別館の住民
「あ、あなた!いったいどういうおつもりですの!?こんなグレイが拾ってきた娘に侍女など必要ないでしょう!別館に住まわせ、食事もわたくしたちと同じものを食べ、さらにニーナを侍女だなんて……!わたくしは何も聞いておりませんわよ!」
ファヴォリーニの言葉に硬直していたミラビリスだったが、すぐにその内容を理解して声を荒げた。その言葉の数々には毒があり、ライナを怯えさせるには充分なものだった。
「どうしても侍女が必要ならば、わたくしが選んで差し上げます!」
自分が心許したニーナを、まさか保護しているだけの娘に付けようとするなんて!
ミラビリスの心中は荒れ狂っていた。しかもファヴォリーニ自身が、ミラビリスも気づかぬうちにこの短期間で打診して決定したことなのだ。つまり、ファヴォリーニは、ライナを特別な存在として……もしくはなんらかの利用価値があると確信しているということになる。グレイの婚約者として大切にしてきたアンヌには、ほとんど見向きもしないというのに、突然現れた貧相な小娘を大切にしようとしている理由がミラビリスには理解できなかったし、しようとも思わなかった。
普段使用していない別館に住まわすことも承服しかねる出来事だったが、顔を合わせる機会など限られていると思っていたし、自分から訪ねることも無いので、好きにすればいいと自分を納得させたのだ。だが、蓋を開けてみれば食事は共に摂ることになっているし、ニーナを侍女に付けるという。何も言わないので、同じ考えだと思っていたはずのファヴォリーニまで態度を変えてきた。なんだというのだ、まったく!
「わたくしが、そこの娘に見合った侍女を付けてあげましょう。それで―――」
「その判断はお前がするものではない」
高々と宣言したミラビリスの発言を遮ったのは、眼光鋭く見据えていたファヴォリーニだった。夫の厳しい視線に、言葉を途切れさせ唇を噛んだ。
「グレイ。ニーナ一人の給金、おまえの稼ぎで賄えるだろう。出来ないのなら、ミラビリスのいうように、別の侍女を付ける。お前が当主だ、お前が決めろ」
父の言葉にグレイは姿勢を正した。そして悔しそうにしている母を見る。結論が見えているがための、この表情だ。
「ニーナは俺が雇います、ライナ専属の侍女として」
きっぱりと言い放ち、ファヴォリーニに頭を下げた。それを満足そうに見た後、隣にいたニーナへ見配らせする。ニーナはそれに頷き返すとゆっくりと歩いてグレイの前に立った。
ドレスの裾をつまみ、美しいお手本のようなお辞儀を披露する。
「よろしくお願いいたします、グレイ様」
ぼっちゃん、と呼んでいたニーナはそこで初めてグレイの名前を呼んだのだった。
ライナとグレイ、そしてジュネスとニーナは別館へ移動した。あのあと、ミラビリスは悔しげに席を立つと、早々と自室に引きこもってしまった。ミラビリスには専属の侍女はなく(自身の癇癪が原因で侍女が辞めて以来、ファヴォリーニに外された)、もしかしたら、それを羨んだ行動だったのかもしれないが、本心はただ『悔しかった』だけだろうと思う。何に対しての悔しさだったのか、考えればキリがないが。
ただ、爆発の原因はニーナを取られたこと。今は屋敷を離れていたとはいえ、グレイの乳母として心許せる存在だったニーナを、転がり込んできたライナに取られたことが悔しかったのだと思われる。これがもし、ニーナではないほかの女性であれば、ミラビリスはあのように強固な態度はとらなかっただろう。
グレイに手を引かれながら、ミラビリスの悔しいと悲しいが織り交ざった瞳を思い出し、ライナは無意識にため息をついた。
「ライナ、見苦しいもの見せてごめんね」
グレイは前を向いたまま、少し沈んだ声を出した。ライナは思わず首を振るが、その様子はグレイには見えていなかった。
「母は、選民意識が強い人でね……ここに嫁いできたのも『バーガイル伯爵家』だったからだし、一人目で俺という男児が生まれ、跡取りが出来たから……それで満足した母は―――俺には弟妹を与えてはくれなかったんだよ」
父が怪我を機に、時期早々と言われても強硬にグレイへと爵位を譲ったのは、母を少しでも早く権力から遠ざけようとしていたのかもしれない。今ならそう思える。
「ライナは何も気にしなくていい。ファーラル師匠の言っていた通り、ここでたくさん学んで糧にすればいいんだからね」
そういうと、グレイはまっすぐ前方だけを見ていた視線を、ライナへと向けた。その視線は柔らかで、けれど少し寂しそうで、ライナはただ頷くことしかできなかった。
別館の居間に到着すると、さっそくニーナがライナの正面を陣取った。
「ご挨拶が遅くなりました。ニーナと申します。こちらの別館にお部屋を頂き、ライナお嬢様がお暮しになるお手伝いをいたします。なんなりとお申し付けくださいませね」
にこにこと笑顔を向けてくるニーナは、包み込むような温かい雰囲気のある女性で、ライナは思わず母を思い出して目を潤ませた。
「まぁ、どうなさったのかしら。お嬢様?」
嗚咽も出せない喉でよかったと、この時だけは少し感謝した。けれど赤くなっていく目元は隠せず、ライナは乱暴に涙をぬぐった。
「あらダメですよ、そんな無理矢理しては」
ニーナはポケットからハンカチを取り出すと、ライナの手を取って顔から離し、優しく涙を拭っていった。暖かく柔らかい手が、ライナの手を握っている。グレイの手は硬くて大きい安心感があるものだったけれど、ニーナのそれは全然違った。
それは―――母親の手だった。
家事をして、子供を育て、時には仕事で手が荒れることもある。それを厭わず暮らしている、貴族ではない母親の手だった。
「―――、―――!」
ボロボロと、さらに涙が溢れてきたライナに、さすがのニーナも慌てふためいた。まだ紹介しかしていないのだが、いったいなにが彼女の琴線に触れたのか分からなかったのだ。
「ぼっちゃま、どういたしましょう」
思わず呼び方が『ぼっちゃま』に戻っていたが、誰も気にしていない。グレイも泣き止まないライナを流石に放っておけず、慌てて傍に駆け寄ると小さく震える体を抱きしめた。なんの厭いもなく少女を抱きしめたグレイに、ニーナは目を見開いた。
「ライナ、ここにいるから……」
「――……」
グレイの襟元に顔をうずめ、声もなく泣き続けるライナ。ただ背を撫でることしかできない無力感を感じながら、黙って見ていたニーナに顔を向けた。
「ニーナ、ライナはご両親ともに、あまり……よくない亡くなり方をしている。母親は、つい最近に……あと、声が出ないんだ。すまないが、心を配ってやってくれ」
「……!」
グレイの言葉に、ニーナは息を呑んだ。そしてそれを聞いてようやくライナが泣き出した理由が分かった。
「声のことは、先にクレールさんから聞いておりましたが……そうでしたか―――。ぼっちゃま、ご安心してお任せください。ライナお嬢様は、わたくしがお守りいたします」
「心強いけど、俺がいるときは俺が守るよ」
「ぼっちゃまから、ライナお嬢様を守るような事態にさせないでくださいませね」
見事な切り返しに、グレイは返答できずに口ごもった。そうしている間に、ジュネスがライナ用にと用意してあったショールを取ってきて、今も震えるその肩にふわりと掛けた。
「ライナ。顔を上げてごらん。ここには魔女はいないから」
「!」
耳慣れない単語に、思わずライナはそろりと顔を上げた。すると目の前にある、最近見慣れた端正な顔立ち。微笑んでいるけど、少し心配そうな瞳が自分を見つめている。
「ぼっちゃま、もしや魔女とはミラビリス様の事ですか!?」
「他にいないだろう」
さらりと言いながら、ライナの鼻の頭にそっと触れるだけの口付けを落とした。小さなリップ音が聞こえて、ライナは泣いていた時とは違う意味で顔を赤らめ、ジュネスは主の手の速さに時間を止め、ニーナは今まで知っていたはずの人物とのギャップに呆然とした。
「ぼっちゃま!なんてことを!」
だが、さすがに呆然としていた時間は短い。すぐに現実に戻ってくるとグレイの鼻をつまみ上げた。
「いたたたたたたっ」
「ふしだらですよ、ぼっちゃま!」
「ごめん、ごめん……いたたたっ」
衝撃でライナから腕を離したグレイは鼻を押さえて蹲っていたが、そんな様子を見ていたライナが、静かに笑っているのを見て、痛みの代償としては安いものだと思いなおした。
無力で身寄りもなく、声も出ない少女と、身分もあり美丈夫で、国に仕える【魔法士】である青年。そんな二人の間に流れているのは、暖かくて優しい空気だった。ニーナはこの短期間でファヴォリーニの考えたが分かった気がした。
彼らを引き離すことは不可能だ。
まずグレイが離さない。いままで誰にも特に執着のなかったグレイが、ここまで一人を想うことなど今まで皆無だったのだ。母に対しても父に対しても、両親という概念を逸脱する以上のものはなかった。アンヌは婚約者だと決められたが、だからと言ってグレイの態度が変化することはない。ジュネスは自らグレイに惚れ込んで懐に入った強者だが、あくまで信頼している存在であり、命を懸けて心揺さぶる対象ではないだろう。
けれど彼を変えた、この少女。グレイはきっと、今までとは違う世界を見ているはずだ。
「それにしても、クレールも一枚噛んでいるのか?」
ライナの声について、クレールから先に聞いていると言ったのが気になっているのだろう。グレイの質問に、ニーナは思考を戻してくると、慌てる事無く首肯した。
「そうですよ。ただしくは、わたくしを再度雇うと決めたのは、旦那様ではなくクレールさんなんです」
「クレールが?」
「そう、わたしが旦那様に進言いたしました」
「びっくりした!」
突然耳に届いた声に、グレイはびくりと肩を震わせ、後ろを振り返った。そこにはクレールを部屋へと迎えているジュネスと、泣き顔を隠そうとショールに包まっているライナがいた。
「残念ながら、いま屋敷にいる侍女たちはライナ様に仕えるには心許ないと判断いたしまして、勝手ながらニーナさんにお願いしたわけです」
「それで、旦那様がご了承くださったわけなんですが、ライナ様専属となるため、バーガイル家の資産からではなく、グレイ様個人の蓄えから賃金のお支払いをしていただくことが条件になりましてね。伯爵家からの資産からとなれば、奥様からの追及も激しくなりましょう?」
さらっと言う年長者二人に、グレイは脱帽した。いま屋敷にいる侍女やメイドたちはそれなりの仕事はしてくれるが、帰るたびに色目を使われたり、陰で噂話をしているようだったので、正直ライナを任せたくなかったのだ。そしてニーナの賃金についても彼女の言う通り、グレイ個人からの支出であれば、ミラビリスも口出しのしようがない。
「ありがとう、クレール。よくこの短期間でニーナという選択肢を選んでくれた。ニーナ、突然で準備も心構えも出来なかっただろうに、ライナのために……いいや、俺の為にもなる。来てくれてありがとう、感謝してる」
グレイの言葉にクレールとニーナは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「さて、ライナお嬢様。わたくしに慣れてくださいませね?身の回りのお世話はわたくしがさせて頂きますからね」
笑っているが有無を言わせない、その威厳すら感じる姿に再び母を重ねて泣きそうになったが、すぐにショールで涙を拭うと、ニーナの傍まで小走りで駆けて行き、黒板に文字を書いて差し出した。
〔よろしくお願いします〕
少女らしい丸い文字。顔をあげればライナの素朴な笑みにつられ、ニーナも一緒に微笑んだ。
「ライナ様。わたくしがテーブルマナーをご指導いたします。明日からよろしくお願いいたします」
後ろに控えていたクレールが、慇懃に頭を下げた。
「クレール自ら?母さんにばれたらうるさいぞ」
「奥様は昼食を自室でおとりになります。その時間を利用いたします。もし、食事にこられても食事中なので不自然さはありません」
「……ははっ!父さんの入れ知恵か、それは」
しれっと言い放ったクレールだが、その立案者はグレイにはすぐにわかった。
どうやらファヴォリーニは、何気ない風を装っているだけで、案外ライナを気に入っているのかもしれない―――そう思えた。
「さぁ、明日から忙しくなりますよ。グレイ様、兵士の指導も言いつかっていると伺っております。なんだかんだと言い訳をしてライナお嬢様にくっ付いていることがないように目を光らせますわよ。ジュネス、あなたはライナお嬢様のお勉強を見て差し上げなさい。あとで時間を組みましょう」
「あー……ニーナ。俺はライナに【魔法士】訓練をしなくちゃならないんだが」
恐る恐るという風に、グレイが横から発言をした。その言葉にニーナは驚きの視線をライナへ向ける。
「【魔法士】!?精霊が見えるのですか、お嬢様」
何度『お嬢様』と呼ばれても慣れないなぁ。と思っていたライナに、ニーナは飛び付くように駆けてきた。小さなその瞳を興奮で輝かせている。
「――」
小さく頷いて質問に答えると、ニーナはますます嬉しそうに破顔した。
「お嬢様はまだお小さいのに、精霊に愛されてらっしゃるのですね。すばらしい事です。難しい内容も多いでしょうが、ゆっくりと学ばれませ」
精霊を忌むべきものと思っていないロットウェルの気風はわかっていたが、はっきりとそう言われて嬉しかった。そして些細な気がかりが沸き上がった。
――― わたし、何歳だと思われてるんだろう?
14歳だと告げただろうか?
兄がいたこと、兄は17歳だとはジュネスに黒板で伝えた気がする……グレイとジュネスの年齢も聞いたのに、自分の年齢を伝えていなかった!
裕福ではない村で育ったから、発育に自信はない……考えたらジュネスと3つしか違わないのに、こんなに甘やかされているのだ。居た堪れない。
笑顔だったライナの表情が曇ったので、グレイは慌ててライナに近寄り、膝をついた。
「ライナ、どうした」
〔言ってないことがあります〕
黒板に書かれた文字に、グレイの顔に緊張が走った。グレイだけではない、ジュネスやニーナも表情を強張らせている。クレールだけはなぜか気にした雰囲気がない。
そんな面々を見渡し、出来るだけ手早く黒板に文字を綴る。
〔わたし、14歳です。そんなに子供じゃないです〕
そして黒板に書かれた続きの一文に緊張がほぐれ―――グレイは『不安にさせた罰だよ』と意味の分からない理由をつけてライナに抱き付いたのだった。
いつもより長くなりました。区切りがいいのでまぁいいか。
次回から暫く「無声の少女〜閑話休題〜」の連続更新になる予定です。
彼らの一日を追いかけます。
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