第23回(図書館の彼女と魔性少女・その6)
「…! ああっ、ふ、風太さん…」
お嬢さんの伏せがちだった目が驚きと共に風ちゃんを捉え、鈴の震えるような声が紅を引くまでもなく桜色に艶めく唇から吐息のように漏れたのでした。しっぽり。かと思ったら!
「ぎょっ!?」
風ちゃん仰け反った。たおやか然としたお嬢さんが、急に捕食者の光を双眸に宿し突進してきたから! ぴょんこっぴょんこっぴょんこっぴょんこっぴょんこっっ!!
「きゃうっ」
本日何度目かの見てる方が痛い光景ぱふぉーむどばぁいお嬢さん。やはり人型の脚はホッピング仕様のスズメのそれとは違っていたようで、てか気が逸って足が付いていかなかっただけなのかもしんないけど、お嬢さん思いっ切りコケなすった。しかも反射的にすら両手を出さず、こういうのって今時のお子様には仕様らしいですけどね、モロ顔面から。いやぁ。あの比類無き体勢美を見せ付けた完全三点倒立の成功者とこれが。同一人物とはとても思えないですネ。ぷくく。だがしかし、このような高い運動能力と鈍くささの同居がこの娘の自然だというのなら、たおやかな物腰の中に垣間見せる捕食者の迷いのなさもまた自然。まったく。やっぱ油断できないんだから、この娘は。
「これー……リンちゃんだよね?」
倒れ伏してぴくりとも動かないお嬢さんの、自分のよりもなお長くそれでいて先の先まで痛み一つ無い、姐御さん事あるごとにこの娘の髪を羨ましがってるもんね、自分も伸ばしてるからやっぱり人よりも興味あるのかな、今も主の細い背中を少しずつさらさら流れ落ちている濃緑の髪をしげしげと見詰めつつ、姐御さん珍しく歯切れが悪い。いやいやほら。全てにおいて遺漏無くいつものリンの介じゃないですか。
「姐御。またうちの困ったちゃんが増えちゃって、ほんとーに申し訳ないんだけど」
「ん? ああ、了解。あんたはブックトラックを頼むよ」
家主の風ちゃんが肯定したことでようやく記憶の中の彼女に目前の彼女を合致させることが出来たらしく、ならばこれは自分が普段妹のように可愛がってる娘っこ、早く助け起こしてやらねばなるめぇと、姐御さんは伏したまんまのリンちゃんを取り敢えず仰向けにしようと思ったのか、リンちゃんの体の下に両手を差し入れようとぞぞぞぞぞ。
「うひょーっ」
あらさっきの歯切れの悪さよりもっと珍しい。普段から何事にも動じない姐御さんが、こんな情けない悲鳴を上げるなんて。ついぞ聞いたことがありません。
「ん? っひょーっ」
一度は姐御さんに背を向けた風ちゃんですが、同僚の変な声に振り返ってみれば! そこに! 匍匐匍匐匍匐匍匐ぞぞぞぞぞーっ。急に息を吹き返したリンちゃんが再び剣呑な光を瞳に宿し、突発した両肘のコンパクトな回転運動は一度の空回りでがっと床石に噛みついて、あの娘の両肘は無限軌道! キャタピラー菱三つ! 床石を砕かんばかりの大馬力で匍匐急加速→匍匐疾走で風ちゃんに迫り始めたのです。タシカニコレハコワイヨ。でも風ちゃん大丈夫! その手の這いずる奴にはまさに肉を斬らせて骨を断ぁつ、足首に食らいついてきた所にストンピング一閃、半ば腐れた頭蓋を踏み砕いてやればいいのよ! ほら、上手くどっちかの脚だけを差し出して! ああん、違う! 両足タックルされてどーすんの!
「…ふぅたさぁん」
ん。ここまではまぁ悪夢・古今東西 remix vol.1 てな趣でした。匍匐疾走で追いすがる血まみれのっ! かつ自己拘束の跡ありっ! な女。けれど風ちゃんは、確かに両足首を抱え込まれそれでもなんとか倒れずに上手いことすとんとお尻を床に落とした所までは恐怖にいろんな穴が開いちゃってたらしいのですが、リンちゃんが自分の名を呼んだ、その本当に安心しきった調子を耳にしておやと思ったみたいです。リンちゃんは引き続き両手の力だけを使って、自然と両膝を立てる格好になった風ちゃんの脚をずりずり、両脛を抱え込むようにして這い上っていきます。その行為そのものは未だに恐く目に映る、けれど肌で感じ取ってみれば今のリンちゃんは無心によって動かされていて、瞳から1万ボルト級メガビーム一閃の状況だったあの凶暴性も今はすっかり止んでしまっています。風ちゃんもすがりつく少女が何をしたいのか、取り敢えず見守る姿勢に入った感じ。最後は風ちゃんの膝頭に両手をかけ、一気にぐいっと体を引き上げて、だから風ちゃんの方は膝に力を入れて踏ん張るんだけど、なんかその様が膝を割られまいと堪える。押し倒された。オイ小娘、狙ってやってるんじゃないでしょーね。しかしわたしたちから噴き出したどす黒いものは、その笑顔にしゃらんしゃらんと、そんなガラスの樹冠がそよ風に吹かれたような涼やかさを聞いたような気がします、あっさり無害化されてしまいます。リンちゃんは多分そうしたかったこと、風ちゃんの膝頭に自分の顎をちょこんとのせました。そして見る者が全く受け入れざるを得ない無技巧の自然さで、それは今リンちゃんが全てを信じ切っていて、何もかもを、わたしたち渾身のどす黒いものさえも無条件に受け入れられるからに外ならないのですが、にこぉっと微笑んだのでした。摑まえている人の存在を確かめるかのように、もう一度、聞こえるか聞こえないかの程度で風ちゃんの名を呼びます。呼び終わればいきなりこてんと。あら、また突っ伏しちゃった。
「…どうなったんだ?」
ようやく我に返ったらしく、姐御さんがひそひそ声で確認します。
「んー。気を失った…んじゃなくて、なんか寝ちゃったっぽい」
風ちゃんにならって覗き込んでみれば、確かにこのお嬢さん、無邪気に安らかな寝息を立ててるみたいです。ふんむぅ。さてご覧の通り、行動突飛・心理意味不、理を寄せ付けないような在り方も、あまりに夾雑物無きが故にそもそも理を必要としない在り方も、困ったことにどっちもリンちゃんの自然なんだよね。この摑み所のなさ過ぎさはある意味魔性。故に魔性少女。以下の連立方程式を解け:
(人体限界<インパクト)=総重量及びその配分がいかがわしくなったステッキ(1)
(危険から身を守る<期待)=極ミニ丈のスカート+その他要所要所のチラ露出(2)
(欲望<規制)=飛ぶ・跳ねる・転がる・仰ぎ見る≠見える(3)
(想定対象年齢<実年齢)=おっきなお友達(4)
解は言うまでもなく魔法少女ですネ、そんなんではなくて、リンちゃんは仲間内から“魔性少女”と呼ばれているのです。




