俺に心臓をくれた人
もちろん、確証は何もない。偶然何らかの別の理由で鈴風が母親の死因を明確に覚えていた可能性だって大いにあるだろう。
だからこうして鈴風に確認したのだが、間違っていなかったらしい。
「じゃ、じゃあ……。手紙、はあるか? その移植先、お前の母親の心臓を移植された相手から、臓器ネットワークの組織を通して渡された手紙は」
「はい。ありますが」
「その手紙、水色の便箋に入れられてて、白い罫線入りの紙で書かれていたりしないか?」
「確か、そうだったと思います。なんで諒さんがそんなことを知ってるんですか?」
俺はわななく口元を強引に動かして、次の言葉を発する。
「最初の一文は、『命をくれて、ありがとうございます』だったか?」
「諒さん……? え……?」
鈴風もようやくなにかに気づいたらしい。
「鈴風。その手紙、俺に見せてくれないか?」
鈴風は「は、はい。わかりました」と言って、二階に駆け上がる。しばらくして、かつて見たことのある便箋を持って、鈴風は降りてきた。
「どうですか……?」
鈴風は俺にその手紙を見せる。
そして俺は確信した。
これは、俺が書いた手紙だ。
間違いない。
俺に心臓を提供してくれたのは、鈴風の母親だったんだ。
この手紙が完全な証拠だ。
この手紙は、二年前、俺が書いたときのことをはっきり覚えてる。
「どういうことなんですか。もしかして、この手紙を書いたのが諒さんだとでも言うのですか?」
「そうだ。その通りだ。心臓移植を受けた後の俺が、これを書いたんだ」
鈴風は目を見開いた。「えっ、ええっ!?」と言葉にならない声をあげ続ける。
「長い話になる。聞いてくれ」
俺たちはリビングに移動し、食卓のテーブルの席につく。鈴風が紅茶を入れてくれた。
「それで、本当なんですか。お母さんから移植を受けたのが、諒さんだって」
鈴風の入れてくれた紅茶を一口すする。旨い。さすがあれだけ紅茶に自信を持っていただけのことはある。
「俺は実は幼少期から、先天性の心臓の病気を患っていたんだが……」
俺は以前持田に話したのと同じ内容を、鈴風に話す。
中学時代くらいまではずっと病院暮らしだったこと。
免疫が完全一致するドナーが奇跡的に見つかって、定期的に検診をしなければならないことと、運動能力が17歳の男にしては低めであることを除けば、極々普通の健常者となにも変わらない生活ができるようになったこと。
そしてもっとも大事なこと。
そのドナーこそが、鈴風の母親だということ。
「そんな……、馬鹿な」
「確かに信じられないような話だが、この手紙の文字は紛れもなく俺の筆跡だ。15歳の時に書いた、遺族への感謝の手紙だ。さすがにはっきりと、くっきりと覚えてる。疑う余地はない」
それを聞いて、鈴風はしばらく何やら考え事をしている様子を見せた。
そして、何かを思いついたように。
「諒さん、ちょっとこちら側に来てもらってもいいですか?」
「? なんだ?」
俺は立ち上がって鈴風が座っているテーブルの向こう側へ向かって歩く。鈴風も立ち上がり、そっと俺に抱き着く形で胸に耳をあててきた。
「どうした?」
「ちょっとだけ。ちょっとだけでいいんです。お母さんの心臓の音、聞かせてください」
鈴風は俺の胸に耳を当て、目を閉じて俺の鼓動を聞いていた。
少しだけ、鈴風の目尻からぽろりと涙が毀れたのを、俺は見逃さなかった。
ぐすり、と。鈴風は鼻を啜った。
「ただいまー。お姉ちゃん、ちゃんと買ってきた……、よ…… 」
リビングに入ってきて唖然とした表情を見せる少女。年は十三くらいだろうか。顔は鈴風やその母親によく似ている。
そうか。この子が、鈴風の妹なのか。
鈴風の妹は俺たちの姿を見て、「失礼しました……。お楽しみください」といいながら「激うす0.02mm! 」と書かれた箱をリビングに残し、静かに部屋を後にした。
「ちょっと待ってくれ!誤解だ!誤解!」
「わかってますよ! 諒さんとお姉ちゃんはそういう仲なんですよね。大丈夫です。私は二人を応援しますから!」
「だから違うって言ってるだろ!」
まったく。この姉妹は揃いも揃っていったいどういう思考回路をしているのか。
「鈴風、この家に、仏壇かそれに類するものはあるか?」
「あ、あります! こっちです!」
鈴風によって、リビング隣の和室に案内される。
少しひんやりとした薄暗い部屋。その奥に仏壇、隣に夢に出てきたあの女性の写真。
「……………………」
俺は黙って目を閉じ、仏壇に向けて手を合わせる。
この人には、感謝しかない。
今の俺の命と、鈴風という存在。今の俺を支えているものは、成り立たせているものは、すべてこの、鈴風の母親に由来していたのだ。
今日、一日。ほんの数時間の出来事。俺はそれを思い知らされた。
写真と共に供えられたカンパネラ。花言葉は確か、「感謝」と「後悔」。
母親との喧嘩を後悔している鈴風と。
大切なものを貰いすぎて、感謝の気持ちを伝えられないことがもどかしく、そしてあまりに申し訳ない俺と。
どのくらいそうしていただろうか。俺は「ありがとう」と鈴風に告げた。
その後俺は何をするでもなく(もちろん変なこともしない)鈴風の家を後にして家に帰ったのであった。