修行と戦闘 その3
「なんでそんな無茶をしたの!」
帰って早々に怒られてしまった。
もちろん、怒っているのはゆめ姉で、部活に行っているはずのゆめ姉が家にいるのかというと、ゆかりが呼んだからだ。
「こころちゃん、言ったよね! だから鬼と闘うのはやめてって、言ったよね!」
「ゆめ姉、落ち着いてよ。ほらぼく生きてるじゃん」
「そういう問題じゃないの!」
ゆめ姉に怒られるのは久しぶりだ。だけどこんなに怒っているのは初めてかも。
「日輪さんと怪我の度合いは違うけど、それでも頬が腫れてるじゃない!」
「だ、大丈夫だって! 日輪に治し方教えてもらったし」
仙気を頬に集中させて、治癒力を高める。このとき、自分の元通りの顔をイメージするといいらしい。
初めての試みなので、三十分かかった。
「ほら! 治ったじゃん!」
「そういう問題じゃないの! もう少しで死にそうだったって――」
「十六夜ゆめよ。その辺にしといてくれ」
怪我がすっかり治った日輪が仲裁してくれるみたいだ。どうやら、妖鼠と離れると回復ができるみたいだ。どういう原理か知らないけど。
「ワシを助けるためにやったのじゃ。少しは手心を加えても――」
「そうだね、日輪さんが一番悪いね!」
今度は日輪に矛先が回ったらしい。
「あなたの見通しとやらが悪いせいで、こころちゃんが酷い目に遭ったの! その責任をどう取る気!?」
「いや、酷い目って、ワシのほうが重症じゃったのだが――」
「もう治っているし、あなたの場合は自業自得だよ!」
うう、ゆめ姉が怖い……
助けを求めようと、ゆかりの目を見ると、「あんたも自業自得だわ」という表情をした。
「まったく、二人とも馬鹿なんだから!」
「分かった分かった。もう分かったから、次に移って良いか?」
「――っ! 反省してるの!?」
「うむ、しとる。さて、これからの展望を話そう」
日輪はゆめ姉を軽くあしらって、言う。
まるで反省をしていない風だ。
「この、その、もう!」
ゆめ姉は怒りの余り、声が出なくなったみたいだ。
日輪のその強いハートを尊敬はしないけど、憧れはするなあ。
真似しようとは思わないけど。
「まず、今回の敵、子の名を持つ十二鬼が一体、妖鼠の対策についてじゃ」
そしてそのまま、始まってしまった。
「あやつの特鬼仙力によって、ワシの居場所はばれてしまった。しかし今すぐこの土地を去る必要はない」
「どうしてだ? 妖鼠が手傷を負った今、逃げるのは簡単じゃないか?」
「あやつの特鬼仙力に対しては意味がないと推測される。たった数時間でワシを見つけたのじゃからの。逃げるだけ無駄じゃ」
ああ、そういう意味で逃げる必要はないんだ。
「その、さっきから言っている特鬼仙力ってなんなんだ?」
「ああ、これは鬼が備えておる固有能力じゃ。仙法とまではいかないが、仙術程度の威力や効能がある」
「……それをなぜ、説明してくれなかったんだ?」
「話しても不安になるだけじゃと思ったからじゃ。じゃから直前に話そうと思ったのじゃ」
「直前じゃあ対策できないだろ!」
何考えているんだこの仙人は。
「日輪は十二鬼の特鬼仙力を知らなかったのか?」
「知らん。興味もないしな。ワシはあやつの所有物に何も関心が湧かん」
「いや、ゲームをやるんだったら事前に調べろよ」
「お主は初見のげーむを攻略本を見ながらぷれいするのか?」
いや、まあ、しないけどさ……
「それで、妖鼠の特鬼仙力は?」
「うん?」
「だから妖鼠の特鬼仙力の詳細だよ」
「……分からん」
「はあ!?」
「あやつはワシの前では特鬼仙力を使わなかった」
日輪は肩を竦めた。
「だから、あやつがどうやってワシを見つけたのか、皆目見当もつかん」
「つまり――こういうことかしら」
ゆかりは頭痛を抑えるように頭に手をやりながら言った。
「敵の能力も分からず、こっちは半人前だとバレて、それで敵は油断も侮りもせず、ただただこころを殺しに来るのね」
……それってやばくない?
「ふむ、聞く限り最悪じゃの」
「なあ、日輪。どうすればいいんだ?」
ぼくは日輪に訊ねる。
「このまま修行を続けて、倒せるのか?」
「その前に試したいことがあるんじゃが」
日輪はいつの間にか水の入ったコップを持っていた。それをテーブルの机に置いた。
「発散と吸収を同時にやるんじゃ。ただし右手と左手で分けずに、両手で行なうんじゃ」
「分けてできないのに、両方でできるとは思えないんだけど」
「いいからやれい。今のお主ならできるじゃろ」
根拠があるのか半信半疑だったけど、言われたとおりにやってみる。
手に仙気を集中させて、一気に発散と吸収を行なう。
「――っ! あれぇ?」
「……なにそれ? どうなってるのよ?」
「不思議だね……」
ぼくらは驚いた。いや、やったぼくが驚くのはおかしいと思ったけど。
沸騰しながら冷却されている――!
「ふむ。やはりと言うべきか、できておるのう。上首尾じゃの」
提案した日輪はのほほんとしていた。
「な、なんでできるように――」
「発散と吸収を同時に行なうにはもう一つ、仙気を集中させる必要があるんじゃ」
「いや、仙気は集中させてやっていたけど、それでもできなかったよ?」
「集中が足らんかったのじゃ。しかし、妖鼠との闘いで脚に仙気を集中させて素早く移動ができるようになったじゃろ? その経験が影響しておるのじゃ」
だから、できるようになったんだ。経験が生かされるなんて本当にゲームみたいだ。
「これなら、妖鼠との闘いも有利に進められるじゃろ。仙気の扱いもできるようになれたなら、次の段階、仙道を始めても良いな」
これでようやく、仙気を習得できたのか。
「仙気の修行はこれで終わりではない。十六夜こころよ、まずは仙気を全身に巡らせて、発散と吸収、そして集中を行なうのじゃ」
「う、うん。やってみる」
ぼくは立ち上がり、心臓に蓄えていた仙気を一気に発散、そして吸収を行なった。
青い仙気がぼくを包み込む。
「その状態を一時間維持できたら、仙道の修行に入る。できるだけ自然とできるようになるんじゃ。人間が呼吸を意識せずにできるようにじゃ」
ぼくはそのまま動かずに続けた。
「さてと、それまで暇じゃから、寝るとするかの――」
「その前にやることがあるんじゃない?」
ゆめ姉はまだ怒っていた。
「うん? なんじゃ?」
「いい加減、窓を直してくれないかな?」
あ、そういえば、そうだった。
ガラスも片付けていない。そのままだ。
「ああ、忘れておった。では、ささっと直すぞ……ほれ!」
日輪が手を振ると、ガラスがジクソーパズルのようにつながっていく。
「これでよかろう? ならばワシは少し休む。鬼ごときに体力と仙気を消費してしまって疲れたのじゃ」
「うん? 仙気は吸収できるからプラスマイナスゼロじゃないのか?」
「お主も体験したはずじゃ。仙気を使ったり回復したりを繰り返すと、徒労感を感じたじゃろう」
そういえば、疲れてないのに疲れがあった気がする。
「その修行も同じことじゃ。精神力を使うからな。だからといって吸収の割合を多くするでないぞ。必ず半分ずつを目安にやるのじゃよ」
難しいことをさらりと言う。
ぼくはこの数日の間分かったことは、仙気の割合を計るのが苦手のようだ。
苦手は克服しないといけない。
「それでは、一時間後に、じゃ」
そう言って、天井まで浮かび上がり、背を天井について寝ようとしたときだった。
「ねえ、その妖鼠がここに来ることはないの?」
「あ、そういえば、そうだね」
ゆめ姉に指摘されるまで、気がつかなかった。
「あれだけの手傷を負わせたのじゃ。今日明日は来ないじゃろ。会話して分かるが、あやつは慢心こそあるが、敵に対しては真剣に臨んでおった」
「つまり、次に来るのは、三日後かな?」
ぼくが呟くように言うと「まあ妥当かのう」と日輪は応じた。
「早ければの。ワシなら即日やるがな。それに、あやつは傷を治すのと同じく十六夜こころの調査を行なうじゃろうな」
「調査? 探偵みたいだね」
「敵を知ることは重要じゃからな」
ならなんで十二鬼の特鬼仙力を知らないんだ調べておけよこんちきしょうと思ったけど口には出さなかった。
「もうよいか? そろそろ眠気が襲ってくるわい」
「ああ、もういいよ。おやすみ日輪」
「おやすみ、じゃ」
日輪が天井に寝そべって寝息を立てて眠ると、ゆめ姉が「本当に大丈夫なの?」訊いてくる。
「まあ大丈夫だと思うよ。半人前でもダメージ入れられたし」
「鬼ってどんな感じなのよ」
ゆかりはさっきから気になっていたらしい。
「普通の人間と変わりないよ。角や牙はなかったし、ぼくよりも背が低いしね」
「それでも苦戦したんでしょ?」
ゆめ姉が溜息交じりに言った。
「握力とか腕力は人間以上だったけど、それでも次はぼくが勝つよ」
「根拠はあるのかしら?」
「ゆかり、そのために修行をしてるんだ。もらった三日間でより強くなってやるんだ」
「……ねえ、私が気になっていること言ってもいいかしら」
ゆかりが改まって話し始める。ぼくもゆめ姉も耳を傾ける。
「仙人の修行って、自分を鍛えて、強くなるための修行よね。じゃあ何と闘うために強くなるのよ?」
「それは――」
ぼくは素直に「仙人同士かな?」と答えた。
「でもこころちゃん、そうなるとますますおかしくない?」
ゆめ姉が何かに気づいたみたいだ。
「仙人同士で闘うなら、わざわざ、日輪さんの言うゲームをやる必要はないじゃん」
「……そうだね。仙人同士が闘えば、こんな面倒くさいゲームをやる必要はないよね」
しかもこのゲームは鬼退治ではなく鬼ごっこだ。逃げることを前提に成り立っている。
闘うのではなく、逃げることを主眼に置いているゲームだ。
「日輪を殺そうとしているのがルールとして成立しているのは、仙人は死んでも死なないから。桃源郷とやらに行くとしてもいずれは甦る。だから平気と言えば平気なのよ」
「じゃあ、ゆかり。つまり仙人は仙人同士と闘うことは許されていないってこと?」
「仙人より遥かに弱い鬼を使う時点で、それは正解に近いかも。まあ理由は分からないけど、仙人のルールや掟かもしれないわ」
それこそ、日輪に訊かないと分からない事柄だ。
「まあそれでもぼくが闘うことに変わりはないよ。鬼ごっこが鬼退治に変わっても、何ら反則でも違反でもないんだから」
「まだ、話は終わっていないわよ」
ゆかりはここから本番と言わんばかりな表情をした。つまり、真面目な顔ってこと。
「最初の質問に戻るわ。仙人は一体何と闘うために強くなるのよ?」
「……? 鬼とかじゃないのか?」
「仙人に成りたての半人前でも傷を負わせるような弱い鬼のために、そこまで強くなる必要ないわよ」
「ゆかりちゃん、つまりこう言いたいの?」
ゆめ姉は静かに言った。
「仙人以外の、私たちが知らない、強い存在が居て、それを倒すために仙人は強くなる修行を行なっているわけ?」
「そうです。仙人が修行しなければいけないくらいの強者がこの世界に居る。私はそう確信しています」
鬼であれだけ強くて大変なのに、そのまた強い存在があるのか。
なんか途方もない話だ。
「日輪に訊けばあっさり教えてくれそうだけどな」
「日輪は信用ならないわ。特鬼仙力だとか意図的に情報を隠しているところがあるし」
「私もそう思うな。日輪さん、わざと隠しているところもあるし」
どうやら、二人は日輪に不信感を持っているらしい。
ぼくも全面的に信じてはいないけど、同時に信じたい気持ちも少なからずあった。
「別に庇うつもりはないけどさ、日輪にも事情があるんじゃないの?」
「こころ、どんな事情があって隠しているのよ?」
ぼくはない知恵を絞って考える。
「たとえばさ、さっき言っていたルールや掟で決まっていたんじゃないの?」
「どんなルールよ」
「人間にはその、便宜上、強者と呼ぶけど、その強者の情報を人間に言ってはいけないとか」
思いつきにしてはいい読みだと自負した。
「どうして教えちゃいけないのよ?」
「そんなのいろんな理由があるよ。人間に言うと不安を増長させるとか、人間には感知できないとか、そもそも信じてくれないからとか。ぼくには想像できないけど」
「それなら、こころちゃんにはちゃんと説明すると思うけど」
ゆめ姉が鋭いことを言ってくる。
「半人前の仙人には言えないみたいな掟があるのかもしれないよ?」
「また掟、ね……それだと私たちは確認できないわ。日輪に訊こうと思っても、嘘つかれてしまえば真偽がはっきりしないわ」
こういうのって悪魔の証明っていうんだっけ?
「こころ、あんたは日輪のこと、信用しているの?」
「率直に言えば、半信半疑だ」
「つまり、半分は信用しているのね」
「恩人だしね。歩けないぼくを歩けるようにしてくれただけで、半分は信用できるよ」
「……そう言われてしまえば、何も言えないわね」
ゆかりはお手上げとばかりに両手を広げる。
「こころちゃん。あなたがいくら信用しても構わないけど、用心してほしいの」
ゆめ姉が念押ししてきた。
「これから一年間、いえ一生あなたは日輪さんの弟子として接していく。だけど、納得できないことがあったら、ちゃんと嫌だって言えるようにするんだよ?」
ぼくはその言葉に――
「うん。分かったよ」
と答えた。それが本心かその場しのぎなのか、自分でも分からなかった。
その後、きっちり一時間の睡眠をした日輪はぼくの修行の結果を見ると「悪くないのう」と言った。
「これなら仙道の修行に入れるじゃろ。仙気と違って感覚ではなく体感で覚えるのじゃから、習得が早いじゃろう」
「仙気よりも簡単なのか?」
「仙気の修行ありきの仙道じゃ。仙気がしっかりしていれば、仙道も覚えやすいのじゃよ」
そういうものか。何事も基礎が大事なんだな。
「仙道の修行に入る前に、どの技がお主に合うのか試しておこう。どれ、お主はどこが一番仙気を集中しやすく、もっとも力を発揮しやすいんじゃ?」
「うん? いや、試したことないから、今やってもいいかな?」
「おう。やるがよい」
ぼくは身体中の部位に仙気を集中させた。そして結果的に、両脚にもっとも力強く集中させることができると分かった。
「ふむ。脚か。ワシの予想通りじゃな」
「そうなのか? どうやって両脚だって分かったんだ?」
「仙気と仙術で治した部位は仙気を集めやすいのじゃよ。骨折した箇所がそれ以前よりも強くなるのと同じじゃな」
そういえば、妖鼠に近づくときもなんかしっくりきたんだよなあ。
「それでは足技を中心に鍛えよう。何、ワシが教えるのじゃから、すぐに達人になれるじゃろ」
「達人って、どんなぐらいだ? 木製バットが折れるくらいか?」
「金属ばっとが折れるくらいじゃ。さあ、修行を始めるぞ」
こうして仙道の修行が始まった。
ゆかりが言っていた、仙人が強くなる理由を、ぼくはこのとき訊くべきだったのかもしれない。後々後悔すると分かっていたら、訊くべきだった。
だけど、訊かなかった。
なぜか訊いてしまえば、もう戻れない気がしたのだ。
何から戻れないか、明確にははっきりしないけど。
だから無心で修行をした。
来るべき決戦のために、必死で鍛えた。
そして――三日が過ぎた。




