戦闘と決着
四月四日の午後五時。
指定されたのは、桜ノ宮神社の森。
三日前に初めて鬼と会った場所。
そして、初めて鬼と闘った場所。
そこに来るように、ぼくの家に手紙が来た。
消印のない封筒。
正直、罠の可能性もあるのけど、行くしかなかった。
なぜなら、手紙にはこうも書かれていた。
来なければ、ゆめ姉とゆかりを殺す――と。
「卑怯とは言えんのう」
手紙を読んだ日輪は言った。
「ワシでも人質を取るじゃろうな。むしろ取らねば間抜けじゃ。相手の弱みを握るのは兵法の基本じゃ」
「……現代人のぼくにしてみたら、卑怯だと思うけど」
「卑怯者なら、お主の隙を突いて人質をさらうじゃろう? まあワシに言わせれば、それも卑怯ではない。しかし妖鼠は手紙で知らせておる。紳士的だといえるじゃろ」
「一応訊くけど、日輪はぼくの味方だよな? 鬼の敵だよな? なぜそんなに褒めるんだよ?」
「褒めてはおらん。ワシは妖鼠の奴を過大評価しておったみたいじゃ」
「……過大評価? 人質を実際に取らないことか?」
「違う。ワシなら人質を実際に殺す」
「…………」
「そうすれば、お主は怒りに任せて妖鼠を殺そうとするじゃろ。しかし、怒りに支配されれば攻撃は単調になる。仙気も鈍る。妖鼠は容易に、お主を殺せるじゃろ」
「……なるほど、それが紳士的って言ってた理由か」
「そうじゃのう。まあ鬼のクセに、理性があるみたいじゃ。初めの邂逅のときにお主を殺さなかったように、無益な殺生はしないようじゃ」
「でも、来なかったらゆめ姉とゆかりを殺すんだろう?」
「有益だと判断すればのう」
だから、ぼくは森に居た。
日輪と一緒に、ここに来た。
ゆめ姉とゆかりには手紙のことは知らせなかった。
ただ、妖鼠を倒しに行くとだけ、伝えて家から出た。
二人はとても不安そうな、心配そうな顔をしていた。
「危ないと思ったら逃げるのよ」
「こころちゃん、絶対に死なないでね?」
そう言われたけど、ぼくは逃げる気はなかったし、死ぬ気で闘うつもりだった。
そうしないと、日輪は死んでしまうから。
ぼくの目の前で、誰も死なせない。
そう決意したから――
「逃げずに来たのは感心しますね」
森の奥に入って待っていると、妖鼠は正面から堂々と現れた。
何の策略もなく、むしろ無策のように。
妖鼠はぼくたちの前に現れた。
以前と変わりはない。頭を凍らせたのに、その怪我はすっかり治ってしまったみたいだ。
「こちらも感心するぞ。鬼がこうも正々堂々とやってくるとはのう」
「ふふ。他の鬼はどうか知りませんが、私は誠実に闘いたいのですよ。不誠実になるのは避けたいのですよ。まあ仙人には理解できないと思いますが」
皮肉を言いつつ、妖鼠は両手を広げて、ぼくたちに歩み寄る。
「誠実な鬼が人質を取るとは呆れて物も言えないな」
ぼくが言うと「ええ、ですからほのめかしただけですよ」と妖鼠は答えた。
「現実、殺していませんよ」
「……同じことだと思うのはぼくだけか?」
「……あなたを確実にここに来させるためですよ」
妖鼠はメガネをくいっと上げた。
「あなたは確実に殺す。私のプライドを傷つけた、あなたは八つ裂きにしないと気が済まない。殺しても殺し足りない。だから――殺す。日輪さまより先に殺す」
殺気が森の中に充満する。
「実の姉と幼馴染を餌にすれば必ず来ると分かっていた。あなたはそういう仙人だ。人間時代の人間関係を消すことなど絶対にできない、弱々しい仙人だ。そんな仙人にしてやられたのは、私の経歴に傷がつく」
自分の矜持のために人を殺す。
なんて下卑た発想なんだろう。
「随分恨まれているみたいだね。それに、よく調べてある。まあいいさ、それに訊きたいこともできた」
「訊きたいこと?」
「仙人になったら、どうして人間関係を解消しなければいけないんだ?」
ぼくの疑問に妖鼠は「愚問ですね」と吐き捨てた。
「こうして、利用されるからですよ。それにどうせ死ぬ人間ごときに情が湧くなど、もってのほか。切り捨てることもできない半人前の仙人など、生きているだけで迷惑だ。愚かしい」
「じゃあ、妖鼠、君は切り捨てるのかい?」
「当然。もしも私に人間の家族がいれば、とっくの昔に殺しているだろう」
それを聞いてぼくは皮肉を込めて笑った。
「だったら、君のほうが愚かしいな」
「……なんだと?」
殺気が一層強くなる。
「ぼくは仙人になろうが、人間であろうが、決して家族と友人は見捨てない。必ず救ってみせる。君みたいに絶対切り捨てはしない」
ぼくは胸を張って、宣言した。
「妖鼠がぼくの愛すべき家族と友人を殺すと言ってくれてある意味助かったよ。これで遠慮なく君を殺すことができる。ぼくはただ君を殺すんじゃない。家族と友人と日輪を守る為に闘うんだ」
「それがなんだって言うんですかあ?」
今度は妖鼠の疑問をぼくが答える。
「分からないのか? まあ当然だね。愛は全てに勝るんだ」
「減らず口を――」
「鬼ごときには分からないよ。自分の家族を平然と殺せる、腐った性根の持ち主にはね」
ぼくは仙道の構えをした。
「ぼくは家族を守る。友人を守る。日輪を守る。守るべきものが何もない鬼ごときにぼくは負けない! さあ、始めよう」
ぼくは妖鼠を挑発するように意地悪く言った。
「来いよクズ野郎、スクラップにしてやる」
「それはこっちの台詞だ半人前がぁあああああああ!」
妖鼠は凄まじい勢いでぼくに――迫る。
しかし、怒りに任せた単調な攻撃。
ぼくはある程度予想できたので振り上げられた拳を半身になることで回避する。
右手で殴りかけてきたので右に避ける。
当然、妖鼠の左上半身ががら空きになるので、思いっきり殴りつける。
「く、ううぅう――」
顎を狙って殴ったけど、反射的に左手でガードした妖鼠によって阻まれる。
そのまま、バックステップでぼくから間合いを広げた。
ぼくは敢えて間合いを詰めることなく、日輪がいなくなったことを確認した。闘っているとき、日輪を狙われてしまうと庇いきれなくなるので、離れているように頼んだのだ。
「修行の成果が出てるな。お前の動きは全て見えているぞ、妖鼠!」
三日間の修行。その大部分は足技と回避だった。その回避でも足を使うので、相性が良く習得は容易だった。
「お主の仙気じゃと、一発でも当たれば重傷になるじゃろ。まずは避けること。そして相手の隙を突くことじゃ」
そう日輪に言われている。
元々、ぼくに多大な恨みを持つ妖鼠の怒りを買うことは簡単だった。結果として攻撃が単調で真っ直ぐになっているので、自分に有利に働いている。
「この私の動きが――読めるとでも!?」
「ああそうさ。今度はこっちから行くぞ!」
ぼくは仙気を脚に集中させて妖鼠に近づく。
三日間鍛えに鍛えた速度に、妖鼠が対応できるか分からないけど、それでも近づくしか攻撃の手段がなかった。
妖鼠の脚をへし折るように放つローキック。
日輪の言うとおり、金属バットを折ることができるキックだ。
妖鼠はぼくの蹴りを避けられずに、そのまま受ける――
「――く、くそ――」
片足が折れたかどうか分からないけど、とにかくバランスを崩れたところに、今度はハイキックを食らわす。
普通なら回避不可能。
しかし、これは避けられてしまう。
いや、バランスをわざと崩されたみたいだ。
わざと倒れこむことでぼくの目算より下に頭を落としたみたいだ。
だったら、これならどうだ!
ぼくは上げた脚をそのまま下に叩きつける。
かかと落としだ。
倒れこむことで回避はできたが、防御も次なる回避もできない。
これが決まれば、勝負は決する――
「なめるなあああ!」
妖鼠は首を捻り、かかと落としが脳天に炸裂するのを避ける。
しかし、ぼくのかかと落としは代わりに右肩に直撃する。
打撃は骨まで達する。
ベキベキと音を立てて肩の骨が割れる音が響いた。
だけど妖鼠は悲鳴や叫び声を上げることなく左手でぼくの脚を掴み、あろうことかそのまま投げ飛ばした。
信じられないほどの腕力。
怪我をしたとは思えない胆力。
結果として空中に投げ飛ばされることとなったぼくは妖鼠の追撃に備えて身体を固める。
けれど、妖鼠はぼくに追撃をかけることはなかった。
眼の端で追うと、どうやら立ち上がるのに苦労しているようだった。
ぼくは空中で体勢を整えて、妖鼠を見据えながら、間合いを空けた。
妖鼠は木を支えに立ち上がる。
今度は油断もなく、表面上は怒りもなく、隙のない立ち姿にぼくは構えをして、出方を見る。
「まるで別人ですね……三日前とは大違いだ。あなた、どんな修行をしたんですか?」
妖鼠の疑問にぼくは「怪我の回復を待っているなら、大間違いだぞ」と言う。
「そもそも答える義務もないからな。それに怪我をしようが、お前を倒すことに変わりはない。手心も加えない」
「ふふ、そうですか――」
そう言うと妖鼠は胸ポケットから小刀を取り出した。時代劇とかで見る、脇差のようなもの。
「私は徒手空拳は苦手でしてね。使わせてもらいますよ」
そう言って鞘を捨て、片手に持ち腰を落とす。
どうやら本気になったようだ。ぼくは刃物を気に留めつつ、ぼくは仙気を両脚に集中させて、先ほどよりも速いイメージを持って、接近した。
小刀を持つのは右手。ぼくは左側から回り込む――
「シャアア!」
まるでぼくの動きを予測していたのように俊敏な動きで小刀をぼくに突き立てる。
右目に刃先が刺さろうとしている。
ぼくはさっき妖鼠がしたように首を反らすことで刃先を右目から右頬へずらす。
切られた感触は――熱い。
ぼくはそれを構うことなく、がら空きになった脇腹に蹴りを叩き込む。
しかし、踏み込みが甘いせいか、そこまでのダメージを与えることができない。
ぼくは仕方なく間合いを空けて後ろに下がる――
「逃がさん!」
妖鼠は逆にぼくとの間合いを詰める。
なのでもう一歩下がろうとして――木に当たってしまう。
一瞬の思考停止。
その僅かな隙をついて、妖鼠がぼくの心臓めがけて小刀を突き立てる。
ぼくはとっさに――その場に座り込んだ。
ほとんど反射だった。
ザシュという音。小刀が木に刺さったようだ。
「オラァ!」
ぼくは小刀を抜こうとして無防備になった胸をめがけて、飛び上がるように殴りつけた。
妖鼠は後ろに吹き飛び、背後にあった大木にぶつかり、少しよろけた。
小刀はぼくの後ろの木に刺さったまま。
――好機だ。
ぼくはそのまま妖鼠に突貫して、右足に仙気のほとんどを集中させて、前蹴りをした。
「か、はあ――」
鳩尾当たりに命中して、妖鼠の身体がくの字に曲がる。
ぼくは両手に仙気を集中させて、妖鼠を殴る。
殴って殴って殴る。
コーナーに追い詰められたボクサーのように容赦なく殴った。
妖鼠は両腕でガードしているけど、ぼくは冷静にガードをくぐり抜けるように殴り続ける。
血しぶきが舞い、返り血を浴びた。
ぼくが仙気を集中させて殴ると、コンクリートの壁くらいなら十発で壊せるくらいの破壊力を有すだろう。
いくら頑健な鬼だろうと、耐えることはできない。
鬼にも痛覚もある。それは日輪から聞いたとおりだ。
殴打の末に妖鼠の後ろになる木が折れそうな音が鳴る。
ぼくはガードをしなくなった妖鼠に最後の攻撃とばかりに右手に仙気を集中させて、思いっきり振り上げて――
殴ろうとした瞬間だった。
「死ね、十六夜こころ」
ざくりという肉の切れた音。
背中に走る痛み。
ぼくは後ろを振り返る。
肩甲骨に小刀が突き刺さっていた。
しかしそれよりも強烈な出来事があった。
ぼくに小刀を突き刺したのは――
殴られているはずの妖鼠だった。




