18.メインホール
エントランスでの戦闘が始まり、魂は次第にディエナの宝石へと集まっていく。
その宝石を守る様に、スクアエがそっと玉座の横に立っていた。彼女は今戦える状況では無いが、それでも身を挺して宝石を守ることは出来る。
そう言って止めるシロウを振り切ってここに立っていた。
彼女の目の前、広いホールにひしめく聖騎士たちはとにかくシロウを倒そうと奮闘しているが、及ばない。
首を飛ばされ、腕を刎ね切られ、それでも彼らはエイミィが詠唱を終えるまではシロウを彼女に近づけまいと戦っていた。
シロウもそれは同じで、聖騎士達が宝石を狙おうとするのを、時には斬撃で、時には自らの身を挺して防ぐ。
「ちいっ、また魔法をくらったか!」
「この男、化物か!」
炎弾がシロウの脇腹をごっそりとえぐり取って行ったが、彼自身は舌打ちだけで済ませた。はらわたが多少燃えてしまおうとも、どうせすぐに元に戻る。痛みや苦しみはあるが、戦場の狂乱がマヒさせていた。
致命傷のはずなのに、動きを止めないシロウの鬼気迫る様子に、聖騎士たちは恐ろしいモンスターを相手にしているかのような緊張を強いられていた。
しかし、彼らにも希望はある。
「場所を開けてください!」
エイミィの言葉と同時に、騎士たちは波が引くように左右へと別れた。
「来るか!」
シロウは身構えるが、避けることはしない。
彼の後ろには、ディエナとスクアエがいるからだ。
「極光!」
聖女が開発したという魔法だが、シロウは初見だ。
エイミィが放ったのは、まるでレーザー光線のようなまばゆいばかりの光の束だった。
見る人が見れば暖かな、聖なる光のように見えたかも知れない。実際に、騎士たちの中にはその光に向けて祈りを捧げている者もいる。
だが、シロウにとっては強烈な熱線以外の何物でもない。
「なんと!」
物理的な攻撃であれば刀で弾いてやろうと構えていたシロウは、その正体が熱線であると知り、思わず避けようとした。
だが、やはりそれはできない。
その場にとどまり、刀を床に突き立てて顔だけは両腕で庇う。視力と呼吸だけ守っていれば、まだ戦えるからだ。
「シロウ!」
「良い! この程度はどうということは無い! それよりもディエナを頼む!」
直径一メートルにもなろうかという極光の魔法は、シロウの上半身の前面を焼いた。
中央部分がより温度が高かったらしく、防御に使われた両腕は炭化してしまっているほどだ。
聖なる光とは言い難い、あまりにも強力な力。
聖騎士たちは大声でエイミィを讃えているのが、シロウにはどうも、被害者ながら可笑しくて仕方が無い。
「滑稽なことだ。同じ人をこれほどボロボロに焼いておいて喜ぶとは」
「人? 人というのは人のために生きてこそ。人の敵と成ったあなたは、人ではありません。それに、その回復力……」
エイミィが指差すシロウの炭化した両腕は、その下から新たな筋組織が盛り上がり、真っ黒な炭がボロボロと落ちている。
ほどなく、彼の両腕は完全に元通りになっていた。
「想像以上の回復力です。ですから、これで……」
魔法を放ったエイミィだったが、本当に準備していたのは別の魔道具だった。
他の騎士に運ばせていた一抱えある装置だが、魔力の充填に時間がかかるため、その準備をシロウに悟られぬよう、敢えて目立つ魔法で攻撃して見せたのだ。
その魔道具の効果は“魔法の無効化”だ。
装置の周囲、一定のエリアにおいて全ての魔力による効果がキャンセルされるようになる。
当然、聖騎士たちも魔法が使えなくなるが、それよりもシロウの回復を止める方を優先させたのだ。
「これは……!」
「あなたの超回復が魔力によるものであることはわかっています。これなら、あなたも普通の人間と同じように、殺せます」
殺すという言葉を使ったエイミィの目に、シロウはぞくりとする冷たさを感じた。
日本でも、仲間を殺された侍が同じような目をしているのを見たことがある。相手を殺すためならば、たとえ自分の命を投げ出しても構わぬという目だ。
マリィと同じ顔で、そんな目をして欲しくない、そしてその目が向いているのが自分であることに、シロウは一抹の寂しさを覚えた。
シロウの回復力が魔力に依存していることは彼も承知していた。
騙されたマリィがシロウへと飲ませた毒も、魔力の流れを止めて彼の回復を阻害する力を有していた。毒によって内臓が破壊されても、シロウの回復力に阻まれて仕損じる可能性があったために、そうしたのだろう。
「なるほど、これは……」
「魔力に干渉している以上、邪神も復活できないでしょう。もちろんこちらも魔法は使えませんが、人数は圧倒的です。今ならまだ間に合います。邪神を封印した宝石をこちらに渡して……自害してください」
「俺に、死ね、と?」
「はい。死んでください。あなたは教団の裏切り者であり、人間を裏切った人です。生きていても教団としては敵としてしか見ることができません」
殺されるよりは良いだろう、というエイミィ。彼女なりの慈悲なのだろうし、もしタイミングが違えば、シロウもそれに従って腹を切っていたかも知れない。
だが、今のシロウはそれを良しとはしない。
「断る。俺にはディエナを復活させるという使命がある。それに、マリィに対して悪いとは思っているが、今は生きることが彼女への贖罪であると確信しているのだ」
「聖女様を裏切っておきながら……」
「裏切ってなどおらん。マリィは間違いなく俺を愛してくれていた。そして、俺もマリィを今でも愛している。だからこそ、お前たち教団のやり方を許すわけにはいかん」
シロウは刀を掴み、立ち上がる。
回復はもう頼れない。刃を生み出せば血が止まらないだろう。
それでも、降伏はあり得ない。
一人でも多くの敵を殺し、魂を集める。
そして、ディエナに面と向かって詫びる。そして改めて感謝を伝えるのだ。
真実を知る機会をくれて、ありがとう、と。
☆
ディエナは封印されている間、外の様子が完全にわかるわけでは無い。意識もはっきりしているわけではなく、まどろみの中にいるような感覚が続いている。
時間の流れは良くわからない。軽い空腹のような気だるさの中で、延々と夢を見たり意識の奥底を旅したりを繰り返す。
ただ、魂が集まって自分に力が溜まっていくことははっきりとわかるのだ。
城の影響もあって死者の魂は宝石を通じてディエナへと集まってくる。力がみなぎってくる感覚は、同時にディエナの意識を深い海の底のような静けさから無理やり引き上げていく。
始めのうちこそ「起こさないでよ」と思ってしまうのだが、思考がクリアになるにつれて自分が何者で、どうして封印されているかを思い出す様になる。
―――シロウ?
覚えのある声が聞こえる。
宝石の外で何かが起きているのが、ディエナに薄っすら聞こえるのだ。
―――スクアエ?
仲が良いモンスターの声も聞こえた。
もう一人、ジュノーも一緒のはずだが、別行動をしているのだろうか。淑女然としていてもどこか気まぐれなところがある彼女のことだから、珍しくは無い。
本当は一人が好きなはずなのに、ディエナを慕ってついてきてくれる。
他のモンスターたちも同じだ。
―――そろそろ、出られるかな?
今まで感覚も無かった四肢が、力を入れて動かせる。今まで切り離されていた歯車がしっかりと噛み合ったような感覚。
千年の間、ずっと変わらない肢体は、彼女にとってコンプレックスでもある。十代前半の幼い身体つきのままでは、女性としての魅力に欠けるからだ。
―――目が覚めたら、ジュノーにプロポーションの秘訣を聞いてみよう。
そう思いながら、ディエナはいよいよ自分に復活の時が訪れたことを知る。
力は充分だ。
これで自らも復活でき、幾人かのモンスターも復活させられるだろう。
全てのモンスターの頂点に立つ彼女だが、決して彼らを使役しているという意識は無い。
人間たちとは違う。そして、違うというだけで攻撃されるモンスターたちの庇護者であり、元人間としてモンスターたちを守り、彼らの生き方を守るためにいる。
人の世界から弾かれた母と、そして自分の世界を守るために。
そしてもう一つ、彼女には新たな目標がある。
シロウという強くて真面目で純粋で、見た目だけで判断しない男性を伴侶にし、モンスターたちの世界をもっと広くすることだ。
支配地をではない。彼らがもっと堂々と生きられる。
それがディエナの考える“広い世界”だった。
そんな夢を思い描くと、魂の量よりもずっと沢山の力が湧いてくるような気がした。
彼女は今、忌々しい封印の呪縛を破る。
そして、目の前にいるはずの想い人にまずは自分が元気であることを見せるのだ。
「シロウ! ただいま!」
宝石から滑り出す様に上半身を出し、その勢いで手近に見えた椅子の手すりを掴み、下半身を引き出す。
光を孕む見事な銀髪は決して色褪せることなく、青く透き通る瞳は大きく見開かれて、その笑顔を明るく飾っていた。
白いワンピースには染み一つ無く、肩にかけた黒いマントが悠然と翻る。
「ディエナ、様……」
「スクアエ! ……えっ、これ……」
玉座に据えられた宝石。
そこから姿を見せたディエナの前で、彼女を庇う様にスクアエは立ち、ホールへと背を向けていた。
ディエナはここで初めて、自分がホールの壇上にいることを知る。
見覚えがある城のホール。
そこはシロウとの戦いの舞台であり、彼を見初めた記念すべき場所だ。
「復活、されたのですね。良かった……」
玉座を向いて膝を突いていたスクアエは、モンスターの姿ではない。
色白の女性そのままの姿であり、和服に似た衣装が似合う儚げな見た目で、実は快活な性格の彼女は、その背に多くの剣や槍を突き立てられていた。
「ディエナ、様……」
伸ばした指先が、ぽろぽろと土へと還っていく。
それでも、スクアエの目には希望の色が浮かんでいた。彼女にとって、ディエナが復活し、ディエナが元気であれば、自分の命などどうでも良いのだ。
首が先に崩れ、ディエナの膝に当たった頭部が土と化して脆くも砕けた。
そうして、ディエナの視界は広くなる。
「シロウ!?」
「ようやく、起きたか。まったく、寝坊助め」
多くの死体が積み上がり、その中央にシロウが立っている。
彼も無事ではない。
多くの傷は自ら刃を生やした分でもあり、傷つけられたものもあった。
右手に握っていた刀も半ばから折れており、それを見やったシロウは舌打ちをして投げた。
それが一人の騎士の喉を貫くと同時に、シロウは膝を突く。
「ふぅ、少し血を流しすぎたか」
敵と自らの血を混ぜあわた血だまりの感触に顔を歪めながら、シロウはディエナを見上げた。
「色々と伝えたいことはある、が……」
シロウは新たな刃を手のひらから生み出し、引き抜いて肩に担いだ。
「おかえり」
「うん。ただいま」
崩れたスクアエを踏まないように、高い跳躍でシロウの目の前にたどり着いたディエナ。
白いスカートがじわじわと血を吸い上げ、赤黒く染まっていく。
「邪神が……!?」
「魂の力は、魔力とは違う、と聞いたことがある。俺については知っていたが、ディエナの能力については当てが外れたな」
驚愕するエイミィに向けて、シロウは首を横に振って笑った。
その会話の間に、ディエナは周囲の空気がおかしいことに気づく。
「魔力を感じないけれど……」
「“肉を切らせて骨を断つ”つもりだったのだろうな」
シロウが持つ刀の切っ先が、一つの装置を指した。
聖騎士たちが幾重にも壁を作って守っているそれが、魔法の停止装置だと聞いてディエナは納得したらしい。
「奴らは今、魔法が使えぬ。この場でディエナだけが暴れることができるぞ。さて、思う存分にやると良い。だが……」
膝立ちのままのシロウに耳を寄せて、ディエナは彼が語る希望に頷いた。
「良いのか?」
「もちろん。あなたの願いだもの」
「では、頼む」
任せて、とディエナは胸を張って立ち上がり、周りを囲む聖騎士たちを見回した。
「シロウは休んでいて! ここからは、わたしの出番!」
封印されし邪神の復活。
居並ぶ聖騎士たちは、そこに立ち会ってしまった不幸を、命を以て実感することになった。