忘れない
芹澤 マリシャが、死んだ……その事実に悲しみはないし、むしろ喜びの方が大きかったはずだ。だが、俺はその場から動けなかった。元々、あの女を突き落としたあとは、逃げるつもりなんかなかったし。
自分から名乗り出ることはしないが、俺がやったと付き止められればそれでいいと思っていた。だから……今動けないのは、そういうことではない。
自分でも、なんで動けないのかわからない。
……その後のことは、よく思えていない。ずっと屋上に立ち尽くしていた、いつの間にか教師や生徒、警察がいて……俺は、連行された。
刑務所では、動機とかいろいろ聞かれたが、なんと答えたかは覚えていない。ただうっとうしかったか、それとも両親の仇だからか……なんて、言ったんだっけな。
あの女を刺し殺してから、すべてがどうでもよくなった。一つだけ気になることがあるとすれば、おじさんとおばさんに悪いことをしたなと、それは思った。
二人は、俺に会いに来てくれたが……二人に対しても、俺はなんと答えたのか覚えていない。結局……家族を奪われる悲しみを知っていたはずなのに、俺は、二人に同じ悲しみを味わわせてしまったわけだ。
『だって……突き落とされて死ぬなんて、つまらないじゃない』
刑務所に入ってから、どれだけの時間が流れただろう。こういうのって、裁判とか弁護とかそういうのがいろいろあるんだよな。どうでもいい。
もうなにもかも、どうでもいい。なのに度々あの女の声が、思い出される。耳元でささやかれた、あの声が。まるで、今ここにいるかのように。
『せっかく怜に殺されるんなら……こうして、ちゃんと怜の手で殺されないとね』
今も、覚えている。この手が、あの女を刺し殺した感触。人を殺したという、感覚。突き落としただけでは、こんな気持ちを抱くこともなかっただろう。
これが、人を殺すということ。これが……
『ちゃんと、怜の、手で……そう、これなら、怜は、絶対に……』
今も、あの女は……ここにいる。この心の中に、住みついている。
あの女から、逃れようと思った。だから、殺そうと思って……実行に、移した。そうすれば、たとえあの女を殺しても殺せなくても、俺は遠くに行けると、そう思っていた。
だが、違った。あの女は最後、俺に自分を殺させることで……殺したという意識を植え付けることで……芹澤 マリシャという人間を、俺の心の中に刻み込んだ。
自分が殺した人間は、一生忘れない……俺はもう、あの女を忘れることは、できない……
『怜は、絶対に……忘れない。私は一生、怜の中で生き続けるの。怜が大人になっても、結婚しても、子供を作っても、おじいちゃんになっても……一生、一生怜と、一緒だからね』




