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瑞楽神社での謎解き

 田中は目を見開いて俺を見る。周囲を見回している田中が、一番力が弱そうな中大路のところから突破しようとしているのに気付いた俺は、とっさに追い打ちをかける。


「今ここで逃げたりしたら、あなたの罪はより重くなります。外で仲間がこの会話を聞いています。俺たちになにかあれば、すぐに警察に連絡がいきます」

「……っ!」


 モップをつかんで戦闘態勢に入ろうとしていた田中は、俺の言葉でぴたりと止まる。


「俺の話を聞いてください」


 そして俺は語り始めた。


「高橋さんの尿から、LSDが検出されました。ここに警察が来るのも時間の問題です」


 初手でブラフをぶちまける。もちろん高橋さんの検査結果はまだ出ていない。


 LSDとは、非常に強力な幻覚剤だ。日本では麻薬に指定されており、所持や使用は違法である。


 飲むと十分から十五分くらいで、サイケデリックな色彩豊かで幾何学的な世界が見え、状況にもよるが多好感や、自分と周囲の境界の曖昧化、さらには宇宙と同一化したような感覚を得られることがあるらしい。本人が望み、そうなると思っていれば、神のような存在を感じることだって有り得るだろう。


 地下鉄にサリンを撒いた某カルトが、弟子に神秘体験をさせると言ってこの薬を飲ませていたのは有名な話だ。これにより、弟子はより教祖のことを仰ぐようになったらしい。


 この神社がやったのは、それと同じことだ。


 LSDは麻薬の中では一際依存性や体への害が少ない。酒やタバコよりもマシだとする研究もあるくらいだ。体から抜けるのは、遅くても3日後と極めて早い。


 つまり、宗教儀式に用いるのには、これ以上ないくらいうってつけの薬だ。


「そのことに気づいた俺は、焦りました。高橋さんが儀式を受けたのは2日前。常用している人間ならまだしも、一度きりの服用なら薬が抜けきっててもおかしくありません」


 だから俺は、嵯峨根に頼み込み、今すぐ高橋さんに会わせてくれと言った。


「ですがなんとか、間に合いました」


 俺のブラフは的中したようで、田中は手をわなかせながら口をパクパクと開いてとじる。手に持っていたモップやバケツ。それらが全部、滑り落ちる。


「俺たちの要求はただ一つです。田中さん、自首してください。今この段階で自首すれば、確実にそれなりの減刑を受けられます。警察に暴かれれば、すべては終わります」


 俺の言葉を聞いて、田中は悲しさと安堵が入り混じった複雑な表情で、ふうと息を吐いた。


「そうか。あなたがお二人のグラスを叩き落としたのは、それに気づいたからなんだ」


 あの瞬間はほとんど直感的に動いてしまったが、後からその直感にちゃんとした理由をつけるとそういうことになる。


 いつ客にそれを飲ませたか、いや飲ませようとしたかについてはわかってる。間違いなく、あの休憩の段階、ソーサーから注がれた水に、LSDが入っていたんだ。全くの無味無色無臭なので、水に混ぜてもばれることはない。


「そこまで気づいてしまえば、休憩前の謎の呪文も納得がいきます」


 あれは、俺たちの喉に乾きを起こし、水を求めさせるためのものだったんだ。

 いきなり水を差し出せば不審に思う者もいるだろう。


 だが、厳かな雰囲気から一転、解放感のある部屋で、休憩を言い渡されたら?

 喉が乾いただろうと、冷たい水を差し出されたら?


「疑わない。疑えない。誰でもその水に食らいつきます」


 瑞楽神社の『儀式』。その本体は、この休憩にこそあったのだ。


 それを確信したのは、高橋さんの言っていた、二杯目の水をもらえなかったという話。


 LSDの死亡事故はほぼ前例がないため、人間の致死量に関してはまだ明確になっていない。しかし大量に飲めば飲むほど危険であることは間違いないし、なによりLSDは少量でもかなりの効果を発揮するため、必要以上に飲ませるのは、なんのメリットも存在しない。


 そう。『神域』がどうという話だとか、白装束に着替えさせられたりだとか、最初に暗室で唱えた呪文なんかは、ただの雰囲気づくりと緊張感の演出のためで、本質的には一切の関係がないのだ。

 危ないところだった。俺はてっきり、個室で何かが起こるのだと思っていたから、最初は休憩が終わったら気を引き締めないと、などと思っていたがとんでもない。休憩こそが、この儀式の核だったんだ。


 人間がもっとも無警戒になるのは、緊張が弛緩に変わった瞬間だ。俺も、まんまと引っ掛かるところだった。


 まあ、今思えば、今回俺たちに出されたあの水。あれだけは、おそらく飲んでも問題なかったのだろうが……。


「しかし、なぜ僕には自首を勧めてくれるんです? わざわざ危険を冒してまで」

「これは俺の想像なんですが。田中さん、あなたは、俺たちの水には薬を入れていなかったのではありませんか?」


 田中は大層驚いた様子で俺のほうを見た。


「そうですか。あなたはそこまで看破していたのですか」


 額にてをおさえ、恥ずかしそうに俯く。


「そうです。ただの水を飲ませ、今回は儀式失敗ということにして帰ってもらうつもりでした。いくらなんでも高校生に違法薬物は飲ませられません」


 こんなこと、過去の被害者からすれば全く無意味なことだろう。

 それでも田中は、そのか細い理にすがった。


 田中は俺たちを最初に見たとき険しい表情をしていた。そして休憩室と見送りの時は、安心しきった様子を見せていた。

 俺はその理由がずっとわからなかった。

 だけど気づいた。この人は俺たちに薬を飲ませたくなかったのだと。


 そうなると休憩室で平然としていたことに説明がつかない。理由があるとすれば、何か俺たちが薬を飲まずに済む、細工をしていたからとしか考えられない。

 細工。そう。もしかして、田中はLSD溶液をただの水に変えていたのではないかと、そう思ったんだ。


 ほんのわずかの良心が残っている田中には、少しでも減刑される道を選んでほしかった。だから俺は自首を薦めた。


「なんでこんなことをしたんですか。やはり神主の命令ですか」

「はい。神社の経営難をどうにかするために、師匠にやれと言われ、どうしても断ることができませんでした。僕は神職見習いでありながら、その立場を利用して許されない行為をしました。同業者の嵯峨根さんにも申し訳が立ちません」


 田中は嵯峨根に頭を下げる。嵯峨根はどう返答したものかと、おろおろと困り顔。


「許してもらえるとは思っていませんが、せめてものお詫びとして、今からこの足で警察に向かいます」


 田中は俺たちの横をすり抜ける。その背中には、なんだか少しばかり哀愁が漂っていた。


「あ、そうそう。そこの男の子」


 立ち止まり俺に呼びかける。


「お名前は、なんというんですか」

「渡辺、渡辺諒」

「渡辺さんですか。感謝します。どうせこんなことを続けていても、いつかばれて突然捕まるのは目に見えていました。ましな形で逮捕されることができましたよ。ありがとうございます」


 そうして田中は俺たちに手を差し出す。


「あなた方も、このまま僕が逃げるのではないかと心配ではないですか? どうでしょう。一緒に、来てもらえませんか?」

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