第3回(女神様は彼と遊ぶ・その3)
けどね風ちゃん。真に気を取られるべき事実は、実はそれじゃないと思うの。ずっと下向いて力んでたり缶の陰になってたりで、風ちゃんがソレに気付けないのもまあ仕方がないけどさ。周りで経緯を見守っていたあたしたちは当然事の始まりからソレに気付いてたんだけど、すみません、事を楽しむ振りをして実はソレの取り扱いについて牽制しあってますた。でももうこれ以上引っ張れないから覚悟を決めてソレと向き合うよ。先ずソレとゆーのは、風ちゃんが缶缶と押しくらをやり始めたときから景色の一部分も横スクロールし始めた、その争えない事実のことです。一部分というは缶缶の風ちゃんが押すのとは向かい合いの面が底面になった四角柱の範囲を指し、けどこの四角柱、小さな底面積に比してどこまーでも延長されてるって感じです。なんとなればこのお部屋を横切り、窓を越え道を挟んだお向かいの家を貫いて、とにかく目の届かない遙か彼方までずっと延びてるみたいなのです。そして横スクロールというはその細なっがい範囲に含まれたありとある物や現象が、風ちゃんが缶を押せば缶に向かってするすると引き寄せられ、一息つくと停止するを繰り返してるってことで、風ちゃんと缶缶の激闘が続くにつれてそれはもう走馬燈のように、建築物や車、交通標識の一部と思われる街の欠片や、樹木や岩石らしきものの一部、時にはいろんな生きものの体の部分も見えたような気がしたけど、とにかくそういった様々な物の断片が、あるいは午前を思わせる明るい光の中に、あるいは明け方か日暮れか薄明の中にちりばめられ、滑るように移動してきては缶缶の風ちゃんが押すのとは向かい合いのその一面に吸い込まれ消えていくのです。現れては消え、それは何も目に見える物だけではなく、物音、あるいは空気の流れとそれが運ぶ寒暖やにおい、そんな諸々の事柄ももう次から次へと渦を巻いて、うひー五感が焼き切れるぅ。
なに風ちゃん空気とガチで押し合いっこしてるのきしょーいとか言ってました。風ちゃんの物言いにくふん、と乙な気分にもなりました。けどねー、一方では繰られ続ける断片的諸事物なんて変なもん経験させられて、もー風ちゃんこんな益体も無い事業からは撤退しようよー、それよりもあたしたちと遊ぼうよー、といい加減泣きも入りかけていたのです。その嘆きが驚きに転じたのは、他でもない繰られ続ける断片的諸事物の中に、良く見知った物を見付けたからでした。そりゃ良く見知ってるよね、このお部屋のお隣の、女神様部屋のインテリアの一部なんだもん。つまり例の細なっがい四角柱の範囲の中に、女神様ご愛用のアンティーク風物書き机の天板の一部、その上にあって側面がちょこっと四角柱の範囲外に消失している陶製の一輪挿し、何か活けてあるんだけど側面と一緒に花の部分も消失しててこれじゃ何の花だか分かりませんネ、水はこぼれてません。後は机とおそろいのアームチェアの背もたれが一切れ、箪笥も一部が切り出されて何段目かの引き出しの中身が丸見えだったりするんだけど、これは風ちゃんの教育上よろしくないから解説は控えよう。そして“うにゅ。そうだよ、風ちゃん”。あたしたちが今挙げたインテリアの断片諸々にあっと気が付いたのとほぼ同時に。女神様のその台詞が、女神様のお部屋の一部分、言わば風ちゃんのお部屋に嵌入してきているその飛び地から、明るく漏れ響いてきたのでした。更に更に。風ちゃんは未だ缶缶に、多分人としての尊厳とかそんなものを対抗心にくべちゃって余計燃え盛っちゃってるんだろうけど、より重々しく力を加え続け、しかし横スクロール現象そのものは、何故かぴたっとやんでいるのでした。
「んだば、タネを明かして進ぜよう」
嵌入する部屋の一部分を通じて女神様がそう告げてきたかと思うと、停止から一転、その断片的諸事物がこれまでよりも急な調子で繰られ始めました。すると、力み続ける風ちゃんも何故か突然前につんのめり、床からいい一発を右のテンプルに貰います。白目を剝いた最悪の硬直状態はしかし超人的な十数フレームで脱し痛いとこを押さえ亀の子状態でうずくまりました。その間も嵌入する女神様部屋はするする繰られ、繰られ続け、て? あれ、なんか今までと様子が違う。なんて言うんだろう、巻き取られてる磁気テープの磁気を塗った部分が終わって、何も塗られてないとこが出てきたみたいっていうのかな。嵌入してきていた女神様部屋の一部は、今の急調子ですっかり繰られてしまいました。けれどその後に何も続いてきません。これまでは後から後から新しく断片的諸事物が繰られてきて、途切れることなど知らなかったようなのに、ほんの小さな事物の欠片すらただの一つも流れてこなくなりました。ううん? なんか、流れ続ける断片的諸事物を経験し続けてたから感覚がおかしくなっちゃったのかな、今までそれらが流れ続けていた通路のような所が、ホントに磁気テープの記録できない部分と似てるって思えるお? あー、変なこと考えてる間に風ちゃんの無防備に晒された後頭部が危険なことになってる。風ちゃんが派手につんのめってからも暫くは虚空に留まってた缶缶ですが、やっぱり風ちゃんという一方の支え手を欠いたからでしょうか、ゆぅっくりと傾いたのちするんと自由落下。“ご”って。空き缶って言っても古はがきなんかが詰まった物だからそりゃ重いよねぇ。しかも角っこだったし。風ちゃん今度は後頭部を押さえ、声にならない声を上げて跳ね起きた。やだっ、洟がつーって床から風ちゃんのお顔まで橋を架けてっっ。今の後頭部への一撃で思わず噴いちゃったのぉ??
なんかもー肉体的にも対外的にも大変なことになってると思われる風ちゃんなんだけど、がばっと身を起こした後は何故か固まっちゃった。身悶えの最中に視線がさっきまで缶があった所をよぎったかと思うと、そのまま痛がる素振りも瞬きも忘れちゃったのです。今や風ちゃんの全身から感じられるのは極度の緊張感、緩かった周辺の空気をも強張らせるようです。風ちゃんははっと息を飲もうとして、鼻をずーっと啜ってしまいました。どうやら決定的な瞬間が訪れたようです。




