鍛錬場
ライナとジュネスは二人肩を並べ、兵の鍛錬場まで歩いて行った。建物の奥に続く通路を歩いていくと、遠くから微かに金属が触れ合う音と、人の声が聞こえてきた。一人二人ではなく、大勢の人の声だ。
「もうすぐ着く」
暗い通路を抜けると、眩しい太陽の光が視界を一瞬眩ませた。黒板を日除けにして視界が慣れるのを待っていると、背中をジュネスに軽く押されて先に進まされた。付いて行くと簡素な造りの休憩所のようなところがあり、そこには木のベンチもあった。壁も何もない、ただ屋根を作っただけの簡単な造りだが、風が吹き抜けるので気持ちがいい。
案内されたベンチに座ると、ライナは物珍しそうに視線を四方八方に向けていた。
全員炎天下の中、目の前にある広い鍛錬場に出ているのか、この休憩所には他に人影はなかった。鍛錬場の真ん中では砂埃が巻き上がっており、大勢がなにやら大騒ぎしている。
〔あれ、何してるの?〕
ライナは黒板の文字をジュネスに見せ、次いで土埃巻き上がる場所を指さした。
「きっと模擬戦かな。中心にいるのはグレイ様だと思うよ」
―――模擬戦って、兄さんとフォーデック師匠がよくしてたアレかな。
刃を潰した剣を振り回していた兄の姿を思い出し、また少し寂しくなる。 そういえばあの混乱の中、姿を消したフォーデックはどうなったのだろう。無事に生き延びてくれていればいいのだけれど……。
しょんぼりと肩を落としたライナに気付かず、ジュネスは少し呆れた顔で砂埃の中心に目を凝らしていた。
「そろそろ止めさせようか。このままじゃ全員相手することになるっていうのに……久しぶりに暴れて止まらなくなったかな」
渋々連れて行かれた割には、遠目でも嬉々として部下たちを負かしているのがチラリと見えて、ジュネスは今日の残りの予定を考え、引き揚げさせることにした。
「ライナ、グレイ様を連れてくるからここで待って―――……いや、一緒に行く?」
『待っているか』と質問されそうになったのが分かったのだろう、ライナは思わずジュネスを振り仰いだ。ライナ本人はそんなつもりはなかったのだが、その瞳は見知らぬところに放って置かれる孤独と恐怖におびえていたのだった。先程の一件を思い返し、ジュネスもライナを一人にするべきではないと判断した。
〔いく〕
黒板に書かれた力強い文字に、思わず頬が緩む。猫可愛がりをしていたグレイの気持ちが、徐々に分かるような気がして来ていた。
「よし。けど、あの中に突撃するわけだから、はぐれないように」
ジュネスとライナは土埃舞い上がる中心へ向けて歩き出した。黒板とチョークは落さないように鞄の中に仕舞い込み、その鞄を抱えてジュネスの後に続いた。
「すまん、前に行かせてくれ」
「なん……あ、ジュネスさん!どうぞ」
後ろ割り込まれた兵士は、顔をしかめて振り返ったが、その相手がジュネスだと知り態度を改めた。そして、その前にいた兵士もジュネスの名前を聞いて振り返り、本人の姿を確認すると慌てて通れるだけのスペースを確保する。
そして兵士たちは、ジュネスの後について歩いている少女を目撃して目を丸くした。こんなむさくるしい上に炎天下の鍛錬場の砂埃の中、綺麗なドレスを着た少女がジュネスの背中に張り付いて進んでいくのだから、驚かないわけがない。
ある程度進んだところで、一旦足を止めた。後ろを向くと熱気に中てられたのか、顔を赤くしたライナが背中にくっついていた。
そんな二人に近くにいた兵士がニヤついた顔でジュネスに寄ってくる。
「ジュネスさん、その子もしかしてジュネスさんの……」
「無粋なことを考えているとすれば、その考えは即刻消し去ったほうが身のためだぞ」
「照れてるんですか〜」
本当に無粋なことを考えていたらしい。
まぁ、こんなところに連れてくるとすれば、家族か恋人など、限りなく近しい者になるだろうから、邪推したくなる気持ちもわからないわけでもない。だが、ジュネスとライナをその方向で繋げようとするのは間違ってる。
というか、してはいけない。いま、砂埃の中、嬉々として兵士を滅多打ちにしている主がどんな反応をするか……想像するのも恐ろしい。
「忠告はしたぞ」
グレイの前で、ライナとどうこうなどと発言されでもすれば、正直ジュネス自身の身も危うい。グレイの剣のしごきは味わいたくない。
「グ……副隊長!お時間です!」
部下の前では名前で呼ぶなと言われているのを思い出し、言い慣れない敬称で叫ぶ。が、その声は剣戟と周りの歓声に掻き消され、届いていないようだ。
見れば、グレイは1対3で戦っていたようだ。すでに一人は倒されており、地面に転がっているので、現在は1対2になっている。いくら模擬刀とはいえ、当たり所が悪ければ大怪我をする。だというのに大した装備もつけず、向かってくる二つの剣筋を見極め、反撃までしてしまうのだから、その強さは計り知れないものがある。
再度大声を出そうとしたとき、服を後ろに引っ張れた。ライナも試合を見たいのかと後ろに視線を向け、ジュネスは言葉を失った。
ライナは蒼白だった。
先程まで赤くなっていた頬は、紙のような白さだ。目も虚ろで開いているのに、何も映していない。
驚いてジュネスが呼びかけようとしたが、その瞬間ライナは意識を失った。
◆◇◆◇◆
この数日、訓練をさぼっていたツケなのか、それとも準備もなく連れ出された結果なのか、最初はいつものような動きが出来なかったグレイだが、体が馴染んで来ればいつも通りの感覚が戻ってきた。3対1だと聞いたときには『さすが俺の部下。容赦ないな!』と思ったが、過大評価だったと思われないために全力で相手をすることにしたのだった。
バレない程度に精霊に助力を願えるのは【魔法士】の特権だと思っている。風を巻き起こして一人の視界を遮ったり、耳元で風を起こして感覚を狂わせたり。3対1なのだし、まぁそのあたりは容赦してほしいと思う。それにこれこそが【魔法士】が重用されている要因なのだから、こいつらもそれくらい分かってるよな?
一人を倒し、あと二人。そのうちの一人はすでに足の動きが悪くなってきているから、あと2,3発打ち込めば倒れるだろうと目算を付けたところで、聴覚が反応した。
ライナ、と聞こえた……
思わず試合中なのも忘れ、声のした方向を見ると同時に駆け出していた。
「副隊長!?」
突然の試合放棄に、構えていた2人が驚いた声を出すがそれどころではない。
ライナが足から崩れて倒れていく瞬間だった―――
「ライナ!」
地面に崩れ落ちるのは、ジュネスが防いだ。
蒼白な顔に浮かぶ汗。暑さのためににじみ出たものには思えない。
周りにいた兵士たちが、医務室だとか、水だとか騒いでいるが、完全に力が抜けて気絶しているライナを腕に抱きとめ、ジュネスは焦りしかなかった。
すると、人垣がさっと分かれたと思うと、グレイが走ってきたところだった。
「グレイ様……っ」
副隊長呼びも忘れて、名前で呼んでいたがそれどころではない。
グレイは血の気のないライナの顔を見ると、流れる汗も拭わず、ジュネスの腕から自分の腕の中に揺らさないように移した。
「ジュネス、医務室にいく。ついてこい」
「は、はい!」
ライナを腕に抱き、立ち上がると速足で鍛錬場から立ち去った。後に残された兵士たちは、ぽかんとした顔のまま見送るしかなかった。ただ、ジュネスとライナのことを邪推した兵士だけは、もしかして副隊長の!?と考えていたが、正解だとしても間違いだとしても、自分の身に降りかかるのは災厄だと思い直し、賢明なる判断で口を閉ざした。
できるだけ揺らさないように、けれどできるだけ早く……。焦る気持ちのまま、グレイは医務室に向かった。すでに先触れが届いていたのか、医務室には医師と看護師が待機してくれていた。
「また可愛いお客さんじゃ。むさくるしいのが来ると思ってたんじゃがのぅ」
「バーガイル副隊長、こちらのベッドへ運んでくださいませ」
老医師のとぼけた声を無視し、看護師は冷静にグレイを案内してくれた。
ゆっくりとベッドに横たわらせ、グレイはその頬に触れる。―――とても冷たかった。ライナの呼吸は苦しそうで、蒼白でありながらも汗をかいていた。
「熱中症ではないようじゃが。ダリアナ、服を脱がせろ」
「はい、先生」
「服を!?」
ダリアナと呼ばれた看護婦はライナの寝ているベッドをカーテンで仕切り、こちらからの視界を完全に遮断した。だが、服を脱がせるという言葉に、激しく反応したグレイは勢いよく顔を上げると、思わず老医師を睨み付けていた。そんな様子に、老医師は呆れたように息を吐き出すと、手に持っていたファイルでグレイの顔面を殴りつけた。
3つ同時であっても剣筋が見えるグレイが、老医師のファイル攻撃にはまったく反応できなかったのだ。
「落ち着きなされ、副隊長。兵士であっても治療の際には装具を外す。そんな事、あんたは当たり前に知っとるだろう。忘れてしまったんなら、あんな分厚いドレス生地の服の上から、心音など読めないと言った方がいいのかね」
「……申し訳ございません……ライナを頼みます」
ここにいても自分にできることはないと痛感したグレイは、老医師に頭を下げて医務室から退室した。そういえば一緒に医務室に来たはずのジュネスの姿が見えないと思い、首を巡らせると、廊下の隅で項垂れて立ち尽くしている姿があった。
進めているはずなんですが……




