真剣勝負 その2
準備運動が終わって、スタートラインに行くと、水戸くんはすでにいた。
「待たせちゃったかな?」
「いや、別にいいさ。それよりそんな格好で大丈夫か?」
こんな格好とはジャージのことを言っているんだろう。
「ああ。これのほうが力出やすいし。ブレザーよりマシでしょ?」
「いや、流石にブレザーだったら俺はブチ切れているだろうな」
「ならジャージでも問題ないじゃん」
「そう、なのか?」
敢えて低いハードルを言って、自分の要求を認めさせる会話術だ。
「水戸くんのほうは準備万端のようだね。気合も充実しているみたいだしね」
「まあな。自分よりも格上の人間と闘うんだから気合も入る」
ぼくは人間じゃないけどね。
「格上か。実を言うとぼくも最近格上と闘ったんだよ。短距離ではないけど」
ぼくは妖鼠のことを思い出しながら、そう言った。
「ふうん。どんな勝負か聞いてもいいか?」
「いや、勝負っていうか、なんと説明して良いか分からないけど、とにかく格上だったんだ」
最弱の鬼とか言ってたけど、あいつの特鬼仙力はやばかった。たまたま勝てたって感じだったし。
「そのときは運良く勝てたんだけど、正直勝ったって実感が湧かなかった。訳の分からない勝ち方をしたんだ」
「それでも勝ちは勝ちだろう。何が言いたいんだ?」
「ぼくもね。勝ちに貴賎はないって思ってた。だけど、綺麗に勝つことの意義とか美しく勝つことの尊さは確実にあるんだ」
「…………」
水戸くんはぼくの言っていることを理解しようとして、黙って聞いていた。
「ぼくは勝負に悔いを残したくない。綺麗に勝って美しく勝つ。そのためにぼくは全力を出す。人間としてね」
「……つまり、本気で闘ってくれるってことか」
「そうだよ。ぼくは勝つ。絶対にね」
水戸くんは「油断も慢心もない格上って無理ゲーすぎるぜ」と肩を竦めた。
「付け入る隙ぐらい、合ってほしいな」
「そんなことしたら逆に怒るでしょ」
「当たり前だ! 一生恨んでやる」
ぼくはだんだん水戸くんに好感を覚えるようになっていた。
だからこそ、本気で闘わないといけない。
「準備は整ったようだな」
小山田先生がぼくたちの横に立つ。
「それでは、勝負を始める」
周りの生徒たちが大声を上げて声援を送る。
スタートから近い順に青空、大地、遠藤さん、ゆかり、今田さん、ゆめ姉、そして日輪の並びになっている。特に日輪はゴールに近いところで立っている。
相手はその向かい側、対面にずらりと並んでいる。
舞台は整ったって感じかな。
「位置について、よーいと言った後にピストルを鳴らす。それが合図だ。分かったか?」
小山田先生の言葉にぼくと水戸くんは頷いた。
ぼくたちはクラウチングスタイルを取った。
そして、合図を待つ。
「位置について、よーい――」
ぼくはゴールを見据えた。
ぱあん、とピストルの音が鳴った。
ぼくと水戸くんはほぼ同時にスタートを切った。
初めの10m。ややぼくのほうが速い。後先考えずに先行しようと考えていたので、この差ははありがたい。逆に後半から追い上げようと考えているらしく、抑え気味に走っているみたいだ。
次の20m。差が広がった。多分だけどぼくと水戸くんの間に人が一人立てるぐらいの間が空けられている。
そして50m。この時点ではぼくがリード。しかしだんだんと自分の脚が遅くなっているのを感じる。このままのトップスピードを保てるかどうかが勝負の分かれ目だ。
70m。ぼくに迫ってくるのを感じる。やはり後半に勝負を賭けていたのか。ぼくは焦りを感じながら、さらに限界を超えようと――
そのとき。
ぼくはゴールを見据えていた。それ以外は目に入らないように気をつけていた。
応援している人の目とか。
応援している人の声とか。
ぼくは一切目と耳に入れないように気を配っていた。
だから、これは偶然だった。
偶然、ぼくの目に日輪が入った。
日輪はぼくを応援するのに夢中。
声を張り上げ、多分「頑張れ」だとか言っているのだろう。
しかし、それに気を取られすぎだ。
自分が何の為に下界に下りているのか、分かっているはずだ。理解しているはずだ。
鬼ごっこ。
ぼくと日輪がそれを無理矢理『鬼退治』にしてしまったけど、その本質は基本、逃げ切ることだ。
一年間、鬼から逃げ切ること。
それが勝利条件である。
ならば敗北条件はなんだ?
それは日輪の殺害である。
今の日輪は反撃を許されていない。それなら簡単に始末することができる。まさに赤子の手を捻るようにたやすいだろう。
それにぼくと水戸くんの勝負に気を配りすぎだった。
なんて愚かしいんだろう。
鬼に狙われていると自覚がないのか?
鬼だったら、慎重な性格な鬼だったら、こんな隙を見逃すはずがないのに。
無防備な日輪を狙わない道理はないはずなのに。
ぼくが見た光景、それは――
大振りの刀を今まさに振り落とさんとする男とそれに気づかない日輪の姿だった。
「――日輪!」
大声を上げて、コースを離れて、日輪の元へ走り出す。
みんなが疑問に思った。だけど、その意図を理解しているのはぼくだけ。
日輪はぼくの行動を不可解そうに見てるだけ。後ろを振り向こうとしない。
ぼくは脚に仙気を集中させて、人外のスピードで迫る。
しかし届かない。もう刃が日輪の頭上に迫る。
「――っ!」
ぼくは全てがスローモーションに見えた。
迫り来る刃。
向かうは日輪の頭。
ぼくの脚だと間に合わない。
日輪が殺されてしまう。
速く。
速く速く。
速く速く速く。
速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く――
疾く!
「うぉおおおおおおお! 仙脚!」
ぼくは土壇場で。
まるで覚醒したヒーローのように。
今までできなかった仙脚を。
発動することができた。
「ふざけんなあああ!!」
ぼくは叫びながら飛び上がり、日輪の頭に当たりそうだった刀を蹴り上げた。
ガキンと音がして、刀が明後日の方向に飛んでいって地面に刺さった。
「――っ! なあ!?」
日輪の驚いた顔と声。
「離れろ! 日輪!」
ぼくはその勢いのまま、男の後ろまで飛んでいった。
速く着地をしないと――
「やはり、お前から始末しないといかんな」
そう声が聞こえた気がした。
だけど、聞こえたと感知した瞬間、衝撃が走った。
ぼくの背中を叩き割るような豪腕。
ぼくは空中で思いっきり殴られた。
結論から言うと、落下地点まで先回りされて殴られたのだった。
「ぐ、ううう――」
ぼくはとっさに仙気でガードしたのだけれど、間に合わなかったようでダメージが身体に巡る。
吹き飛んだのは陸上のコース。
二回、いや三回ほど地面にバウンドして、ようやく止まった。
「か、はぁ……」
肺から空気がなくなるくらいの息苦しさ。どうやら内臓を痛めたみたいだ。
ぼくはダメージを耐えながら、よろよろと立ち上がろうとする。
男はどこだ?
キョロキョロを見渡す――がいない?
「遅い、後ろだ」
声が聞こえたと思ったらまたも衝撃。
振り返った瞬間に鳩尾に正拳突きを喰らう。
「――っ!」
今度は声も出なかった。身体がくの字に折れ曲がり、再び内臓へのダメージが襲った。
ぼくはなんとか意識を失うことを避けようとする。しかし、意識の混濁は激しく、その場を転げ回ることしかできなかった。
「まだ動けるか。やはり仙人は頑丈だな」
そんな見下すような発言をする男。
こいつ、鬼だ――
それも、妖鼠よりもずっと強い。
ぼくはなんとか男を見ようとする。
だけど、上げた頭を男は踏み潰す。
ガコンと言う音。
確実に頭蓋骨がイカれた音だ。
「抵抗はさせない。苦痛のみを与える」
何か言った気がするけど、そんなのに構ってられないほど、激痛が走る。
「ぐぁああああああああ!!」
ぼくの喉から発せられる、汚い声。
ぼくはもう動くことができない。
仙気を吸収して回復を図ろうとするが、間に合わない。
次の攻撃で、絶対にぼくは死ぬ。
それは絶対だ。
それは確定だ。
避けることは皆無。
回避することは絶無。
ぼくが動けるようになるまで十秒はかかる。
だけど、その十秒の間に男はぼくを殺すだろう。
なんとかしなければ。
でないと、日輪が殺されてしまう。
なんとかしないと――
ぼくが懸命に吸収を行なうせいで地面が凍りつく。
それでも間に合わない。
どうすれば――
…………?
どうして攻撃が来ないんだ?
ある程度回復して、ようやく前を見られた。
しかし、ぼくはすぐに後悔することになる。
ぼくの目の前に映った光景。
それは――
日輪が、ぼくの目の前に立って。
ぼくを庇うように。
両手を大きく広げて。
男の刃が心臓を貫くように。
その場に立っていた。
「ああ、ああ――」
「さようなら、日輪さま」
男が刃を抜いた。
噴き出す鮮血。
ぼくの顔に降りかかる。
「このゲーム、拙者たちの勝利だ」
そして、勝ち誇る言葉。
「ああ、ああああああああああ!!」
ぼくは絶叫し。
ぼくは現実に耐えられなかった。




