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第54回(家=国家=小宇宙の神話以前・その6)

「例えば…そう」

 一盛りの動かない文字群は両の掌に。吹き上げられては沈み、攪拌され、再び舞い上がる、動揺し続ける文字群には絶えず顔をなぶられながら、姐御さんは先程の言葉を繰り返します。う。能面の如き無表情、その目は正味無限遠を見詰め。うん。コワイ。

「念じて写せば人の胸の内にも姿を変える…そう考えてよろしゅうですね?」

 姐御さん、無表情の中に口の端を僅かに上げるだけの変化を添え。そうですか、鏡メル変は姐御さんの胸中に渦巻くあれやこれやに変身したのだったですか。あ。いま “潰” って見えた。“殺” とかも。うふふ。あ、いやその。姐御さんの言わず語りはボクらの胸にもずしんと響き。だからその、お、落ち着きませんか。ここ風ちゃんの家。言わば殿中。ごごご了承。

「まったく…ちょっと悪戯が過ぎると思うぞ」

 姐御さんは溜息をつくとあっさりいつもの調子に戻って、どうやら己の今の変身に自家中毒を起こしてるらしく、体の上半分では未だ盛んに大量の文字群を渦巻かせながら、下半分ではぴくぴく痙攣している鏡メル変をそっと枕の上に戻します。

「でも、これで心構えが出来て良かったよ。うっかり他の子たちにも驚かされちゃうところだったからな」

 身を起こした姐御さんは、そう言って呆れた様子で風ちゃん愛用のベッドを指し、

「風太の代わりにベッドを占拠してるこの連中、要するにみんなそのメル変っ子ってやつなんだろ?」

 あい、その通りでございます。いやしかし、ボクらには見慣れた光景とはいえ毎度毎度こいつらは。いやね、姐御さんが仰るように、実はボクらが踏み込んだその最初から、風ちゃんの姿はベッドの上に無かったのですよ。でも踏み込む前、姐御さんは引き戸越しに風ちゃんの生体リズムを察知してたでしょ? 結論から言えばここに齟齬は無く姐御さんのセンシング技術も確かであったと立証されるのです、即ち風ちゃんのベッドで眠りこけているこれら大量のメル変どもが、ボクたちが踏み込むのに先立つ数時間、風ちゃんに寄り添って寝ていたがためにシンクロ率何%だかなんだか、風ちゃんに高度に同調して、容姿や性格といった要素を捨象した単純な生体としてはまさに風ちゃんとして生きていたもんだから、姐御さんも不可抗力的に勘違いしたってことなのです。こいつらが風ちゃんにひっついてたってのもベッドの上の今の状態を見れば明らかですよ、メル変どもの連なりが綺麗に人型、そこに寝ていたのであろう風ちゃん全身の輪郭を、調べがあった後の如くくっきり再現してますからね。メル変っ子を惑わせるのに風ちゃんの温もり以上のものはありません、そこで夜毎意図せずとも風ちゃんの寝床に潜り込んじゃうメル変っ子が後を絶たないのですが、それを指摘しても別にボクたち嫉妬したりはしませんよ、だってこの行為って場合によっちゃ命に関わることなんだから。風ちゃんの周縁に密集して様々なバイタルサイン、風ちゃんの鼓動とか息遣いとか発汗の度合いとか、そういったものを受け取りながら深い眠りに落ち、そんな状況下で一時的にでも眠りによって己を失ってしまうのが原因らしいとは言われていますが、とにかく最もシンプルな “生きているもの” としては風ちゃんと一致する。この間、メル変っ子たちはまさに仙境に遊ぶが如し心持ちとお思いでしょう、そうかもしれません、気持ちよろしゅうてやがて果てん、それがホントに気持ちいいままで済むならね。だって考えてみてくださいよ、生体として風ちゃんになっちゃうってことは、脈搏とか代謝の速さとか、生存継続上それぞれの生きものにそれぞれ丁度良いレベルが定まってる大事な基礎の諸々までが、風ちゃん=人間にとっては都合の良い、けれど他のメル変っ子には危険かもしれないレベルに、強制的に変化させられちゃうってことなんですから。ほら、嫉妬とか言ってる場合じゃなくなってきただしょ。鏡メル変みたいな、己の肉体に元素置換なんか施しちゃっても平気で生きていられるような種はタフなんだろうけど、中には環境の変化に繊細なメル変っ子も当然いて、そんな連中が外部どころか内部環境の激変なんか経験した日にゃ堪ったもんじゃありません。事実、夜毎多くのメル変っ子たちが風ちゃん=メル変の王の寝姿に抗いがたく誘い込まれては、ある者は苦悶のあとを残し、ある者は安らかに眠りに入ったそのまま、徒におのが花弁を散らしているのです。ん。花弁を散らす。花と散る。ま、いっか。ところで、今一度メル変どもが描いた風ちゃんの寝姿の線画を見るに、その結節点、即ち両内腿が胴体に接続する彼の一点において特に死屍累々、こんもり円錐状に徒花たちが山を築くようなのは、別に何かのメタファーでもなんでもありません。風ちゃんの温もりが誘うというなら外気からは陰になる一層のホットポイントにメル変どももより惹かれやすい、ただの自然現象にてございます。ええ、だから。だからですね、そこに何かの意図を読み取ることは。出来ないんですよー、さっきからそこに熱視線を送っちゃってる、あ・ね・ご・さん。

「えっ! ああ、うん。た、確かに顕示的だよな。美しい円錐形」

 腐腐っ。

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