身分
大変お待たせしてました。すいません。
「なにを、している」
何度目かの誰何の声が響く。冷たく感情を感じさせない声は、仲間であるはずの男たちを牽制するには充分なものだった。
「それがな。こ、この女」
一人の男がアンヌの腕を引っ張って示す。力任せに掴まれた腕は鈍い痛みを訴え始めていたが、下手に抵抗して男たちの神経を逆なでする可能性を考えれば、大人しくされるがままになっているのが正しい気がした。それでも腕を取る無礼な男から視線を逸らしはしない。逸らせば負けを認めた気がして、アンヌの中にあるプライドが許さなかったのだ。
だが男たちは女一人の視線になど、意に介することはない。
「この女がなんだ」
「公爵令嬢なんだぜ!」
まるで自分の手柄であるとでも言いたいのだろうか。男はすごい情報を教えてやっていると言わんばかりに目をぎらつかせていた。その瞳には見栄や虚栄心というものがハッキリと見えており、アンヌは腹の奥から、ゾワリとした嫌悪感が沸き上がるのを止めることは出来なかった。
そして自分の身分が晒された事への恐怖。この先自分がどう扱われるのか分からないのだ。これを恐怖せずいられるはずもない。
「だからなんだ」
しかし、ジトゥカの返答は淡々とした―――いっそ冷酷な声だった。
「だからさ、この女は金になるってんだよ」
「そうだぜ。精霊見えないらしい女なんて、今回の仕事の対象外だろ?」
今まで黙っていた残り二人の男たちが目をぎらつかせてアンヌを見た。彼らの目に、アンヌは『金蔓』として映っているのだと思い知らされる。
「しかもこの髪、これだけでも金になると思わねぇ?髪と体でばらして売れば、さ」
手持無沙汰だったのか、男がアンヌの髪に指を絡める。髪は埃や油で汚れていたが、日常から手入れをされている髪は、男の指を楽しませるには充分な艶やかさだった。
その様子を横目で見ていたジトゥカだったが、金色の瞳を伏せると小さくため息をついた。そしてアンヌの腕を取っていた男の手首を素早く捻り上げた。
「いてぇ!」
男の悲鳴とアンヌが床に尻餅をついたのは同時だった。ライナはすぐにアンヌの傍に駆け寄り、震えるその肩を抱きしめた。ソニールも駆け寄ろうとし―――公爵令嬢という肩書を思い出したことにより逡巡してしまい、駆け寄る機会を失い立ち尽くしたままだった。
「くそ、離せっ」
「残念だが、その女は渡せない」
「……どういうことだよ」
腕を取られたままの男は涙目になって騒いでいたが、残り二人は冷静に……いや、不審な目でジトゥカを見据えていた。
「俺の主の指示だ。リグリアセット公爵令嬢はこのまま一緒に連れて行く」
「―――そんな話、聞いてねぇんだけどよ?」
「令嬢は、それ相応の方へ引き渡されることが決まっている」
「おいおい、勝手に仕切られても困んだよジトゥカ」
険呑な空気が地下室に漂い始め、男たち3人はジトゥカと正面から睨み合っていた。
いや、睨んでいるのは男たちだけで、ジトゥカの視界には彼らのことなど入っていなかったというのが正しいのかもしれない。例え三人で切り掛られたとしても、ジトゥカは一滴の血も流さず勝てる自信があったからだ。
その自信は体から溢れるものではなく、ただ静かに金色の視線から発せられていた。殴りかかろうとしていた男たちの動きを、射竦めることで止めてしまうほどに。
「おまえ達の主は、俺の主ではない」
感情の読めない瞳と、圧倒的な威圧感に男たちはそれ以上騒ぐことを断念したようだ。大体にして、アンヌを売り払った金を三人だけで山分けしようとしていた事が、他の仲間にばれたとしても何らかの制裁を受けるだろう。それであるならば、ここは一旦引くほうが得策だと判断したようだ。
「……ちっ、行くぞ」
「ジトゥカ、鍵かけとけよ」
「覚えてろ、くそっ」
三人三様それぞれ何か一言を残し、地下室を出て行った。ジトゥカはそれを無言で見送り、室内に素早く視線を走らせた。残されたのは怯える子供たちと肩を抱きしめあうライナとアンヌ。立ち竦むしかないソニールだ。
「怪我は」
「……」
事務的な問いかけだったが、怪我の有無を心配してきたことが一番驚きだった。今まで散々な扱いをしておいて、何を今さら!というのが本音である。だが手のひらを返される可能性がある限り、それを声に出すことは出来ない。
「無いのならいい」
ジトゥカは返事が無いことを都合のいい方へと解釈したようだ。そして何かに気付いたように狭い地下室を見渡す。何かを探しているようであり、不思議がっているような雰囲気でもあった。
「……空気が―――」
淀んでいた空気が澄んでいる事に気が付いたようだった。先程来た三人組は気づきもしなかったのに、ジトゥカは地下室に似つかわしくない清浄な空気に気が付いたようだ。
くるりと室内を見渡すると、ライナに視線を向ける。一瞬の迷いもなく向けられた視線に、ライナは知らず体を強張らせた。暗闇の中でもジトゥカの金色の瞳は存在を主張するように怪しく光って見えた。
「なるほど」
じっとライナだけを見ていたジトゥカだったが、何かに納得したように頷くと、特に言い残すことも無く背を向け、地下室をあとにした。
バタン―――カチッ
鉄の扉は閉められ、きちんと鍵をかけた音が響いた。その瞬間、地下室に閉じ込められている各々が安堵の息を吐きだした。
「……笑えるわ。また閉じ込められたのに、肩の力が抜けるなんて」
アンヌは自嘲気味の笑い声だったが、未だ小さく震えていた。肩を抱き合っていたライナには、その震えが如実に伝わってくる。ライナは震えつづける手を両手で包み込んだ。
「ありがとう、ライナ」
「……」
男に引きずられた事が恐怖だったのではない。一人引き離される未来を想像して恐怖が湧き上がってきたのだ。こんなところに閉じ込められても、ライナがいてソニールがいて、他にも子供たちがいて。自分一人ではないと思えたからこそ我慢できていたものが、いきなり取り上げられるかと思い、それが怖かった。
「頼りなくて、ごめんね」
「―――」
弱弱しい声にライナは首を横に振るだけしか出来なかった。そんなライナとアンヌのやり取りを見続けていたソニールは、意を決したように口を開いた。
「公爵令嬢って、本当なのか?」
「……ええ、そうよ」
持ち出された話題に、アンヌはソニールの目を真っ直ぐに見て答えた。アンヌの身分を知り、ソニールは固まってしまった。つまりは―――
「公爵って……あの愚王の弟なんだろ……」
こういうことなのだ。
「アンヌの叔父が愚王ってことかよ……」
「生まれる前の事だから会ったことはないけれど、血筋だけを辿ればそうなるわ」
ソニールもロットウェル出身者なのだろう。愚王の歴史は反面教師の意味合いもあり、多くの人々に語り継がれている。それは血腥く、無様で愚かな封じてしまいたいロットウェルの汚点の歴史だ。その中心人物となった愚王ビースライと血縁にある存在が目の前にいる。
「ソニール」
「……なに」
「あなたは、血筋で人を見る?それともわたくしという個人を見てくれる?」
アンヌの静かな問いかけに、ソニールは何か言いかけた口を閉ざし俯いた。
アンヌにだってわかっている。愚王と呼ばれた叔父は、国民から総じて恨まれており、いまだにその墓に参るような民もいないという。だが、政変からこれだけの年月が経過してなお、当時を知らぬ者たちにまで恨まれ続けているこの血筋を、アンヌ自身も嫌っていた。けれど生まれは変えられないし、血を入れ替える事も出来ないのだ。
「あなたが、わたくしという個人を見てくれることを願うわ」
アンヌは少し寂しそうに呟いた。その顔を見てソニールは唇を引き結ぶと、座り込んだままだったアンヌの前に座り、視線を合わせた。
「ソニール?」
「二人がなんだっていい。だって今は、一緒に囚われの身だろ?」
少し照れたような笑顔。そして続いて差し出された手のひら。アンヌとライナはぱっと表情を明るくした。
「ありがとう、ソニール!」
「うわっ」
ライナとアンヌは差し出された手のひらを握ると、思いっきりソニールを引っ張った。当然、ソニールは体勢を崩し、そのまま縺れ合うように三人で床に転がることになる。
「いてぇ〜。……ぷは、とんだお嬢様だ、あはははっ」
ソニールの笑い声が響き、釣られたようにライナとアンヌも笑みをこぼした。
いつの間にか、体の震えは止まっていた。
だが、そんな穏やかな時間は1時間後に破られることになる。
「出ろ」
乱暴に開けられた鉄の扉の先には、武装した男たちがいた。荒くれ者と一言で言い表すことができる粗野な雰囲気の男たちだ。
「外に出たら馬車に積み込んである箱に入れ。チビは二人で一箱だ」
ピリピリとした空気が漂い、下手に抵抗や反論をすればすぐに手を下されるような、そんな緊張感が辺りを包んでいた。男たちに小突くように地下室から出された。久しぶりの外に感激する間もなく、幼い子供たちは二人一組で箱に押し込められ、ライナたちはそれぞれ一つの箱に入れられると、すぐに封がされた。
まだ夕暮れだった。一瞬だったとはいえ、久しぶりに見た太陽は眩しくて暖かかった。次に太陽が見れるのはいつなのか……見れる日が来るのか……再び膝を抱えて体を縮め、先の見えない恐怖と戦う時間がやって来た。
「残ってねぇな」
「全員だ」
「おら、行くぞ」
男たちの怒声にも似た声が響き、馬に鞭が当てられた。大きな振動と共に箱自体が揺れ、体と頭をぶつけてしまう。
―――怖いのに。どうなるのか、わからなくて怖いのに……。
ライナは付けられたままの精霊封じの腕輪をそっと撫でた。
―――どうしてこんなに、体の奥が熱いんだろう。
ガタゴトと揺れる音に掻き消され、腕輪がぴしりと音を立てたことにライナも気づかなかった。
(一応)主役はライナです。
アンヌじゃないです、きっと!!(汗)




