視線
お待たせしました。
物語が動き出した気がします。
前半のほほんと、後半シリアス…かな?
ライナ、グレイ、ジュネスを乗せた馬車は、軽やかな足取りで中央都市の中心に聳え立つ、美しい白亜の城に吸い込まれていった。
「むかしは、この城のことは残虐王の居城と呼ばれていたんだよ」
「……っ」
とんでもないネーミングセンスに、聞かされたライナは思わずグレイを見上げてしまった。こんな美しい城だというのに、なんて呼び名だろうか。
驚いた顔のライナがおかしかったのか、グレイは喉の奥でくくっと笑った。
「けれど、黒かった壁は白に塗り替えられ、生い茂っていた草木は綺麗に剪定された。いまでは白薔薇城って呼ばれて、ちょっとした観光名所になってるんだよ」
にっこりと笑ってみせると、ライナは安堵の息を吐き出した。そして観光名所と聞き、物珍しさが勝ったのだろう。馬車の窓から城の内部を観察し始めたのだった。
が、観察時間は数分で終わりを告げた。関係者だけが通される通路に入ったためか、小奇麗な庭園などは見えず、事務的な造りの壁や雑多な小屋なども目に留まる。ライナは少し残念に思い、軽くため息をついた。そんな様子を見ていたグレイが、楽しげにライナの頭を撫でる。
「後で城の中は見せてあげるよ。一緒に見学しよう」
「―――!」
グレイの提案に、力いっぱい頷いた。
馬車を降り、グレイはライナの手を引いて通路を歩きだした。そのあとをジュネスが続く。すると、すぐに侍女たちの視線が突き刺さってきた。
「グレイ様だわ」
「この前来られてから、そんな間がないわよね」
「珍しい〜!」
「今日仕事でよかった!」
「ジュネス様もいつも通り整ったお顔だわ〜」
きゃあきゃあとはしゃぐ女たちに、ライナはびくりと肩を震わせた。グレイは『気にしないでいい』と言わんばかりに完全無視。その上、繋いでいる手に少し力を加えてきた。
何も声をかけられたわけでもないのに、緊張していた心と体が少しほぐれた気がした。
「ねぇ、あの子誰……」
しかし当然、一緒に歩いているのだから、少し冷静になれば、グレイが誰かと手を繋いでいるのはすぐにわかる。そして繋がっている先を見れば……背が低いながらも、ドレスに身を包んだ女!
「な、なにアレ!」
「グレイ様が手を繋いでるですって!?」
「もしかしてアレが噂の婚約者!?」
「違うわ、あの婚約者気取りは……悔しいけど、もっとスタイルが良かったもんっ」
「じゃあ、アレ誰よっ」
「知るわけないでしょ!」
最初は小声で言っていたようだが、徐々に熱くなってきたのか声高になってきた。ライナの耳にも聞きたくないような言葉が飛んでくる。思わず繋いでいた手を離しそうになったが、グレイはそれを許さず、逆に手を強く引っ張ると、勢いで前方につんのめったライナを受け止めるかのようにその肩を抱いた。
「―――! ―――!」
「きゃーーーーーーーーーーっ」
ライナは口をわななかせて抗議するが、当然声になっていないのでグレイの耳には届かない。もし話せたとしても、女たちの悲鳴で掻き消されていただろう。まるで蜂巣をつついたような騒ぎに、通路に面した扉が次々と開いていく。
その中の一つが開いたとき……ジュネスは逃げ出そうかと一歩後退していた。
「これは、何の、騒ぎ、な・の・か・し・ら……」
ぞっとするような声に、声を上げていた女たちはそそくさと身を隠し、扉を開けて騒ぎを確認していた執務官たちは無言でドアを次々と閉めていった。現れた人物は走らず、しかし凄まじい速さでヒールを鳴らしながらやってくると、問答無用でグレイの胸倉をつかみ上げた。
「あんたは、何がしたいわけ」
「落ちつこう、ガーネット嬢」
グレイは掴みかかってきた迫力満点美人に圧倒され、身動きが取れなかったが、ライナは腕が解かれたのでじりじりと後退っていた。その横にジュネスが付く。
「―――、―――」
「ん?あの人かい?」
ライナが指差している先にいるのは、グレイとガーネットだが、いまさらグレイのことについて疑問はないだろう。消去法でガーネットの事だと確信し、ライナの耳元に顔を寄せる。
「あの人はガーネットさん。わたしやグレイ様の古くからの知り合いなんだ」
回答を聞けば、そんなものかと思ってしまう内容だ。その間にも攻防戦は続いていた。
「今日はファーラル議長に会いにね……」
「アポは?」
グレイの言葉に、ガーネットの視線が鋭く突き刺さる。ちなみに未だ、胸倉は掴み上げられたままだ。その細腕でよくぞ、と思うがガーネットは体勢を変えずにギリギリと締め上げていたのだった。
「急だったので、取ってな―――ぐっ」
「あ・ん・た・た・ち・は〜〜〜!ジュネス!」
「はいっ」
ガーネットに呼ばれ、ピンと背筋を伸ばしたジュネスは思わず敬礼していた。それをライナはぽかんと見ている。
「あんた副官してるんでしょう!議長がアポなしで顔見知りだからってホイホイ会えるわけないでしょーが!しっかり根回し、そしてコレの制御しなさい!」
「すいませんっ」
『コレ』と言いつつ、ガーネットはグレイをジュネスのほうに突き飛ばした。ジュネスの隣にいたライナは、突然グレイの体が間近に迫って、潰されるかと目をきつく瞑っていたが、軍人であるグレイがそんな簡単にバランスを崩すことはなかった。
「あら、その子は?」
ようやくライナに目を留めたガーネットは、不思議そうな顔で少し引き気味のライナと目を合わせた。
「可愛いわぁ。素朴で純情そう」
「ガーネット嬢……」
「お名前なんて言うの?」
小動物か幼児に対面しているかのように、一気に雰囲気を和らげるとライナの頬を両手で挟んだ。
「!」
「いやーん、すべすべ!」
「触るなっ」
硬直していたライナを自らの腕の中に閉じ込めると、グレイは威嚇するようにガーネットを睨み付けた。
「……おもしろい反応ね、グレイ」
ガーネットは口元に弧を描き、目元に楽しげな光を宿らせた。そんな二人と、間に挟まれて身動きできないライナを、ジュネスは5歩ほど引いて眺めていたのだった。
「で、ファーラル様への面会なんて無理よ、無理。あの人がどれだけ殺人的な忙しさか知ってるでしょう」
ガーネットは、わたしだって秘書として忙しいのよ、と文句を言いつつ空き部屋に案内してくれた。誰も使っていないが、いつでも応接として使えるように整えてあるのだろう。ゴミも埃も見当たらなかった。
「いつなら面会できますか」
「難しいわね……最近色々と立て込んでるのよ」
言いながらポケットから取り出した小さな手帳をパラパラとめくる。指先でスケジュール内容を確認しつつ、きっと頭で流れを組み立てているのだろう。
「んー、ダメだわ。とてもあんたたちに割ける時間はないわね。少なくとも5日間はファーラル様は忙殺よ。まさか、あの人の少ない睡眠時間削ってまで無理言わないわよね?」
「……いいません」
「よろしい」
鬼気迫る脅しに、返答をしたのはグレイではなくジュネスだった。どうせ、アポを取らなければならないのだから、時間調整はジュネスの仕事だ。 それに―――
「この中庭には、樹齢200年の樫の木があるんだよ」
「風が気持ちいいから、明日も天気が良ければピクニックに行きたいね」
「その鞄気に入った?俺も嬉しいよ」
主であるはずの男は、まったくこちらを気にしていなかった。隣に座らせた少女のわずかな表情の変化も見逃さないと、ぴったりくっついて離れない。
「ジュネス、あれは本当にグレイなの?」
「聞かないでください……」
至極もっともなガーネットの疑問に、副官であるジュネスは答えられなかった。
「3日後にジュネスだけまた来なさい。アポを取るわ。いまはまだ先が見えないから、無暗に予定を入れられないのよ。それに、そんなに急ぎの用事でもないようだし、別にいいでしょ」
つまりは知り合いだからこその後回しだ。だが、特に異論はなかったのでそれで了承し、帰ろうかと通路を歩いていたが、数人が走ってくる音が耳に届いた。なにやら、ガチャガチャと金属がすれ合う音も含まれている。
「?」
「……まさか」
音を聞き、グレイは顔色を曇らせた。そしてライナの手を取り、慌てて引き返そうとしたその時、一瞬の差で進行方向に壁が出来ていた。咄嗟に後方に視線を向けるが、そこにも新たな壁が。壁と言っても石の壁ではない。人の壁だ。
「バーガイル副隊長……」
壁はじりじりと狭まっていき、円を描いて閉じ込めようとしている。
「やめろ!女の子がいるんだぞ!」
その言葉にようやく壁は停止したが、包囲網は解かれなかった。
「……すまない。ちょっと行ってくる……」
まるで連行される罪人のように、グレイはライナとジュネスに背を向けて、とぼとぼと去って行った。何度も何度もライナを振り返るその姿は、少し可愛い。
通路に残されたライナとジュネスは、グレイと兵士たちの姿が小さくなっていくのを見て、揃って笑みを交わした。
「あれでも駐屯部隊の副隊長だからね。戻って来てると聞いて、鍛錬場にいた奴らが稽古をつけてもらおうとグレイ様を探していたらしいんた」
「――、―――」
ライナは口をゆっくりと動かし、短い単語を身振りも含めて必死に伝える。
「ん?……ああ、わたしか?」
ジュネスは自分を指さし、ライナがそれに頷くと少し寂しげに微笑んだ。
「わたしはいいんだよ。特に剣技が優れているわけではないから。グレイ様の身の回りをする従者みたいなものだからね」
気軽に言っている声だったが、ライナにはその瞳が悲しげに揺れたのが分かった。
「それでも、ある程度、剣の使い方はマスターしている。グレイさまが帰ってくるまで、しっかり護衛するよ」
心配げなライナの様子に気づいたのか、ジュネスはおどける様に剣の柄を叩いたのだった。
中庭でグレイを待つことになり、二人で歩いていると、ジュネスが『あっ』と声を上げた。
「今までどうして確認しなかったんだろう。ライナ、簡単でいいから文字の読み書きは出来る?」
ジュネスの問いかけに、整然と並んだ木々と精霊たちを眺めていたライナは、小さく一つ頷いた。頷くのが小さかったのは、本当に少しだけしか読み書きできなかったからだ。
それでもライナの返答にジュネスは嬉しそうに顔を輝かせた。
「ここにいいものがある。すぐに取ってくるから待ってて」
ジュネスはグレイのようにライナの頭を撫でると、絶対この中庭から動いてはダメだと何度も言って走って行った。知らない場所にぽつんと残される不安はあったが、ジュネスがライナを置いて帰ってしまうわけがないし、グレイに関してはもっと非現実的だ。それに、単純にジュネスが言った『いいもの』が気になった。
一人になったけれど、ライナは一人じゃなかった。
傍には精霊たちがいて、風がライナの頬を撫でていく。あまりにも整えられすぎた中庭は、グレイの別館にある森のような庭より少し居心地はよくなったけれど、それでも木々と触れ合えるだけでライナの心は癒された。
ほっと息をついたとき、何かの気配を感じた。
――― 誰?
気配は、誰かの視線だと思った。誰かがライナを見ている。注意深く、視線だけでその小さな体を捕らえるように。
奴隷馬車に乗せられたときの恐怖が全身を覆う。ぞわりと鳥肌が立って指先が震えた。
――― 怖い……
それでもゆっくりと視線を上げると、目の前には精霊たちが無邪気に遊んでいて、それだけでライナの肩の力は抜けた。
「おや、こんなところに見知らぬお嬢さんがいるよ」
と、背後で男の声がした。慌ててライナは振り返る。そこには、重厚そうな服を纏った男が3人立っていた。
「ここは関係者しか入れない場所だが、誰かの縁者か?」
「まさか刺客でもあるまい」
往年の男たちに見据えられ、ライナは身動きが取れなくなっていた。
「動き出したようです、ファーラル様」
議長の最高権力者。その人物の執務室からは、中庭がよく見える。カーテンの隙間から見ていたガーネットは、少女に迫る男たちの姿を見つめていた。
「わかった」
ファーラルは書類の束を一纏めにすると、椅子に座ったまま伸びをした。そして中庭には目を向けないままに独り言ちる。
「さぁ、まずは第一歩……かな」
ややこしかったらごめんなさい!