別館へ
アンヌが出ていく姿を見送っていたミラビリスは、くるりと振り返ると口元に緩く笑みを浮かべながらライナを見た。
「優しい子でしょう?毎週決まって教会に行ってボランティアをしたり、今では寄付もしているの」
貴族の紳士淑女の中では、貧しい者たちに施しをすると言うことが、一種のステータスのようなものになっていた。グレイは正直、こういった貴族たちの自尊心を満足させたいだけの所業を毛嫌いしていたが、それでも寄付などにより、助かっている人々がいることも事実なので、このような話題の時は無関心を装うことにしている。
「わたしたちも、アンヌを見習って最近では僅かばかりの寄付をすることにしているの」
ロットウェル国内で名の通ったバーガイル伯爵家からの寄付が『僅か』であるはずがないが、そんな内情はライナにはさっぱりわからない。というよりも、貧しい人に寄付という意味合いもわかっていないようだった。
ずっと村の中で助け合って生きてきたライナにとって、寄付などという大義名分がなくても、困っている人を助けるというのは、至極当たり前だったのだから。
そう思っていても、ライナは曖昧に頷くことだけはした。なんとなく、そうしなければこの雰囲気を壊してしまう気がしたからだ。
それにしても、こんなに平然と話が進むということは、帰り際にアンヌから囁かれた言葉は他の誰にもやはり、聞こえなかったのだろう。
「暫くこの屋敷にいるというのなら、アンヌと顔を合わせる機会も多いでしょう。年齢的にも姉と妹、といったところかしら。仲良くなさいな」
仲良くは無理かもしれない……と思ったが、ここも曖昧に頷いておいた。
ミラビリスにとって、アンヌは自慢の息子の美しい婚約者なのだろう。しかも、幼い時から一途にグレイを慕う姿は、限りなく好意的に映っているようだ。
「それと―――」
「母さん」
まだ話したりなさそうなミラビリスを遮ったのは、その自慢の息子だった。
「保養所からここまで、ずっと馬車でライナも疲れております。別館に案内してきてもよろしいでしょうか」
グレイの言葉に、ミラビリスは若干眉をしかめた。
「あなた自ら案内せずとも、クレールかジュネスに任せればいいでしょう」
「いいえ。ライナにはファーラル様のことで伝えておきたい事柄もありますし、俺が案内しますよ。それに、ジュネスたちには荷物を運んでもらわなくてはなりません」
「……仕方ないわね」
ファーラルの名前を出されると、強気に出られないのはすでに条件反射のようなものだろうか。ふと父ファヴォリーニを見れば、座ったまま軽くグレイに向けて追い払うようなしぐさをした。それは間違いなく『早くいけ』と促している。そんな父に目礼をすると、これ以上ミラビリスが何かを言う前にと、グレイはライナの腕を取って居間から脱出した。
「すまなかった、ライナ。騒がしくて驚いただろう?」
部屋を出てすぐ、ジュネスが声をかけてくるよりも早く、グレイはライナに労わるように声をかけた。整った顔を困らせ機嫌を気にするその姿に、自然とライナの口元が緩んでいく。そして顔には穏やかな笑みが浮かんだ。
「……っ!!」
初めて見たライナの笑顔に、グレイは体を硬直させてしまう。
身を屈めてライナの視線と合わせていたため、その無垢な笑みを間近で見てしまったのが原因だ。そしてそんな二人の様子を眺めていたジュネスは、思わず天を仰いだのだった。
東の別館に移動する際にも、ジュネスは我が目を疑うものを目撃することになる。そろそろ慣れてもいい頃だとは思うが、どうしても驚かずにはいかれない。
「床が滑るから」
理由をつけてライナの手を取ると、満面の笑みを浮かべて足取り軽く別館への通路を行ったのだ。ライナの小さな手を大事そうに包み込み、ゆっくりとした歩調で広い廊下を二人並んで進んでいく。後ろで両手に荷物を抱えていたジュネスは思わずその荷物を取り落しそうになったが、なんとか堪えた。しかし、免疫が全くなかった屋敷の使用人たちは、哀れ手にしていた様々なモノを廊下にぶちまけたのだった。
モップ、ブラシ、銀食器、宅配物、バケツ、洗濯物、食材……。
グレイとライナが進んでいくだけで、その通路に偶然居合わせた使用人たちは、落してはならない道具を激しい音を立てて手放した。
賑やかな行進曲は二人が別館に到着するまで続いたのだった。
別館は本館からは渡り廊下でつながっている。別館専用の玄関もあるにはあるが、利用されていないようで施錠されていた。渡り廊下を使わないのであれば、生い茂った森のような庭を突き進んでいかねばならない。別館はその森のような庭に囲まれた、静かな空間に存在していた。グレイが精霊の見えるライナに、なぜ別館での居住を進めたのかようやく分かった瞬間だった。
「そんなに部屋数もないし、ここはライナの好きにしていいからね」
「!」
まさかの発言にライナは驚いてグレイを見上げた。
案内された別館は、本館には劣るものの充分美しい建物だった。それどころか、本館よりも多少質素で、適度に手入れされているくらいの雰囲気―――言うなれば仰々しさがないので少し安堵していたのだ。だが、ライナが住んでいた家とはかけ離れた佇まいだし、村の社よりも当然立派だし、家具にしても廊下にある花瓶にしても、いままで縁のなかった輝かしさだったのだ。
気後れしかけていた所へ、グレイの『好きにしていい』発言。ライナは感覚の違いに呆然としつつ、胸の奥がもやもやするのを止められなかった。
「荷物はすぐに運び入れさせるよ。さぁ、部屋の説明をしよう」
ライナの戸惑いを感じることなく、グレイは握ったままの手を軽く引っ張って歩き出した。
「この部屋は日当たりがとてもいいんだ。居間にどうかと思って」
先程ファヴォリーニとミラビリスを紹介された際の居間に比べれば小さいものだろうが、それでもライナの家がすっぽり入ってしまうのではないかという広さだ。
「ここは寝室。ベットが小さかったら教えて。大きなものに変えるから」
指し示されたベッドはライナが5人並んで寝ても余るような大きさだった。これより大きなベッドというものが想像できない。
「ここは衣裳部屋。今日買った服も靴も、全部この中に収納するよ。これからもどんどん増えていくから、足りなくなったら余ってる部屋を衣裳部屋に改築するのもいい」
衣裳部屋があることだけでも驚きなのに、足りなくなったら?余ってる部屋?改築?
同じ言語を聞き取っているのだから、内容は聞き間違えていない筈だ。筈なのだが……感覚が違いすぎてどうにもついていけない。
「ここは朝食室。と言っても、実際は朝食以外もここで食べるから、正しくは食事室ってことなんだけど」
長い長いテーブルが横たわった部屋。椅子が10脚はある。美しいレースのテーブルクロスが木製のテーブルを包んでおり、銀食器が整然と並べられていた。等間隔に飾られた花瓶の花が、開けられた窓から入った風に揺れている。
―――ここが、食事をするためだけの、部屋……。
呆れ半分、驚愕半分でライナはただ呆然と突っ立っていた。戸惑いだけが心を占めてしまい、思わずグレイを振り仰いだ。その表情はとても不安げで、思わずグレイはライナを抱きしめていた。
びっくりしたのはライナだ。
「急に知らないところに連れてこられて不安にさせてしまったね……大丈夫、食事は俺もここで食べるし、仕事以外の時間は全部別館で過ごす予定だよ。本当はこっちで寝泊まりできれば一番なんだけど、母親があの調子だから俺が別館に居つくのを良しとしていないようだ。……何を考えているのかまったく……」
それはこっちのセリフです!という、存在の忘れかけられているジュネスは心の中で盛大に声を上げていた。
「あ、それと!」
突然思い出したようにグレイが声を上げ、ライナに詰め寄った。不安げな表情の原因の一つを思い出したからだ。
ライナの両手を取り、その正面に膝をつく。
「アンヌが婚約者ということになっているけど、あれは親たちが勝手に決めたことだから鵜呑みにしないでほしい。子供の頃に勝手に決められた自分たちの意思とは反したことなんだ。なぜかアンヌは乗り気だけど、恋人でもできればきっと間違いに気づく。好きあっていない者同士の婚約など、不幸でしかないと思うからね」
目線を合わせて訴えてきた内容は、アンヌが聞いたら卒倒するだろうなと思えるものだった。実際、後ろで聞いていたジュネスは、他に誰も聞いていないかと慌てて周りに視線を走らせたのだった。
「母はアンヌを気に入ってるし、度々この屋敷に来ると思う。けど、別館には用事もないのに来る理由がないし、会いたくなければ会わなくてもいい。精霊に頼んで監視してもらうから、俺がいない時に困ったことがあれば精霊に言付けしてくれたらいいよ。別館について困ったことがあれば、執事のクレールに言えばいい。彼は決してライナを傷つけない」
「わたしだって、ライナを傷つけたりしませんよ」
ジュネスがぼそりと呟くと、グレイはようやく存在に気付いたように、後ろで所在なさげに立っていたジュネスに視線を向けた。そしてふっと軽く笑んだ。
「もちろん、お前がライナを傷つけるなんて考えていない。ただ、補佐官なのだから、俺と行動することが多いだろう。俺たち二人がいればいいが、いない時の助けは精霊かクレールに頼むしかない。もちろん、俺がいなくてジュネスが近くにいるときには、ライナの助けになってやってくれ」
「はいっ」
グレイに信頼の瞳を向けられ、ジュネスは高揚した気分で大きく頷いた。その様子を見届けると、再度ライナに向き直り真剣な顔で瞳を覗き込んできた。
「さぁライナ。わかっているだけでもこんなに君の味方がいる。だから、落ち着くまでここにいてほしい。どうだろう」
「……」
ここまでお膳立てしておいて、いまさらそんなことを聞くなんてちょっと卑怯だ。と思ったライナだったが、困ったように首を傾げた後、ゆっくりと、けれど確実に強く頷いた。
その様子に、グレイは安堵の息を吐き、嬉しそうな柔らかい微笑みを浮かべたのだった。
お待たせいたしました。
グレイさんは相変わらずです。
いつも読みに来ていただいてありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。




