第41回(なんにも穿かずに失礼してます・その8)
「見直したぞ風太。記憶を飛ばしながら、良く戦ったな」
「本当に…二方面からの呪詛を、まったく寄せ付けませんでした…」
小動物が呆れ顔でなんか言ってますが、風ちゃんは俯くために折り曲げるその首の深さにやはり尋常でない意志を表して、小動物を視界の外に置くようです。姐御さん、リンちゃんと共に、わたしたちも風ちゃんを讃える輪の中に。と思うのだけれど、ふふ、あなた方を戦友と呼んだのが、素晴らしく過去に感じられるのは何故かしら。
「メル変は皆独りで生まれ…一人が風ちゃんと土になれるんだな…」
「ゆりかごから墓場まで例外なくぼっちで行けよ。俺には構うな」
風ちゃんが怒気を帯びた声で抗議すると共に、それまでは感情に応じどれだけ自由闊達に動こうとも、上げられることだけは決して無く小動物を視界の外へ追い出し続けていたその頭が、遂にむくむくむくっともたげられ始めたのでした。しかしなんか段階的ってゆーか、少しずつ膨らんでいく風船を見るような不自然なもたげ方ですネ。そう思うと、今や風ちゃんの額や首筋のそこここに浮き上がり脈を打っている血管群から、ある仮説を引き出したくなります。即ち彼は実際に、筋力に頼らず、満ちるものが押し上げ・広げる、その力によって自身の頭・頸部をもたげつつあるのではないか? いやまさか。いやしかし。そんなことを言ってる間にも風ちゃんの首から上の肌は益々赤黒く、顔の輪郭はいよいよふっくらつやつや、首は所々に瘤を生じつつなおも肥大し続ける。いやあの。こ、恋人よ我に帰れ。風ちゃん、こう言っちゃなんだけどその姿はちょっと。愛しづらいよ、元通りになれないかな。
「こ、これ以上はないってほのめかしに…ボクもう…蕩けそうなんだな…」
害獣よ猟師の銃前へ帰れ! まったくこの四つ足ぁそもそもが見苦しくて我慢なんねってぇのに更に精神汚染レベルを引き上げやがって、もぞもぞと尻尾を風ちゃんの方へ向けたと思ったらな・ん・だその横座りはしなでも作ってるつもりかべらぼうめ。ぐっ。しかしきゃつの両眼は。普段から対象をやる気無く映すに過ぎなかった、じめじめぶよぶよした紛い物だったはずなのに。そこに今、始めて自我が火花と散るような。こ、これは。きゃつの血が滾り、ゴゴゴとかコマ隅に書き込まれようとしている!? 熱血? えー。まさかの男塾? えー。
「にぶちんがラッキースケベを呼ぶとか…パターンに負けたみたいで、その点、ちょっと抵抗はあるけどな…」
「やれんのか。似非塾長」
なんか両側から女二人に頭を支えてもらいつつ、風ちゃんはせっせとオープンフィンガーグローブを装着しています。
「ボクはさっき、入り口を開かずの鉄扉としたんだな…風ちゃんへの愛を、完璧に証明するために…」
「ぜぇんぜん噛み合わない試合になりそうだねぇ」
「それはそれで見所あると思うよ」
女神様が軽く苦笑いしながら戦前予想すれば、姐御さんは風ちゃんにお冷やを含ませつつ楽しそうに応じます。ぶっ。ぶはは。男の中の男たち、出てこいや! ドラゴンゲートに風ちゃん! 男の中の女たち、出てこいや! 総受けゲートに小動物。こんな異種過ぎる格闘技戦には期待出来ないって? ご冗談でしょう物理学者さん、だって風ちゃんへの愛を騙るあの小動物が、その風ちゃんによってしづめられようとしてるんですから。ぷくく。ぷっ、ぷひゅっ。やだ、あんまり愉快すぎて鼻から変なお汁、が。…う。ずるずるずる。あれ、なんか急に悪寒が。ちょ、体が勝手に、震え、だして。あわわわ、この震えは半端ないっす、肉じゃなくて魂が震えてるみたいっす。わっ。風ちゃんたちの席のテーブルの上を、いきなり黒猫が横切って行った! 飲食店の中に猫が居るて。いやそもそも何故、突然黒猫が。
「そうなんだな…風ちゃんは、ボクというリングの門番だったんだな…」
その、熱に浮かされたような小動物の呟きが引き金となって、横座りした両後肢の上になっていた一方、きゃつの左後肢だけが、ゆっくり・じりじりと持ち上がり始めたようなのでした。なぬ。とゆーことは。きゃつの行為の意味する所を悟った者は皆一様に眉を顰めます、けれど目を逸らしたり制止したりすることは何故か誰にも出来なくって。のろくものろく、いかにも不自然な様子で持ち上げられていくきゃつの左後肢の動きに、全員が暗示をかけられてしまったかのようでした。
「さあ門番よ、入り口の鉄扉を押し開き…ボクとガチンコで、た、戦うんだな…」
小動物のこの一言の裏にはまたしても胸の悪くなる嫌らしさがたっぷりと煮込まれていたのですが、その不快素が脳の然るべき場所に届くことはありませんでした、ほんの一瞬の差で、目から急行してきた驚愕素がそんな不快などあっけなく粉砕してしまったからです。小動物の両後肢は、遂にご開帳と相成りまして。
「ぶっぉっふぉあわぁ!?」
風ちゃんは一気に全呼気を脳天から噴出させて、激しく身を折りました。レバーにでもきつい一撃を貰ったか。




