買い物道中
ライナが決意を固めたのを見て、クレールは瞳を和らげた。表情には出ないけれどほっとした雰囲気を感じ取れる。なんだかあまり表情に表さないところは、ファヴォリーニに似ているな、と思った。その後クレールに付いて行き湯殿に案内された。あまりの広さと豪華にまた唖然としつつ暖かい湯で体をほぐすと、ほっと肩の力が抜ける。
朝食が始まる前に出ようと、名残惜しかったけど風呂場を後にする。
出ると、ふかふかのタオルが待っていた。侍女らしき女性と共に。
最初はぽかんと見ていたが、自分が素っ裸だと思い出して慌てた。いきなり他人に全裸を見られたことでライナは声にならないながらも悲鳴を上げたが、当然誰にも聞こえることはない。
あっという間に全身をタオルで拭われ、手早く下着をつけられ、ワンピース(ライナが朝自分で着たものではなく、無駄に装飾の多い可愛らしいものだ)を着せられ、髪を梳かされて、ついでにいい香りのする香油も塗られた。最後に首周りに傷を隠すようにストールを巻いて貰えば完成だ。
出来上がったライナを上から下まで眺めた侍女は、まだ何かをしたそうに掌を動かしていたが(怖かった……)とりあえず一つ頷くと『いってらっしゃいませ』と風呂場から送り出してくれた。
ほっとしつつ扉を開けると、壁に背を預け待っていたのはグレイだった。そして出てきたライナに気付くと、満面の笑みを浮かべつつ、両手を広げてライナを抱きしめた。
目撃した侍女は持っていたタオルを落としてしまったが、激しい物音が出なかった為、グレイは全く意に介さない。
「ライナは早起きなんだね。起こしに行ったら寝室がもぬけの殻で焦ったけど、クレールにここだと聞いて待ってたんだ。ん……いい匂いだ」
グレイが指先でライナの髪に触れる。絡まることのない髪はサラサラで、香油の効果もあり甘やかな香りがしている。ライナは自分の髪から甘ったるい匂いがすることに、多少抵抗があったのだが、グレイが喜んでいるようなので、『まぁいいか』と思った。
「グレイ様。朝の挨拶がまだのようですが」
声がした方に視線を向けると、ジュネスが主人をじとっと見ていた。けれどライナと目が合うと、表情を和らげて笑顔をくれる。
ジュネスに指摘され、グレイは抱きしめていた腕を緩めると顔を合わせてきた。
「そうだった。おはよう、ライナ」
「――、―――、――」
口を動かし、挨拶を返した。が、その口の動きを見ていたグレイの視線がちょっと痛い。なんだろうと思っていると抱きしめていた腕を解き、中腰になってライナと視線を合わせた。
「いまライナ、『おはようございます、グレイ様、ジュネス様』って言った?」
まさにその通りだったので、通じた喜びにライナは嬉しそうに大きく頷いたのだが、グレイはなぜか嬉しくなさそうに眉間にしわを寄せている。
「?」
「ライナ、それ禁止にするから」
何を言っているのか全く分からず、ライナは困ったように首を傾げた。そして助けを求めるようにジュネスを見る。ジュネスも最初はきょとんとしていたが、すぐに意味を察したのだろう、グレイに詰め寄った。
「グレイ様、まさか呼び捨てにって……」
「そう、その通り」
ロットウェル屈指の貴族バーガイル伯爵が、拾ってきた少女に対して自分を呼び捨てにしろと言っているらしい……いや、確実に言っている。
「俺もライナのことは呼び捨てにしてるし、変な壁を作りたくない。今はまだ実際にライナの声が戻ってないから、誰に聞かれることも無いし……だから誰も困らないし、勘ぐられることも無い」
輝かんばかりの笑顔でとんでもないことを言い出したグレイに、さすがにジュネスが止めに入った。
「何を仰ってるんですか。わたしのことは呼び捨てが許されても、グレイ様を呼び捨てなど許されません。たとえ聞こえなくても、です!」
「ジュネス……」
強く反対の声を上げたジュネスに、グレイは首を巡らせて視線を向けてきた。その視線にゾクリとする。まるで獲物を狩る鷹の目だ。
「お前だけライナとの親密さをアピールしようなんて、俺が許すと思っているのか。お前こそ敬称付きでいいだろ!俺は絶対、呼び捨てにしてもらうからな」
「そ、そういう問題では……」
主の暴走にジュネスは泣きそうになった。正直ライナに罪はないのだろうけれど、変貌してしまう前の冷静沈着なグレイを返してほしいと訴えたい気分だ。
「朝から賑やかですね、グレイ様」
その時後ろから冷たい声が掛けられた。言わずもがな、クレールだった。
「朝食の準備が出来ました。……旦那様に昨夜暴走はやめろと言われたことをすでに忘れていらっしゃるようであれば、わたくし心苦しいながらご報告差し上げなければなりません」
クレールは【魔法士】でも【精霊士】でもない筈だが、なぜか冬の精霊を操っているのではないのかと思うほど、今この場は寒かった。
「……すまない。少し焦ってしまっただけだ」
昨夜の出来事を思い出し、視線を外してさすがに謝罪する。そして困惑顔のままのライナの頭を撫で、その手を取って食堂へ向かっていったのだった。
―――4人が立ち去ったあとの湯殿付近で、侍女やメイドたちのおしゃべりが激しくなったのは、仕方ないと思われる。
クレールは黙ってくれていたようで、ファヴォリーニは最後までなにも言ってこなかった。ミラビリスは昼前にしか起きてこないということで、朝食は3人だけだ。メニューもパンとスープ、サラダと肉と野菜の炒めものといった、予想していたより質素なものが出てきた。材料は激しく高価なものだろうが、見た目だけであれば拍子抜けするメニューだ。
出てきた銀食器もスプーンとフォークのみ。ファヴォリーニはライナを気にしていないし、グレイはライナのマナーを気にしていないしで、とても気楽に食事ができた。昨日食べれなかった分を取り返すがごとく、ライナはこぶし大のパンを3つも食べてしまったのだった。
「今日はファーラル師匠のところに行ってきます」
「わかった」
食べ終わり、食後のコーヒーを飲みながらグレイはファヴォリーニに行動予定を伝えておく。だが、特にいうことも無いのか、新聞から顔を上げる事無く簡単な返事だけだった。
「ライナ、昨日ここに来る途中に見た巨大な建物を覚えてるかな。元はお城だったから特徴的だったと思うけど」
「―――」
馬車の中から見た記憶を引っ張り出し、ライナは軽く頷いた。
「今日はそこに行く。俺の師匠がいるから、紹介するよ」
師匠ということは、その人も【魔法士】なのだろうか。それとも軍人としての師匠なのだろうか。ライナには判別がつかなかったが、行けば分かると思ったのでただ再度頷くにとどめた。
「あと、例の巾着も持って行ってくれるかな。そうだ、あの本も入るような鞄を探そう!手放さずにいたほうが、ライナも安心するだろう?どうかな」
グレイの言葉に、ライナは瞳を輝かせた。なぜ巾着がいるのかと不思議に思った気持ちは一瞬で霧散した。
服も靴も帽子もアクセサリーもいっぱい買ってもらってさらに強請るのは気が引けたけれど、宝物をいつも一緒に持ち歩けるという申し出は心から嬉しいものだった。顔に広がる喜色にグレイも嬉しくなる。
「よし、ジュネス馬車の準備を。クレール、外出着に着替えさせてあげてくれ」
「!?」
喜んでいたライナは、グレイのその一言で顔に困惑の色を浮かべたが、誰も気づいてくれなかった。
―――一日で3着目のワンピース……ううん、これはドレスだわ……
馬車に揺られながらライナはぐったりと壁際に寄りかかった。着せられたドレスは若草色のふんわりと広がったもので、スカート部分に緻密な刺繍が施されていた。裾には濃薄の色使いが美しいレースが3重に縫い付けてあり、色のコントラストを楽しめる。胸元には最初から濃い緑色の宝石が取り付けてあり、それを囲うように胸元にも刺繍がされていた。首の傷跡をストールで隠しているライナは、ネックレスなどは付けたくないので、最初からドレスに装着されている宝石は有難いのだが……いやしかし。
髪もアレンジされた。香油だけを付けて飾り気のなかった髪を、左右の眉間辺りから細く編み込みされ、髪飾りで留められている。髪が顔にかからなくて楽といえば楽なのだが、座席前に座っているグレイの視線がなんとも痛かった。
「何度見ても可愛いよ、ライナ」
出来上がったライナをグレイは歯の浮くセリフで褒め称えまくった。ライナが抵抗を諦め、侍女たちが引いてしまうほどの勢いだ。ジュネスが止めたが止まらず、結局見かねたクレールが再度冷気を発し止めてくれたのだった。ただ、残念ながら完全には止まらず、ライナを見るたびに『可愛い、可愛い』を連呼してくる。そして現在馬車の中。向かい合わせで座っている二人を邪魔するものはなく(ジュネスは御者台へ移動させられた)目が合えば飽きないのかというほど『可愛い』を繰り返してくるのだった。
声が出せれば文句の一つでも言えるのだが、なにしろ声が出ないので抵抗する気も失せた。
ただ、笑顔で手は握られてもそれ以上の過度な接触はない。それが救いといえば救いになるだろうか。
馬車はほどなく、昨日訪れた洋品店に到着した。到着後すぐに扉が開き、厳しい表情のジュネスが顔を出した。そして、ライナとグレイに異変がないのを確認すると、タラップを出して外へ誘導する。
「信用がないのか、俺は」
先に馬車から下りたグレイは困ったようにジュネスに問いかけた。
「数日前までのグレイ様でしたら、裸の女性と二人、密室に放り込んでも安心だったのですが、いまは気が抜けなくなりまして」
「……何もしないさ」
「そうであって下さい」
主従の会話はとても情けないものだったが、幸いにも小声だったのでライナには聞こえなかった。
洋品店の主人はライナに合う鞄があると、値段と比例しない収納力のない鞄や、値段と比例した重い鞄を勧めてきたが、全部断った。入れたいものは指南書と小さな巾着だけなので、大きくなくてもいいのだが、それでも毎日持ち歩きたいと思える鞄がいい。
店内をウロウロと見て回っていたライナの視界に映ったのは、洋品店の外。通りの向かいにある雑貨屋だった。雑貨屋の軒先にぶら下がっている小振りなショルダー。
自然に囲まれたライナの視力はすこぶるいい。向かい通の商品でもしっかり目視していた。
ライナはグレイを探したが、奥の方で店主と商品を眺めていたので、無視して店外へ飛び出した。そして通りを駆けて行き雑貨屋の前に辿り着いた。 後ろからライナを呼ぶ声が聞こえて振り返ると、グレイではなくジュネスが慌てた様子で走ってきている。
「どうしたんだ、ライナ」
さすが軍人だ。息も切れず平然と隣に並んでくる。そんなことを思いつつ、一つの鞄を指さした。
「これ……これがいいのか?」
飾り気のない、革のショルダー。蓋のところに小さく三羽の鳥が型押ししてある。何の変哲もないキャメルカラーの鞄だったが、ライナの瞳は強くこれを望んでいた。
「ライナの服装には地味だと思うけど、いいんだな?」
こんな恰好をしているのは自分の趣味ではないので、それを引き合いに出すのはやめてほしい。
思わずむっとしたのに気付いたのか、ジュネスは面白いと笑い声を上げた。
結局遅れてやってきたグレイがライナ希望の鞄を買い、ライナはすぐに中に指南書と巾着を入れた。
嬉しくて三羽の鳥の型押しをそっと撫でる。寄り添ったその姿が、なんだか父と母と兄のような気がしたのだ。誰にも教えないけれど。
そして馬車に戻ると―――商品の箱が積み上げられているのを目撃することになる。
「昨日、鞄を買わなかったのは盲点だった」
そんな反省を口にするグレイに、ライナとジュネスは顔を見合わせてため息をついた。
ライナとジュネスの仲良し計画です。
グレイがジェラシーしてない程度で…(笑)
次は思いついたので、本編ではなく「閑話休題」かもしれません。
そして。
な、なんと総合評価が100点になりましたーーー!!
うわーーい!!(*^▽^*)
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