第1話 海の底
湿った海藻の寝床で、俺は手にした硬貨を眺めていた。
「ちょっと、ゼアン、またそんなもの眺めているの?
地上に憧れるのもいいけど、少しは仕事を手伝ってよね!」
透き通るような銀髪を揺らし、レイナは耳の裏にある水色のヒレを動かしていた。
「なんだよ……朝っぱらから……」
「地上探索者に憧れるのはいいけど、村の生活だって、かつかつなんだからね」
「ったく、ギャーギャーうるさい奴だな。
そんなんだから、嫁の貰い手がいないんだよ」
「なっ……い、いいもん……ゼアンがいるし……」
レイナのエメラルドの瞳がかすかに揺れた。
「あっ? なに、ゴニョゴニョ言ってんだよ。
聞こえねえよ」
「う、うるさい! ゼアンなんて、知らないっ!」
レイナは貝家から飛び出していった。
どのみち、資源は枯渇してきているんだ。
どの国も存在するかもわからない、地上の楽園を目指し、躍起になっている。
伝説の地上探索者――ザクト。
単独で上層海域五千メートルまで到達した英雄。
俺もいつかは彼のように……
五十という数字が刻まれた穴の空いた銀色の硬貨を握りしめる。
自由に泳げるってのに、俺たちは海底1万メートルで、怪物に怯えながら生活している。
他の奴らはそれで満足かもしれねえが、
俺は楽園とやらに到達して英雄になる!
.。o○
さてと、残存光量も充分溜まった。
うるさいレイナのために、朝飯でも狩るか……
貝家を飛び出すと、冷たい海水が膜装の隙間から肌を撫でた。
頭上には太陽の光すら届かない漆黒の海が広がっている。
遠くでは、巨大な生物の輪郭がぼんやりと発光していた。
うぅ……冷たっ!
もう少し着込めばよかった。
膜装一枚じゃ心もとないな。
瞳に光を灯すと、闇に沈んでいた海底の輪郭が浮かび上がる。
遠くの貝家から漏れる光も、海藻の揺らめきも、くっきりと見えた。
……ってなんか、揉めてないか?
漁に出た、レイナと数名の大人が、役人らしき男に絡まれている。
「おいっ! 今月の税は納めたのか?」
「……え、ええっ……間違いなく納めました」
レイナの親父さんが、両手をぶんぶん振る。
「貧しいカリナ村の連中が……貴様らの税収が滞ると俺の取り分も減るんだよ!」
「わ、私たちは、ちゃんと納めています!」
「最低限だろうが! もっと稼いで、納めろや!
……と、嬢ちゃん。品はねえが、見てくれは悪くないな。おい、こいつを1日、百パールで買い取ってもいいぞ?」
「な、それだけは勘弁してくだせえ……大事な一人娘なんです」
「あんたみたいな、薄汚い役人のところで働くぐらいなら、死んだほうがマシよ!」
レイナは役人に悪態をつく。
「てめぇ……!」
役人の腕からヒレが伸び長手の白い槍と化す。
「はぁ……ったく、なにを安っぽいやりとりをしてんだよ」
「な、なんだ貴様は?」
「ゼアン!」
「あぁ……ゼアンってあのチンピラの?」
「はいはい、俺がチンピラのゼアンだよ。役人さん、その女に百パールの価値もねぇぞ。うるせえからただで、持っていってくれ」
「失礼ね! 二百パールはあるわよ!」
いや、二百パールでいいのかよ。
「ごちゃごちゃとうるせえ奴だ。役人に逆らうとどうなるか知らねえわけでもないよな?」
中年の役人は槍をこちらに向ける。
「役人に逆らうものは死罪ってんだろ?
……だが、お前が俺を殺せたらの話だろ?」
「生意気なガキだ!」
男が、俺めがけて槍を突き出す!
水を蹴って半身をずらす。
槍が巻き起こした水流が、頬をかすめた。
右腕から伸びた蒼いヒレが手元に伸び剣を象り、迫る槍を弾き飛ばした。
「なっ……!」
そして、左腕からもヒレを伸ばし、双剣を役人に向ける。
「白髪に蒼い双剣……貴様、もしやエルギムの血筋……」
「やるか? 三枚におろしてやるぜ」
「くっ……」
役人は槍を納めて、下唇を噛む。
「貴様……後悔することになるぞ」
役人はお決まりの捨て台詞を残し、
あっさりと逃げ帰っていった。
「雑魚の癖に粋がんなよ」
「ゼアンの方がよっぽど、三下みたいなセリフだけどね」
「は、助けてやったんだ、感謝の一つぐらいしたらどうだ? 百パールのレイナさん!」
「なっ! 誰が百パールよ!
私はもっとお高い女なんだから!」
「はいはい……てか腹減ったわ。
とりあえず、帰ろうぜ」
「なら、助けてくれたお礼に焼き鯖を作ってあげるわよ!」
「おっ、いいねぇ~これは、いいお嫁さんになるな」
「……ったく、現金なやつね」
「ははは、ゼアンくん。いつも助けてくれてありがとう。君のお陰でこの村の治安は維持されているよ」
「俺はいつまでもこの村で燻るつもりはねえ……」
頭上には、どこまでも暗い海が広がっていた。
その遥か上を、巨大な魚影がゆっくりと横切っていく。
あの闇の向こうに、俺の知らない世界がある。
貝家が点在する漁村――カリナ村。
こんな、貧相な村にいたら……いつまでたっても地上探索者にはなれない。
俺は……いつか、首都アトランタを目指す。




