懺悔
医務室から出たグレイは、項垂れ動けないジュネスに近づいて行った。
カツカツとせまる靴音に、肩を揺らしたジュネスは、主の顔を見る前に項垂れていた頭をさらに深く下げた。
「申し訳ございません、グレイ様!わたしが付いていながら、このようなことに……っ」
言い訳ができるなら、ライナは体調不良を感じさせなかった。グレイが一人鍛錬場に去ってから、議長たちに絡まれたりはしたが、二人の関係は穏やかなものだった。純粋に信頼を寄せてくるライナを可愛いと感じたし、まるで本当に妹のようにすら思えた。さすがに手を繋ぐことは、なんとなく憚られたのでしなかったが、ライナが望めば躊躇うことなく少女の手を取ったとも思う。
むさ苦しく砂埃舞い上がる、鍛錬場の中心に向かうこともライナは厭わなかった。それどころか心なし顔を上気させて瞳を興味で輝かせていた。だが、彼女は倒れたのだ。
血の気を引いて―――。
「……ジュネス、お前を責めるつもりはない。顔を上げてくれ」
叱責覚悟だったジュネスは、グレイの口から出た言葉にぴくりと肩を震わせた。
「調子に乗って試合をしていた俺がバカだった。ライナはきっと疲れと熱気に中てられたんだろう。医師に任せるしかない」
「いいえいいえ、わたしが連れ回したからです。大人しくグレイ様を中庭でお待ちしていればよかったのに。万全な体調であるかも分からないライナを―――」
「もういいジュネス。ライナはすぐに目覚めるさ」
「……」
責任を感じているのだろうジュネスは、いまだにグレイの顔を見れないようだった。こんなに気弱ではなかったはず。ただ……わかる気がした。
ずっと軍籍に身を置き、さらにロア家との確執の問題もあり、自らを律して生きてきた青年は、自分の後ろにある巨大な権威を気にせず接してくれる存在を今まで知らなかった。
もちろんライナは隣国の少女だし、貴族階級とは無縁の中で生きてきたようなので、当たり前なのだが、それでも純朴な姿や表情が、どれほど新鮮なものに映っただろう。
そんな少女が倒れた。自分が預かっていたその時間に。
受け止めた時に実感した、頼りないほど軽い少女の体が恐怖だったのだろう。
「ライナが目覚めたらすぐ、屋敷に帰れるように馬車を用意しておいてくれ」
「……はい」
「あとクレールにも連絡を取って、ライナの着替えと寝室の準備も頼んでおいてくれ」
「……かしこまりました」
いまのジュネスは『責任』という重荷を無駄に背負いすぎている。それに気を取られ過ぎないよう、なにかしら仕事を与えるべきだと判断したのだ。
「ジュネス!」
顔を上げないまま背中を見せ、去っていく背中にグレイはもう一度声をかけた。
「クレールに言伝たら、もう一度ここに来い。それまでにはライナの意識も戻っているだろう。ちゃんと目覚めたライナに謝れ。命令だ」
命令と言われて背筋が伸びた。
「は、はいっ」
ジュネスはしっかりと主の顔を見て、深く頭を下げると、すぐに外につながる扉へ駆け出して行った。
グレイは命令と言ってたが、あれはジュネスの中のわだかまりを残さないよう、心配りをしてくれた言葉だとわかった。その気持ちが伝わってきて、信頼する主に心から感謝した。
◆◇◆◇◆
鎧姿の兵士たちがいっぱい現れて、父さんと兄さんを連れて行った。
わたしは泣くのを我慢した。だけど母さんに抱き付いて、やっぱり泣いてしまった。
鈍く光る、錆の浮いた刃が見える。
わたしを助けようと、鉈一本で巨大な男に立ち向かい、殴り飛ばされた母さん。
鈍く殴打する音。目の前に広がる鮮血。
男たちに弄られる女たち。
無駄だと一方的に判断されて殺されていく子供と年寄り。
村人からの告発。
母の声。
繰り返す『逃げなさい』と叫ぶ声。
煌めく剣筋。光に反射する刀身。
飛んだ首。吹き上がる鮮血。
男たちの嘲笑。恫喝。怒声。
ただ耳に残るのは母の願い。母の声
『ライナ!逃げるのよっ!!』
わたしがあの時、呼ばなければ……!
わたしがあの時、声を出さなければ……!
「かあさん……っ」
刃物が怖い。刀身が怖い。誰かに振り下ろされる剣が怖い。
もういやなの。もう誰かが目の前で傷つくのはいやなの―――
「ご、めんなさい……母さん……」
あの時呼んでしまったわたしが間違っていた。
どうせなら、あの時一緒に死んでおけばよかった。
そうすれば、父や兄の悲しい現実も知らずに済んだのに。
世界にたった一人、取り残されて絶望することも無かったのに。
涙が溢れる。けれどそれは生きているから。もう家族の誰も、泣くことも笑うこともできない。
喉を切り裂かれた。これは罰だったんだ―――
「ごめんなさい……もう、誰の事も呼ばないから……」
だから誰も死なないで。
◆◇◆◇◆
少女の口から洩れるのは、ただ悲しい懺悔のみ。
悪夢にうなされている時だけが、ライナの声が出る時間だった。
「ライナ……」
グレイはライナの眦から流れた涙を、そっと指先で拭った。暖かい涙は空気に触れ、すぐに指先を冷やす。
「ライナの前では、もう剣など持たないよ」
ジュネスの帯刀もやめさせよう。護身用の短剣を忍ばせるだけで留めるしかない。ライナの記憶は絶望で塗り固められている。
うなされている内容を聞く限り、どうやら母親は目の前で殺されたようだ。剣で一閃……苦しまず逝けただろうことだけが救いかもしれないが、それを目撃してしまったライナの心の傷は計り知れるものではない。
それに、母が死んだ原因を、ライナは自分が叫んでしまった『声』だと決定づけた。そのために、傷は完治しているのに声が出ないのだ。
いや―――正しくは出せないのだろう。
最近笑うようになった。楽しそうにしていることも多い。困った顔や悩んだ顔もする。それは全部ライナの本当の姿だろう。けれど、この小さな体の内側にあるのは、母に対する懺悔と自分に対する絶望だ。
「ライナ、早く戻っておいで」
悪夢はもういいから。
屋敷に帰ったら一緒に庭を散歩しよう。君のことを心配して、こんなところにまで精霊がきてしまっているから。
鞄から見えた黒板の事も知りたい。文字で意思疎通が図れるならそれでいい。声が無くても構わない。もちろん、その声で名前を呼んでほしいけれど、もう望まないようにする。
君が笑っていればそれでいい。
絶望を上回る楽しい事や幸せなことを、一緒に見つけよう―――
「呼んでごめん、なさい……母さん……」
懺悔を繰り返し眠るライナの頭を撫でながら、グレイはその目覚めを静かに待った。
ライナの声が出ない真相でした。




