第7話 「建議書」
その数日後、平八郎は信用のおける塾生の田沼意義を伴って西船場の商家に向かった。
密談とはいえ天満からここまで離れた場所に連れて行くのは、ここを覚えておけということだと意義は理解した。
表には「美吉屋」の看板を掲げ、染物の売買を営んでいる店だ。
急な訪問なのに、主人の五郎兵衛が笑顔で迎えてくれた。
「これは、先生。ようお越しやした。旗の件やったら手前どもの方から」
「旗」という言葉に意義はぴくりとなる。
武士が旗を注文したのだとしたら、それは戦場に持っていく幟ということだろう。
「ああ、今日はちゃうねん。久しぶりに知己の者が訪ねて来たもんやさかい、積もる話を聞きとうてな」
と、意義を五郎兵衛に紹介した。
顔を覚えてもらっておけ、ということ。
「渡辺良左衛門と申します。不肖の弟子です」
渡辺某は、ここ大坂で意義が使っている偽名だった。
なにぶん大坂は幕府の直轄領なので田沼姓は他人の関心を買う、との懸念からだった。
「美吉屋の主、五郎兵衛どす。お侍様。どうぞ、よろしうに」
五郎兵衛の方も意図を察したらしく、意義の顔を刻み込んだようだ。
「離れ借りるで。ええか?」
案内されたのは、店の裏にある小屋だった。
物置かと思ったが、寝具や調度品が揃っているので生活の場にも使えそうだった。
五郎兵衛は茶と菓子などを置いて「ごゆるりと」とすぐにその場を離れた。
平八郎とは以心伝心らしい。
「商人ながら五郎兵衛も学究心の強い男でな。商売のかたわら、わしの講義を熱心に聴いていってくれるんや。ここは、時折隠れ家に使わせてもろうてる。さてと」
「なんなりと」
平八郎は懐から「国家之儀ニ付申上候」と表書きされた書状を取り出し、意義の前に置いた。
「幕閣に読ませたい建議書や」
眼で伺いを立てた。
中を見ても?
平八郎は頷く。
建議書とは、為政者たちに議論してほしい案件を記した文書だ。
だが読み進めると、内容はそんな生易しいものではなかった。
跡部をはじめとする幕閣の無能ぶりを暴いて、告発しているのだ。
「これを、田沼意留殿に渡して欲しいんや」
内容もさることながら、渡す相手の名を聞いて意義の脳裏に逡巡と葛藤がよぎった。
そして平八郎もそれを見越していたのか、突然頭を下げて言った。
「お主が勘当された田沼家に、行きづらいのを知った上で頼む。これが、生命線になるやもしれんのや」
密談の目的を知り、意義は感慨深く目を閉じた。
「わかりました。でも私が帰るまでは、事を終わらせないでくださいよ」
意義は、建議書を大事に懐にしまって続けた。
「ようやく見つけた死に場所ですから」
平八郎は思う。
この男、過去に何があったか知らぬが死に急ぐきらいがある。
腕も立つ。頭も切れる。人間もできているのに。
だが次にする話は、その死に急ぎが肝要となる。
「うむ。それと、もうひとつ……」
わしは今から、この男に死を宣告する。
いや、格之助や塾生全員にもだ。
わしは事を成すために、利用できるものは全て利用する。
そして、あの世で詫びる。
それしかあるまい。
平八郎は、そう覚悟を決めていた。
つづく
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