるためずれ落ちた姐御さんの両踵に足首を押さえつけられぴんと伸びて、うーん、こうなるとだらりと下がった両腕が邪魔ですネ、要するにほぼ文句のつけようのない “へ” です。ふむ、お二人どちらの表現も身体を用いたそれへの可能性に気付かせてくれる何かを持つとボクらには感じられます、けどひとたび造形という観点から見れば例えば地元商店街の中になんの脈絡も無く現れる類のなんてぇかこう、芸術ってやっぱ難しい、突き放された気分にさせられる、そんな忘れた頃に出くわす孤高さみたいなのが前面に出てるようですね。とまれ、二身一体の芸術は一見オブジェとしての静止を、実際には内に次への展開を含みこむと思われる疑似静止を、数分にわたり持続します。がくがく。おぉ、お二人の体が再び震え始めました、けれど今度のは燃え尽きなんいざ・生命今一瞬の最大光輝、とか、激しすぎるあまりそんな文句が頭をよぎっちゃった先程のびくんびくんよりはずっと穏やかです、単に長時間全開を強いられたから遂に姐御さんの筋肉が不平を漏らし始めた、その程度の震えです。人体橋落ちるー落ちるー落ちるー、人体橋お、ぺしゃん。その美しい橋はあっけなく落ちました、もっともその美しさは人体脊柱の可動域を極めん! 極めんっ! 極っめっ! きっわっ、めっ! …! あいたたたた想像するだけで腰痛くなりそう、とにかくエッジが効きすぎていた感がありましたから、早晩露と消える運命にはあったのです。落ちる橋は重心が高かったためか途中でくるんと横向きになりどすっとベッドを揺らします、二身一体橋は解体、女神様はその衝撃に小さな呻き声一つ漏らさないのですが、姐御さんはぽんと喉奥の栓を抜いて、実際その短く急な呼気が契機になったのか肺に溜まりに溜まってたらしい空気が速やかに流れ出ていくのです、そうして一度肺を空っぽにした後は体をゆっくりと仰向けて、新鮮な空気を貪り、時折喉に引っかけては咳き込み、とにかく胸を激しく上下させるのです。んむ。ちょっと憔悴はしているようですが呼吸は次第に安定するようだし顔色も正常に戻りつつあります、姐御さんは危地を脱したのです。ん? そう言ってみて改めて気付く、そも姐御さんを襲った症状とはなんぞや? それがはっきりしない以上は脱したとか言い切っちゃいけないような気がしなくもなく。ふむん。
「うっ…あれ、なんで床に寝て…? ん? あー、あー。なんだ、音が聞こえ辛いぞ? あーっ、あーっ」
あ、風ちゃんも気が付いた、相談しようそうしよう。ねーねー、風ちゃん。姐御さんなんだけどね。
「あっ! あぅあーっ! あ? そうだっ、姐御だ! 救急車呼んだか!?」
うあうあ、風ちゃん声が大きいってば。それがさ、普通には戻ったっぽいんだけど、やっぱ救急車呼んだ方がいいかな?
「んー?」
聞こえがどうしても気になるのか両の耳に代わる代わる小指を差し込んではぐりぐりしてた風ちゃん、足下が覚束ないながらもようやく立ち上がり、何の気なしに抜いた小指に目を遣るのですが付着してた血糊にたじろいで、慌ててティッシュに手を伸ばし、指先を拭う、こよりを二本作って両耳に詰める、ようやく姐御さんの傍らに膝をつきました。そして恐る恐る姐御さんの肩をゆさゆさ。長すぎちゃったこよりはゆらゆら。
「姐御。姐御」
風ちゃんは相手の様子を見ながら慎重に呼びかけてます。すると程なくして、姐御さんがうっすらと両目を開いたのです。まるで先程の再現のようですが、今の姐御さんの目はまだ光が弱々しいものの単なる像の受け皿ではありません、明らかに対象を結像すると同時にそれに見合った感情の揺らぎをも送り返して、つまり自分が見詰めるものが風ちゃんだと確かに理解しています。風ちゃんはその理解に励まされ、今度はもう少し強めに姐御さんに呼びかけます。長すぎちゃったこよりは益々ゆらゆら。
「姐御、俺が分かるか。分かるなら返事をしてくれ」




