19.シロウが望むこと
「そんな……」
目の前で始まった蹂躙劇を、エイミィは悪夢を見ているかのような絶望の表情でただ見ているしかなかった。
彼女を守るために次々と騎士たちが身体を割り込ませ、ディエナからの攻撃に対して防御態勢を取った。
しかし、結果は一つ。彼らの死だ。
騎士たちはエイミィの目の前で次々と命を落としていった。
あるものは急激な圧力を受けて爆発し、あるものは首を飛ばされて。
エイミィや聖騎士たちが知っているような魔法ではない。自然の力に触れて、影響力を借りて行使する教団の魔法とは違う、もっと直接的で破壊的な“力”そのものの奔流。
それが、ディエナの“魔法”だった。
それだけではない。
復活したディエナは、たっぷりと吸収した魂の力を使い、ジュノーやスクアエ、そして他の多くのモンスターたちも復活させ、聖騎士たちを蹂躙していく。
「うふふぅ……あの時は痛かったわぁ。同じくらい、苦しんでもらわないと不公平ですわ」
「凍りなさい。魂まで」
魔法が使えない状況にあって、モンスターたちの攻撃に対して彼らにできるのは盾で辛うじて防げるかどうかであり、鎧は大した役に立っていない。
ディエナに対する包囲網はすでに崩壊し、ただひたすらエイミィを守るために動いている。
その中に、副官であるコルテもいた。
彼はザガンの懐刀として目立たない人物ではあるし、人に取り入って栄達を目指すタイプではあるが、実力もある。
「エイミィ様、ここはお任せを!」
「コルテ!?」
「エイミィ様は装置を停止させてください! それまでは不肖このコルテが攻撃を防いでみせます!」
ガン、と床に叩きつけるようにして大楯を立てたコルテに防御を任せ、エイミィは装置に噛り付いた。
アスカリア教団の秘蔵装置であり、魔法の技術が盗まれたりした際に敵の攻撃方法を封じて教団の物量で制圧するためのもので、簡単に停止できるようにはなっていない。
「ど、どうにか……」
「俺が止めてやろう」
声が聞こえたと同時に、エイミィの目の前で人一人分の大きさがある装置が縦に両断された。
一瞬、何が起きたか理解できなかった彼女は、装置を分断している見覚えがある片刃の武器に視線を辿らせ、その持ち主を見た。
シロウだ。
「あなたは……」
「これで良い。お前たちの人数はもう少ない。ディエナも魂を充分に集めたようだ」
破壊され、魔力を吸収していた装置は完全に沈黙した。
同時に、シロウの傷もふさがっていく。それでも流れてしまった血液だけはどうしようもない。シロウの身体はあちこちが赤く濡れており、喘ぐような息はまだ収まっていない。
手首から伸ばしていた刃を装置から引き抜き、彼はへたり込んでしまったエイミィを見下ろしていた。
「……そうまでして、なぜ邪神を……」
「簡単だ。ディエナは邪神ではないからだ」
「ですが……」
「狭い世界で物を見ていると、そうなる。俺もそうだった」
シロウが刃を八相に構える。
視線はエイミィを捉えており、僅かな動きすらも見逃さないという視線に、彼女は完全に諦めた様子だった。
周囲にいた騎士たちはエイミィの危機を知りつつも、ディエナの魔法が荒れ狂う中に入り込めずにいる。
「エイミィ様!」
コルテも引き離され、渦のように力が巻き上がる中へと無理に割り込もうとして、大楯をもぎ取られてしまった。
魔法が使えるようになったことでコルテも魔法騎士たちも火球や雷撃などを打ち込んではいるが、ディエナの魔法を破ることはできない。
孤立した状況で、エイミィはシロウとたった一人で対峙している。
「ディエナはただ、力を持っているだけの女だ。それを邪神と呼び、勝手に恐れているのが人間だ。いや、勝手に、ではないな」
そこには教団の意思があった、とシロウは語った。
邪神という強大で凶悪な存在がいて、人間を襲うモンスターのトップであると喧伝した。教団は魔法や魔道具というモンスターに対抗しうる力を独占し、その宣伝のために邪神の存在を利用したのだ。
「ところが、ディエナの力は教団の想像以上に強かったのだろうな。自分たちだけで処理しきれない相手であるとわかって、俺を召喚した」
「……勇者の存在に頼ったのは、悪いことでは……」
「本当に邪神が人間の敵で、倒さねば人間が滅ぶというのであれば、俺も命を投げうっても笑って死ねるだろうよ」
邪神を倒し、教団こそが最強であり人類が頼るべき唯一の組織であるという証明を手に入れることに躍起になった結果、シロウを“使って”どうにか目標は果たせた。
しかし、それが教団の問題へと変わる。
邪神を封印したのは間違いなくアスカリア教団が開発した魔道具ではあった。だが、邪神をそこまで追い詰めたのは“教団の力”ではない。
「教団にとって都合の悪い存在である俺を消した。そして邪神という架空の存在を倒した神話だけを抜き取って、利用したのだ」
「恨み、ですか」
「恨んでいないとは言わぬ。だが、それだけではない」
シロウの左手が、エイミィの目を指差す。
間近に突き付けられた指先に、彼女の視線は釘付けになった。伸ばされたシロウの人差し指の下に、一冊の本が掴まれている。
「お前の祖先であるマリィが本当に願ったことは、人が幸福に生きることだ。俺も同じだ。その中にディエナが入っていないのはおかしい。それをお前に伝えておく」
エイミィへと本を押し付けたシロウは、彼女が本を掴んだことを確認して、そっと手を離した。
「モンスターたちにしても同じことだ。人間と違う能力、違う見た目があったとしても、連中は一人一人違う。人を襲う者もいる。それらが退治されるのは仕方のないことだ。だが、人間と共存できるものもいる」
全てをまとめて人間の敵だとした教団の在り方は間違っている。
そのモンスターたちに味方した人間も、教団は敵だとして殺す。シロウのように。
「目を開け。教団が教えたことではなく、本当はどうなっているか、教団から離れて見て、お前の頭で考えろ」
「殺さないのですか」
「それでは、俺の目的は果たせない。だが、教団はその過ちの結果としてこれだけの犠牲を払った。それだけは憶えておけ」
シロウは跳躍した。
ディエナが作り出す力の奔流から飛び出し、コルテの目の前へと降り立つ。
一瞬だけ目を見開いていた彼は、すぐにシロウの前で剣を抜いた。
「エイミィ様を……」
「殺さぬ。お前の忠義にも敬意を払い、降伏するのであれば、命だけは助けよう」
「……私は、戦う」
コルテは剣を構えたまま、シロウの提案を拒否した。
部下たちには逃げるように指示し、本を抱えて呆然としていたエイミィを囲み、聖騎士たちが撤退していくのを見送ると、コルテはシロウへ礼を言った。
「エイミィ様と部下を逃がしてもらったこと、感謝しよう」
「すでに勝負はついた。それは、モンスターたちもわかっている」
「そうか……」
コルテが周りを見ると、腕組してシロウの様子を楽しそうに見ているディエナの周囲に、多くのモンスターが集まっていた。
すでに戦う意思は内容で、ただただディエナに寄り添っている。
「わたくしは、もう少し殺して食べたかったけれど」
「ジュノー、黙って。シロウの希望よ」
「あら、いつの間にか仲良くなっちゃったのね」
からかわれたスクアエが不満顔を見せていることに、コルテは苦笑いを浮かべている。
「なるほど。人と変わらない、な」
「分かったなら、戦う必要は無い」
「いや、ある」
コルテは改めて剣を真正面へと突きつけた。
細身の両刃剣であり、柄の周りには美麗な飾りが施されている。実用的には見えないが、コルテの手にはとても馴染んでいる。
「私とて、アスカリア教団の聖騎士。たとえ届かずとも任務のために死ぬ覚悟はできている。それに、貴様には多くの同胞を殺された。復讐の機会を貰っても良いはずだ」
「違いない。では、及ばずながら相手をしよう」
「受けていただき、感謝する」
「では、尋常に」
互いに沈黙し、向かい合う。
シロウは右手首から伸ばした刃を八相に構え、コルテは基本にそって真正面へと切っ先を向け、右足を前にしたリラックスした構えだ。
なかなかの遣い手だ、とシロウはコルテの腕を見抜いた。
重心は前でも後でも無く、どの方向へもすぐに移動できるように膝は柔軟に、腰は落ち着いて立っている。
切っ先は揺れず、ぴたりとシロウの喉元へと向けられていた。斬るにも突きにも変化できる基本の構えには、隙が無い。
シロウの構えも、静かな水面のように落ち着いている。
右手の甲を頬に添えるようにして刃をまっすぐに天へと向けた左八相は、シロウが最も得意とする構えだ。
敵を一息に惨殺するための、捨て身の攻撃を狙う体勢だ。
そのまま、互いに静かな呼吸を繰り返し、腕や足の筋肉にわずかずつ力を入れながら、じりじりと近づいていく。
互いに息遣いすらも感じるほどの間近な距離。
コルテが向ける切っ先がシロウの鼻先二十センチほどに迫っていた。
それでも、シロウの視線は剣ではなくコルテの全身を見ている。
見ていたモンスターたちのうち、誰かが息を飲んだ。
その瞬間、コルテが動く。
「……はあああ!」
右足が前へと滑る。
突き出した剣は刃が寝かされ、シロウの両腕の間へと滑り込み、首筋をすり抜けるように斬りつけていく。
「おお!」
応えるように吠えたシロウは、右手から刃を切り離して相手とすれ違うように前へと進むことで突きを避けていく。
そして、左手一本で握りしめた刃が、すれ違いざまにコルテのわき腹を横一文字に撫でた。
背中合わせになった二人は、ゆっくりと互いの武器を下ろし、向き直った。
シロウの首筋にはうっすらと傷が付いていたが、すぐにふさがっていく。
「……見事」
うめき声と共にシロウを称賛したコルテが、腹部から血をまき散らして倒れる。
その表情には満足感があった。
「手強い相手だった」
「ありがとう。うぅ……アスカリア教団の未来に……世界の、バランスは、我らに……」
コルテは、最後の一呼吸まで教団に殉じた。
☆
「良かったの?」
「ああ。これで良い」
戦いを終え、疲労で座り込んだシロウへとディエナが問う。
彼にとって、教団を潰すことが目的では無かった。ディエナの真実を伝え、人間のモンスターに対する考えを少しでも変えることができれば良かった。
この世界において教団の影響力は比類無きものだ。エイミィが知った本当のことが、どれだけ広まってくれるかわからない。
時間もかかるだろう。
それでも、シロウはこれがマリィへの決別に必要なことだと感じていた。
「俺の存在がどう伝わっていようと、それはどうでも良いことだ。マリィの気持ちも分かった以上、あの日記はエイミィが読み、その意志を受け止めるために必要だろう」
「まだ彼女のこと、気になる?」
「そうだな。人間として生きた俺の中で最高の思い出は、彼女と共に在る」
ディエナは泣きそうな顔をしていた。
結局、シロウの気持ちはマリィから離れることは無かったと感じたのだ。
しかし、彼はそっとディエナの頭をなで、ごつごつとした指は頬へと移り、溜まっていた涙をそっと払う。
「ようやく、ディエナの気持ちと向き合う準備ができた。待たせて悪かったな」
「それじゃあ、わたしの伴侶になってくれるの?」
「性急だな」
ころりと表情を変えて、きらきらと目を光らせてディエナが笑顔を見せると、シロウもつられたように笑った。
「しばらく、一緒に世界を見て回らないか? お前のおかげでこの世界を見る目が随分と変わった気がする。ディエナ。お前のことをもっと知りたいとも思った」
「わかった。じゃあ、恋人どうしから! それならいいでしょ?」
「ふぅ、ディエナには敵わないな……ああ、わかった」
「やった!」
シロウの首にしがみついたディエナは、柔らかな唇を近づけて軽い口づけを交わした。
それは力を受け渡すようなものでも、儀礼的なものでも無い。ただ気持ちを伝えるための口づけだった。




