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見知らぬ男たちに囲まれ、ライナの体は知らず震えだしていた。明るい太陽の下にいるのに、変わらず優しい風が吹いているのに、どうしてもあの時の恐怖が突き抜けてくる。
丁寧な物腰。高そうな服。けれどこちらを訝しむ視線は鋭く、口元に薄く笑みは浮かんでいるけれど、決して友好的なものではない。
「――、―っ」
考えれば、あの時助けられてから、グレイが傍にいない時の方が少なかった。それに、まずグレイが紹介をしてくれて、相手が名乗る。だから安心できた。
けれど今は違う。
全く知らない男たちが、ライナを囲うかのように迫ってきている……!
意識せずとも、自分の呼吸が浅く早くなってきていることに気が付いた。だが、気が付いたところでどうにも出来ない。声を出して助けを呼ぶことも、今のライナには不可能だ。『鳴らせばいつでも駆けつけます』とクレールがくれたベルは、寝室に置きっぱなしになっている。持っていたとしても、屋敷ではないここで鳴らしても意味がないだろう。
思考がぐるぐると回りだし、ライナはどうする事もできず、立ち尽くすしかなかった。
「どうした。答えなさい」
ライナが震えながらも無言だったことを不審に思ったのだろう、男の一人が一歩踏み出し、幾分鋭い声音で問いただした。ライナにはその一歩が怖くて仕方ない。
――― 手を伸ばされたら、届く……!
ぎゅっと目を瞑り、ショルダーバックの肩紐を握りしめる。と、そこで聞き慣れた声が自分の名前を呼んでいることに気が付いた。
思わず俯いていた顔を上げ、声の主を探すと、手に何かを持ったジュネスが顔を強張らせて走り寄ってきた。そしてライナの前に立ち、男たちの視線から隠してくれる。
「申し訳ございません、この娘が何か致しましたでしょうか」
グレイ同様、同じ時間を過ごすことが多いジュネスは、ライナにとって安心できる人物の一人だ。彼の声も強張ったものだったが、それでもライナは安堵の息を吐き出した。震えも少し治まってきたかもしれない。
「バーガイル伯爵のところの副官じゃないか」
「ああ、誰かと思えば」
「もしや逢引だったか?邪魔したか」
「……副官のジュネス・ロアです。そして逢引ではありません」
逢引などとんでもない。恐ろしくて理由は言えないが、とんでもない。
「あまりお会いすることも無くご無沙汰しておりました。クレイツ様、バーナム様、ディクター様。今から議会ですか?」
「ああ、召集がかかっているんだ。むさくるしい部屋に缶詰!地獄だよ」
大袈裟に身振りで表現しているのは、伊達男ディクターだ。
「ジュネスは何をしている。ここは議会の裏側だぞ」
幾分声に棘を含ませているのはクレイツだ。さすが、前近衛隊隊長だ。その眼力は只者ではない。議員の一人になってからも、腰の剣は外さないと言われており、もちろん今日も帯刀していた。
「申し訳ございません。ファーラル様に面会に来たのですが、アポなしだとガーネットさんに怒られて、出直そうとしていた所です」
ジュネスが包み隠さず詳細を告げると、ディクターは大口を開けて爆笑した。
「あははははは!さすがガーネット!そりゃあ、誰でも尻尾巻いて逃げるっ」
「笑いすぎですよ、ディクター」
平和主義バーナムが、同僚の笑いすぎを諌めているが、クレイツも一緒になって笑っているので注意するのを諦めてしまったようだった。そして笑っている二人を無視し、ジュネスに一歩近づく。ジュネスに近づくということは、必然的にライナに近づくということだ。迫ってきた姿に、ライナは思わずジュネスの服の裾を引っ張りつつ、さらに身を隠そうとする。
その様子に、バーナムは臆病な小動物を相手にしている気分になった。
「おや、逃げてしまうね」
「申し訳ございません。この娘はライナと申しまして、いまバーガイル家で預かっております。少し……人見知りなのです。ご容赦ください」
ジュネスはライナがなぜ見知らぬ人を怖がっているのか知っている。その怪我の原因も、家族との死別の事も。だからこそ、少し曖昧にぼかして伝えた。間違ってはいないけれど、正しくもないと言った感じだ。
「ライナというのか。いい名前だ」
「バーガイル家で預かっているということは、グレイ君は承知で?」
笑うのをやめたクレイツが白い歯を見せて笑顔を作る。その後を引き継ぐようにディクターが質問をかぶせてきた。
「ファヴォリーニ様ではなく、グレイ様が遠征中に保護したのです」
「なるほど。で、そのグレイ君は?」
「いままさに、部下たちから大いに剣技の相手をさせられていると思いますよ」
その様子を想像して、クレイツは再び豪快に笑った。
「さぁ、行きますよクレイツ、ディクター」
ひとしきり笑いが収まったところで、バーナムが二人に呼びかけた。その声に仕事を思い出したのだろう、中庭から建物に入るためそれぞれが背を向け歩いて行った。その際ディクターはジュネスには軽く手を上げ、ライナには小さく手を振っていった。さすが女好きである。
去っていた3人の姿を見送ってから、ジュネスは慌ててライナに向き直った。
「すまない。怖い思いをさせた」
グレイよりもぶっきら棒な言い方だけど、ちゃんと気持ちがこもっているのが伝わる。しかし、その整った顔がなぜか悔しそうに歪んでいて、ライナは慌てて首を振った。
「――、――」
「グレイ様がいない間はしっかり守ると言っていたのに、この様だ……情けない」
ジュネスはがっくりと肩を落としてしまった。ライナはそんなことないと、激しく首を横に振り続けた。
最初は本当に怖かったけど、ジュネスが来てくれて庇ってくれた。そしてあの3人が誰なのかわかった。議会と言っていたから、きっと何か大変な仕事をしている人なのだろう。相手はグレイの事も知っていた。さっき会ったガーネットの事も知っていた。だから怖くなくなった。けれど、それを教えてくれたのはジュネスだ。
彼は3人にライナのことを伝えただけではない。ライナにも彼らの情報を伝えていたのだ。それが伝わってきたから嬉しかった。
「あんまり振り過ぎると、脳震盪になる」
そう言い、ぽこんと何かでライナの頭を軽くたたいた。なにか、板のようなものだと思う。
「これを探してきたんだ。これは黒板。これはチョーク」
差し出された黒っぽい板と、白くて細長いもの。首をひねるライナの前で、ジュネスがチョークで黒板に文字を書きだした。
「どう、読める?」
書かれた文字は、今まで何度も見てきたものだった。
〔ライナ〕
父のような力強いものではなく、母のような繊細なものでもない文字。けれど、そこにあったのは、間違いなくライナの名前だった。
黒板を見ていたライナの瞳が大きく開かれ、ジュネスに満面の笑みで『嬉しい』と『ありがとう』と伝えてくる。
「これは文字消し」
取り出した布で黒板を拭くと、書いてあった〔ライナ〕が消えた。そしてチョークを渡される。
「お礼は文字でほしいかな」
「―――!」
ジュネスが口元を緩めて笑うと、ライナは差し出されたチョークを受け取り、黒板に丁寧に文字を綴った。
〔ありがとうございます〕
黒板とチョークのセットを受け取ったライナは上機嫌最高潮だった。いつまでも戻って来ないグレイに焦れて、ジュネスが鍛錬場まで迎えに行くことを提案し、ライナも了承した。そして向かう道すがら、黒板にいままでため込んでいたのだろう、質問を繰り返してきた。
〔ジュネスは精霊見えるの?〕
「残念ながら、何も見えないんだ」
〔アンヌさまって怖いね〕
「ライナが関わらなくても……いまは、いいよ……(後半小声)」
〔グレイとジュネスって何歳なの?〕
「グレイさまが22歳で、わたしは17歳だよ」
〔ジュネスは兄と同い年なんだね〕
「ライナ、お兄さんがいるのか」
思わず嬉しくて兄アロイスの事に触れてしまい、ライナは自分を責めた。しかし、次いで表情を曇らせて肩を落とした。
ジュネスはなんだか安心感があって(グレイとは違う意味で)、兄の事を思い出すなぁと思っていたのだが、まさか同い年だったとは。けれど思い知る。ジュネスはこれから年を経ていくが、アロイスはそれが出来ないのだということを。
素早く黒板の文字を消すライナの表情が冴えなくて、ジュネスはその理由を察知した。そして思わずライナの頭を撫ででしまう。ジュネスに妹はいないが、いればこんな感じだったのかもしれない、と思えるのだ。
「頼りないけど、兄のように思ってくれればいい」
その言葉に、口元を引き結んで涙を耐えた。
ジュネスの事は、二人目のお兄ちゃんだと思うことにしたライナだった。
ライナとジュネスは疑似兄妹みたいな感じで。
きっとシスコンです