エピローグ 「お楽しみは、これからだ」
文久二年(1862年)暮れ。
海軍奉行である彼の許に、土佐藩を脱藩したひとりの大男が訪ねてきていた。
「お初にお目にかかります。わしは、坂本……龍馬ちう何者でもない一介の浪人です」
挨拶をして顔を上げると、目の前の小男は火鉢に肘をつきキセルをふかしていた。
「おう。オイラは海軍奉行の勝安房守義邦だ。堅っ苦しいから、海舟とでも呼んどくんな。時代という大海に浮かぶ、ちっぽけな舟だ。ははは」
その男は齢四十くらいか、小柄ながらも頑強そうな体躯と意志の強そうな面立ちをしていた。
そして、向き合ってはじめてわかる度量。
この人間的余裕はよほどの修羅場を潜り抜けて来たからだろうか。
龍馬があらかじめ得た知識では、勝義邦は旧姓を男谷といって出自は二十人扶持の旗本だという。
そんな裾野の官吏が海軍奉行にまで出世するのは、異例中の異例のはずだ。
「海舟……勝先生は、今の天下をどう見ちゅうがですかのう?」
「……うん。幕府は、もう虫の息だわな」
龍馬は口を半開きにしたまま、目の前の男に釘付けになった。
「ちゃっちゃ、こらたまるかよ。先生は幕府側の人間じゃろうが?」
この男の規格は自分の想像をはるかに超えている。
昵懇にしてもらっている松平春嶽公からは「いまの日本にとって最も重要な人物」として勝を紹介された。
だが官吏はおろか、武士の枠からも逸脱している。
だからこそ重要な人物、ということなのだろうか?
勝は袂からある物を取り出して、土佐浪人の前に差し出した。
「こ、これは?」
「リボルバーっていう短筒だ。坂本龍馬とか言ったな。さむれえでも何者でもねえ浪人、ってとこが気に入ったぜ。おめえさんにやるよ」
わけがわからない。
刺客かもしれない初対面の男に、こんな物騒な物をくれてやる?
尊攘派からも幕府内部からも命を狙われているという異端の重臣に向けて、いま自分がこれを遣ったらどうするというのだ。
「あいや。こがいなもんは、わしには重すぎるっちゅうか。いろんな意味で」
「こんなもんはただの道具さ。キセルくれえのつもりで懐にしのばしときな。だいたいオイラにしても貰いもんだからよ。つなぎ、ってことでよ」
「はあ。つなぎ、ですか」
勝はキセルを咥えたまま、世話話でもするかのように続けた。
「ところで……天下をひっくり返すいい方策があるんだが、おめえさん聞いてみるかい?」
煙を吐く小男の口元が笑った。
「鼠たちのカクメイ」完




