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真剣勝負

 それから何事もなく五月一日を迎えた。

 連日の雨は予報どおり止み、グラウンドもぬかるみはあるものの走るコースには障害はなく勝負に支障はない。

 ぼくたちが通う沖天高校は地域の大会によく使われる。それは合成ゴムで作られたコースがあるからだ。赤い土のようなコースは弾力があり、土で走るより記録が出やすいらしい。

 合成ゴムにしたのには利点があり、水はけが良いことだと体育教師が言っていたっけ。

 とにかく、100m対決は万全な状態でできると言っても過言ではない。

 そして昼休み。

 ぼくはお弁当を食べずに、このグラウンドに来ていた。いつものブレザーではなく、ちゃんとジャージに着替えて。

 またぼくの他に勝負を見届けようと来た生徒がたくさんいる。

 まずはぼくの友達。

 渡辺青空と秋田大地。

 それと星野ゆかりとその付き添いの遠藤みどりと今田はな。

 それから勝負の発端となったボランティア部の創立計画者の太田陽子。

 ぼくの姉の十六夜ゆめ。

 そしてぼくのクラスの何人か。

 これがぼくの陣営である。

 ぼくを囲むように集まって「頑張って」とか「応援してるよ」と言ってくる。

 しかし、その合間にちょっとした事件が起こった。

「あの、あなたは太田陽子先輩ですよね?」

 青空が目聡く日輪のことを発見した。

日輪は誰かに話しかけられないように、ぼくたちから離れていた。

「ええ。そうですけど、あなたはどなたですか?」

 日輪は敬語モードに入ってしまったみたいで「何話しかけてくるんじゃ馬鹿者」という本音を出さずに、会釈を返した。

「どうして、こころの応援をするんですか? もしかして知り合いだったんですか?」

 青空が訊くと日輪は「どうにかしろ」と言わんばかりにぼくに目配せした。

「えっと、青空。陽子先輩はぼくの知り合いなんだ。それでここに来てくれているんだ」

 そう説明すると「ふうん。知り合いっていつからだ?」と厳しく追求してくる。

「結構最近かな? それがどうしたんだ?」

「いや、その、あの……」

 なぜか青空の顔が赤くなっている。なぜだろう?

「こういうことを言うのも、場にそぐわないと思うんですけど……」

 青空はスマホを取り出した。

「LINEのIDとアドレスと電話番号交換してくれませんか?」

 えっ? 

「えっと、友達からでいいので、俺と付き合ってくれませんか!?」

 えええええ!? なにそれ!?

 その場に居る全員がびっくりして固まる。

 あの日輪も固まってしまった。

 その中で動けるようになったのは、ゆめ姉だった。

「えっと、渡辺くん? 日輪さんとお付き合いしたいって思ったのかな?」

「はいそうです! えっと――」

「十六夜ゆめ。こころちゃんの姉だよ」

 そう言えば自己紹介もしていない。

「そうです、十六夜先輩! 俺は太田先輩に一目惚れしました!」

 男らしいと言えば男らしいけど、まさか日輪のことが好きになるのか。

 まあ仙人ということを忘れれば、見た目は整っているからなあ。

「どうでしょうか? 太田先輩!」

 青空の猛アタックに日輪は「その、私、そういうの困ります……」と戸惑っている。

 是非動画を録って後で見せ付けたいほどのうろたえようだ。

 だけどちょっとだけ困っている日輪が面白かったので助け舟を出してあげる。

「えっと、陽子先輩よりもぼくの心配をしてくれないかな?」

「そうよ、渡辺。今は十六夜くんのことを第一に考えなさいよ!」

 そう同調したのは遠藤さんだった。

「遠藤、俺の恋路を邪魔しないでくれよ」

 今どき恋路なんて言うかな……?

「おいおい、青空。後にしろよ。今の主役はこころだろう?」

 大地がそうやって青空を止めた。

「あとで時間を作ればいいことだろう。ていうかこんな軟派なキャラだったかお前?」

 ぼくは知り合って間もないから、どういうキャラか未だにつかめていない。だからこうした行動を取るのが珍しいとまでは言えなかった。

「わかんねえよ。自分のキャラじゃないことぐらい分かってる。でもこういうことを言うとおかしく思われるかもしれねえ。なんつーか、心をキューピットに討たれたような感覚なんだよ」

 それを聞いた日輪は「そのまま射られて死ねばいいのに」と言った感じで顔をしかめたけど、それに気づいたのはぼくだけだった。

「それで太田先輩! 俺のこと、考えてくれましたか?」

 青空が日輪に訊ねると「私、携帯電話を持っていないんです」とやんわり断った。

「えっ? どうしてケータイ持っていないんですか?」

「私は自活しているので、あまりお金を使わないようにしているんですよ」

 まあ真実はケータイやスマホを買うためには未成年の場合は保護者の委任状が必要になるんだけど、そういうのを偽造するほど日輪は欲しいとは思っていないのだった。

「……そうですか。残念です」

 目に見えて落ち込んだ青空を見て助け舟を出そうか迷ったけど、日輪の「余計なことをせんで良い」という目線でぼくは諦めた。

「でもさあ、スマホなくても会えるじゃん」

 事情を知らなくて自分には関係なさそうな今田さんがそう軽く言ってきた。

「一緒にご飯を食べたりできるじゃん」

「それだ! ありがとう、今田!」

 どれだよ?

「今度お昼一緒に食べませんか?」

 さっそく誘ってみる青空。

「えっと、その、私……」

 なんといって断るか悩む日輪。

 しょうがないなあ。

「いきなり二人っきりは良くないから、ぼくたちも一緒に食べようよ。なあ大地」

「うん? まあそうだな。そのほうがいい」

 ぼくの提案に大地も乗ってくれた。

「それでいいかな? 陽子先輩」

「……分かりました」

 日輪は渋々と言った感じで了承した。

「よっしゃ! これからよろしくお願いします! 太田先輩!」

 天を仰いで喝采を叫ぶ青空。

 こういう積極性は見習いたいものだ。

「ああ、そうそう気になったんだけど、遠藤さんと今田さんって青空の友達?」

 やけに親しい感じだから聞いてみた。

「ええ。同じ中学よ」

「そうだよー、クラスも同じだったよ」

 遠藤さんはなぜかテンションが低かった。

今田さんは普段と変わりない。

「それじゃあ顔見知りな感じかな?」

「おいおい、こころ。それより勝負に集中しろよ。いくら相手が来なくってもよー」

 大地の言うとおりだ。けれど――

「関係ないことをわざと話して緊張をほぐそうと思っているんだよ」

「そういう考え方もあるって分かるが、目の前の勝負から逃げてる感じがするぜ? お前勝てる気があるのか?」

「あるね」

 ぼくは即答した。

「50mでも100mでも負ける気がしない。その自信もあるし確信もあるね」

「随分と自信過剰じゃない」

 そう言ったのはゆかりだった。

「あんたはいつも根拠もなく大言壮語を言うじゃない。それが叶えられないこともたくさんあったでしょ?」

 うう、幼馴染が古傷を抉ってくる。

「ゆかり、信じてよ。今日は絶対に勝つさ」

 ゆかりはぼくの言葉に「どうなっても知らないわよ」と冷たく言い放つ。

「この勝負とは関係ないけど、どれだけ心配と心労を私にかけてきたのよ」

「それは交通事故のことを言っているのかな? それともそれ以後のことを言ってるのかな?」

 ぼくはなるべく周りの人間に伝わらないように言ってみる。

「それ以後よ。私がどれだけあんたを心配してきたか……あんたには分からないわ」

 まあ最後まで仙人になることを反対してたものなあ。

「分からないけど、一応ありがとうって言っておくね」

「……それだけで済ます気?」

「今度また埋め合わせするよ。それで我慢してね」

「……ずるい人」

 ゆかりの拗ねた顔は可愛いなあと思うぼく。

「あんたら、付き合っていないの?」

 遠藤さんが砂糖をふんだんに使ったお菓子を食べたような、甘ったるい顔をしていた。

「付き合っていないよ? ただの幼馴染さ」

 ぼくが言うとゆかりも「そうよ」と言った。

「いいなあお前は。美人の姉と可愛い幼馴染が居て」

 そう耳打ちしてきたのは大地だった。

「羨ましくてもやらないよ?」

「分かってるって。結構ずるいよなお前は」

 何がどうずるいか分かる前に「おい来たぞ」と青空が言った。

 校舎側の入り口から水戸くんと仲間の四人、それにクラスの人たちが八人ほどやってきた。

 水戸くんが陸上部のユニフォームに着替えてやる気満々だった。

 岡島くんは頬に湿布をしている。まだ腫れが引かないようだった。

 ゆっくりぼくたちに近づいていく。

「よう、十六夜こころ。逃げずにきたようだな」

 水戸くんが威圧感たっぷりにぼくを見下ろす。頭二つ分水戸くんのほうが大きいので、自然とそうなるのは当然だけど、なんだか嫌な感じがする。

「逃げる? どうしてぼくが逃げなくちゃいけないんだ? 勝てる勝負なのに」

 日輪から教わった相手を挑発する台詞を発すると取り巻きたちは色めき立つ。

「言うじゃねえか。まあそれぐらいの気概がないとやっていけないか」

「まあね。それと岡島くん、怪我の調子はどうかな?」

 ぼくは別方向から攻めてみることにした。

「てめえはこの勝負に関わらず、俺がぶっ飛ばす」

 まるで親の仇のように睨みつける岡島くんだった。

「俺たちがさせると思うか?」

 大地がぼくの前に立って威嚇するように言った。

「だけど、俺たちよりもこころのほうが強いから意味ないけどな。あはは」

 青空はそんなことを言いつつ、ぼくの前に立つ。

「ふん。ラッキーパンチが当たっただけのはったり野郎が。後悔させてやる……」

 うーん、岡島くんが今にも怒りを爆発させそうだ。

「じゃあ、こうしよう。ぼくが勝ったら岡島くんは一切ぼくに手を出さないことを約束してくれるかな?」

 ぼくの言葉にどよめきが広がる。

「なんだと――」

「待て岡島。じゃあお前が負けたらどうするんだ?」

 水戸くんはぼくに訊ねた。

「それは君たちの決めることだよ。負けたらなんでも言うことを聞くんだから。違うかい?」

「まあそうだな。じゃあこうしよう。お前が負けたら陸上部に入れ」

 おっと、これは予想外の発言だ。

「どういう意味かしら、水戸くん」

 ゆかりが今度は前に来た。

「星野さんはそっち側に居るのか。噂通りだな」

 水戸くんはなぜか悲しそうな顔をしている。

「岡島のことを度外視しても、陸上部として十六夜こころは必要だ。岡島は弱そうと言っていたが、俺はそうは見ていない。特殊訓練とまでは言わないが、それなりに鍛えられているのは立ち姿でよく分かる。それにスピード。実際には見たことないがあの記録を出したのは驚異的だ。俺はそう思っている」

 長々と評価されるのはなんだか気恥ずかしい。

「だから俺は確実に勝たないといけないんだ。今の世代や次の世代は正直あまり強くない。だが俺たちの世代が勝つために、お前が必要なんだ」

 やっぱり根はスポーツマンなんだな。

 ぼくは褒められた気恥ずかしさからか、こんなことを言ってしまう。

「ごめん。ぼくは陸上部に入る気はないんだ。だって、陽子先輩のためにボランティア部を創らないといけないんだから」

 ぼくは真っ直ぐ目を見ていった。

「だけど、もしぼくが負けたら陸上部に入って真面目に練習に取り組むよ。必ず結果も出す。君の想いに応えるためにね」

 そう言うと水戸くんは「そうか。ありがとう」と爽やかな笑顔を見せた。

 これなら後腐れもないだろう。

「さて、勝負を始めようか。まずは勝負をしないとね。ルールを確認させてほしい」

 水戸くんは「分かった」と答える。

「100mの勝負で先にゴールしたほうの勝ち。対戦相手はぼくと水戸くん。妨害をしたらその時点で失格。敗者となる。正々堂々と闘うことが前提だね」

「ああ、そうだな。一回勝負でいいな」

「もちろん。全力を互いに出し切ろう」

 ぼくと水戸くんは自然と握手を交わした。

「ああ、誰が合図を出すんだ?」

「私が出すんだ」

 その声に振り向くと小山田先生が立っていた。

「先生が合図を出してくれるんですか?」

「そうだ。ちゃんとピストル借りてきたぞ」

 後で確認したらスターターピストルと言うらしい。

「私はどちらの肩入れもしない。平等に判断する。それでいいな?」

 ぼくと水戸くんは頷いた。

「それではスタートラインに並んでくれ。ああそうだ、二人とも準備運動をしたか?」

 そういえば話に夢中でしていなかった。

「それが済んだら勝負を開始する。二人とも悔いを残さないようにな」

 そう言うと小山田先生はスタートラインへ歩いていく。

「さて、頑張るか」

 ぼくは屈伸をしながら、ほんの少しだけど緊張をしてきた身体を柔らかくする。

 みんなも「頑張れ!」と激を飛ばす。

 ぼくはそれに応えつつ、水戸くんを観察した。どうやら調子は良いようだ。

「……負けたくないなあ」

 誰にも聞かれないようにポツリと呟く。

 鬼との闘いとはまた違ったプレッシャーを感じてしまう。

 だけど、不思議と楽しさもあった。

 はたして仙人の身体能力はどんなものか。

 それに水戸くんは打ち破ることができるのか。

 不安と楽しみが入り混じって、なんだか変な気持ちだった。


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