心、少しわかり
「私にとっては不得手な地形だが、贅沢も言ってられないか。〈アクアボール〉」
オルガロスが呟くと、彼の足元に集っていた水溜りが飛沫をあげて彼を包み込んだ。
微かに流れていた地下水の支配権はオルガロスへと移り、彼の意のままに形を自在に変えていき、やがてオルガロスの全身を包むほどの巨大な水の球を形成した。
「己の周囲に水を帯同させ、即座に新たな魔法を放てるようにした攻防一体型の魔法か。面倒じゃが器用な魔法じゃな」
魔法は自然を生み出す事をも可能にするが、それはレアのような膨大な魔力を持つ者のみが許される特権。魔力の消費を抑えるために普通の魔法使いは自然を生み出すのではなく、自然を利用して魔法を行使する。
大司教であるオルガロスもその位置に達する人物ではあるのだが、不足の事態に備えるためにも魔力の消耗は抑えておきたかった。
故にオルガロスが行なったのは、僅かに流れる地下水や大気中の微量な水分を寄せ集めて凝縮。更に一度に大量の水を汲み上げそれを保持する事で、次に放つ魔法のタイムラグを限りなくゼロにした。
これ程の技量、並の魔法使いでは汲み上げた水を保持するだけで精一杯の高等技術である。
それに加え、水場が限りなく少ないこの場所での魔法行使。いくら“聖水”の称号を名乗り水属性の魔法が得意であったとしても、魔法が使えるというだけで称賛に値される程である。
普通の魔法使いであれば、まずこのような地で水属性の魔法は使えない。
「断ち切れ水よ──〈アクアスライス〉」
そして水の球体から射出される、流水の刃。
薄く高速で流動する刃は岩する削り進み、ゴブリンの集団を真っ二つに切り裂いた。
しかも飛び出した刃は一枚だけではなく、四枚もの水の刃がゴブリンを切り刻む。
一瞬にして三桁のゴブリンを斬殺したオルガロスの魔法を見て、及び腰だった傭兵たちの戦意が向上した。
「すげぇ、水場のないところでこれだけの水魔法を……」
「俺たちもウカウカしてられねぇぜ! ぶっ潰してやるゴブリン共!」
ゴブリンの笑い声を押し潰すように、傭兵たちの咆哮が響き渡る。
剣で、槍で、斧で、弓で、傭兵たちは自らの武器でゴブリンたちを掃討していく。
いくら数が多くても、歴戦の傭兵にとっては最下級のゴブリンなど敵ではない。
決して突出せず、危なげなくゴブリンを処理していく。
「よし、それじゃあ僕たちも加勢しようか」
「此奴らと混じって戦うのは嫌じゃのう。しかも相手がゴブリンなどと、わしの魔法が役不足ではないか。お主一人で頑張るんじゃぞー」
「そんなぁ!」
しかしレアだけはやる気が全くないようで、安全な場所に引っ込んでユーリに手をヒラヒラと振る。レアからしたら、ゴブリンなど戦ってやる価値すらない。魔法を使ってやるなど恥辱でしかない。
「お主なら一人でもこの群れを殲滅できるじゃろうが、あまり力を使い過ぎると大司教に正体を見破られてしまうから気を付けよ。ほれほれ、早くわしの前からこの汚物を消し去ってくれ」
「まったく、勝手なんだからっ!」
「キッ!?」
会話の途中で後ろから襲ってきたゴブリンを、振り向きざまに一刀両断する。
ユーリの持つ剣は元はただの剣であったが、その精神性が染み付いた事で構造が変質。彼の心が折れぬ限り決して刃が欠ける事はなく、願いを抱き続ける限る万象をも切断する。
過去に救世主と呼ばれた者がそうであったように、彼の善性が染み付いた剣も聖遺物と化していた。
「安心せい。お主の鎧はドラゴン種のブレスすら傷付かぬ絶対の守りじゃ。ゴブリンが万匹やってこようが、お主の身に傷が付くことはない」
ユーリが身につけるミスリルの鎧は現代では最強の守りの一つである。
あらゆる魔法や呪いに対して絶対の守りを発揮し、物理的な攻撃にも強い。
流石に同じ三大鉱物であるオリハルコンやアダマンタイトと比べて頑強さは些か見劣りしてしまうが、ドラゴンの踏みつけや突進に匹敵する攻撃ぐらいでしかダメージは受けない。
ゴブリンの爪や牙では千年かけようが引っかき傷すら付かないだろう。
「まだかかりそうかのぅ? わしはもう飽きてしまったぞ」
「だったら、少し手伝ってほしいんだけど?」
「甘えるでない。わしの手を借りたかったら、もっとマシな相手を寄越せ」
「──キキキッ!」
「む?」
レアの左右から、ゴブリンの不快な鳴き声が聞こえた。
よほど腹が空いていたのだろうか。幼く柔らかい少女の肉を求めて、傭兵との戦闘を無視してまで二匹のゴブリンは涎を垂らしながらレアに襲いかかってきた。
「レアっ!」
「近づくな汚物が」
「ギッ!?」
視界にすら入れる事なく、底冷えする声と共に組んでいた腕の手の平から圧縮した空気の弾丸を放った。
弾丸はゴブリンの胸へとめり込み、貫通する直前に体内で弾丸が炸裂。パンッと破裂音を響かせてゴブリンの体は宙に四散した。
「レアっ、大丈夫かい?」
「何をしている戯けが、わしの手を煩わせるでない戯け」
埃を振り払う為とはいえ、ゴブリンを相手に魔法を使ってしまったのは屈辱でしかなかった。
不敬を働いた者ならいざ知らず、知恵すら持たず理解もできないケダモノに己の深淵が如き魔法の真髄を披露するなど、レアのプライドが許さない。彼女の魔法を身に受けるのも資格がなければならないのだ。
罰を下すべき不敬者であり、悪に挑みし勇者であり、欲望と悪徳に溺れし者あり、断じてケダモノに向けるべきではないのだ。
むすっと頬を膨らませてその体たらくを咎めるレアに、心配して駆け寄ったユーリもついたじろぐ。
「ご、ごめんよレア、怪我はないかい?」
「お主、わしを誰だと思っておる? この身に傷を付けて良いのはお主だ、け……」
ぷんすか怒っていたレアの声は尻すぼみとなり、袖についた黒い染みを見つめる。
それが四散した際に付着してしまったゴブリンの血だと認識するとレアの顔から表情が抜け落ち……周囲の地面が陥没した。
「やれやれ、わしも耄碌したか? この程度の汚物風情に、我が衣が汚されるとはな。この怒りをどこにぶつければいいやら」
レアの視線は、前方で傭兵たちと戦っているゴブリンに向けられた。
鋼鉄すら射抜き、魂すら見抜かんと暗がりでも妖しく輝く紅の瞳と、昂った感情によって漏れ出した魔力が全員にのしかかり動きを止める。
周辺の重力すら歪ませる程に放出された魔力に周囲を身動きがとれず、しんと静まった空間に喉の鳴る音がやけに明瞭に響く。
「絶滅をくれてやろう──〈杭ノ墓標〉」
レアの言葉が、虐殺の幕開け。
洞窟内に突如として現れた無数の杭がゴブリンの群れに襲いかかり、体を無慈悲に貫いていく。
仲間が殺されていく光景にようやく恐怖を覚えたのか、怯えた声を出しながら逃げようとするが、幼き暴君は逃亡など許さない。
逃げるよりも尚速く、地獄の獣が追いかけるように杭の領土は広がりゴブリンたちを刺し貫いていく。
時間にして、僅か数分の出来事。しかし後に残った光景は凄惨な虐殺現場。
宙高く串刺しにされたゴブリンの死骸がそこかしこに広がり、臓物が零れ落ちたり杭から血が滴り落ちていた。
いくら敵とはいえ、残酷極まる光景に口元を抑える者までいる。
「運良くわしの魔法から逃れた奴もいたようじゃな。じゃが、それをこのわしが許すと思うか?」
最後尾にいたものは幸いにも、この杭から逃れる事ができたようだが、レアがそれを見逃すわけはない。
より濃密に、魔力が噴き出し地面が揺れる。まるで地獄の底の釜が開くかのように。
レアの足元から出た炎が小さく揺らめく。
「全てを灰燼に帰してやろう──〈地……」
「レア、それ以上は駄目だよ」
先程の魔法よりも更に大規模の魔法を放とうとするのを、隣に立っていたユーリが止める。
「おい、なんのつもりじゃ?」
「その魔法はやり過ぎだよ。洞窟全部焼き尽くす気かい?」
レアがこれから唱えようとした魔法、それはユーリとの決戦で使用した魔法の一つであり、地獄の業火を顕現させる禁忌。広域に存在する万物を焼き尽くす殲滅魔法である。
もしこの閉鎖された空間で使われてたら、敵も味方も構わず全てを焼き尽くし、残るのはレアとユーリと灰だけになっていただろう。
もちろんそんな物騒な魔法を使ったら全滅は免れないので、レアの腕を掴んでユーリは止める。
「……そうじゃな、怒りで周りが見えておらんかったようじゃ。流石に奴らも全滅させるのは都合が悪いの」
ユーリの一言で、怒りが渦巻いてレアも少しは冷静になれて煌々と妖しく輝く紅眼の光が落ち着いた。
流石にレアも周りの人間たちも全滅させるのは後々に不都合が多い展開になるのを察して、荒れ狂っていた魔力を鎮め溢れ出していた魔力を霧散させる。
「……………………」
レアの膨大な魔力が消えた事で重力の歪みは解消され身動きが取れるようになったが、変わらず傭兵たちの表情は硬くレアを見つめている。
敵を屠ったとはいえ、あまりにも圧倒的な蹂躙と殲滅、そして後に残った凄惨な光景が彼等に勝利の興奮をもたらしてはくれず、寧ろレアへの恐怖心のみが募る事になった。
「レア、さすがにちょっと派手すぎだよ。道もレアの魔法でふせがれちゃったし、みんなが怯えてるよ?」
「構わぬ。元よりわしは恐れられる存在であり、今更人々から称賛を得ようとは思わぬ。これまでも、これからもわしの在り方は変わる事なく、恐怖を振り撒くのみじゃ」
レアが先を歩けば、怯えが消えない傭兵たちはできるだけ離れようと端へと寄る。
人から恐怖されるのはいつもの事。周囲の視線など気にする事もなく進むレアの背中は孤高で気高く、そして寂しそうにユーリには見えた。
圧倒的な能力を持つ故に他と隔絶してしまったレアは他人などに興味はなく、常に己しかいない山の頂にて独り立っていた。
誕生と同時に強者である事を定められたが故に彼女は恐れられる事を宿命づけられており、常に孤独と孤高であった。
しかし己が強者であると受け入れた彼女は、その代償として孤独でいる事を選び強靭な精神で以って数百年以上も誰も見えない山頂に君臨していた。
唯一の例外である己と同位置へと立つユーリだけは認めているが、それ以外は頑なに、寧ろ進んで孤独であろうとさえしている。
レアがどういう思惑であっても、結果として多くの人間が犠牲になるのを抑えた事には変わりない。だというのに感謝はされず恐怖だけが向けられ、レアもそれを受け入れている。
誰も近づかない中を進みレアの背中はまるで彼女の生き様を表しているようで、ユーリにはとても寂しく見え、報われない生き方に心が少しざわつく。
「大丈夫だよレア。皆が怖がったとしても、僕だけは怖がらないから。安心して」
ほんの少しだけ、欠片のように僅かなものだがレアの心が分かった気がした。
傲岸不遜にして唯我独尊で我が道を行く少女は人からの称賛などを求めず、恐怖される事を良しとして独りである事を受け入れる。
強者としての矜持と精神力で本人は気にもしないが、お人好しであるユーリにはその不器用な生き方は見ていられなかったし、自分だけは彼女を独りにさせたくなかった。
常に憮然とした表情をしていたレアは、ユーリの言葉を聞いてポカンと珍しい表情を浮かべて、またすぐにいつもの表情に戻る。
「……ふん、余計な気遣いなぞ無用じゃ。お主がわしを怖がろうと怖がらなかろうと、わしは気にせん」
「はーい。それならレアから離れる事はしないんだよね? だったら一緒にいられて安心だね」
「っ……」
何気なく、本人は意図せずに放った言葉にレアは面食らい、顔が真っ赤に染まった。
ユーリはレアから離れる事はないと言ったつもりなのだが、別に恋人へ愛を伝えるようにも聞こえる。
まるで想いあった恋仲のような言葉を受けた経験などなく、しかもいきなり言われた事で明晰な頭脳を持つレアの頭は一瞬ショートし、言葉を話そうにも喋れず口をパクパク動かすだけだ。
「ぁ、ぅ……っ、ば、バカ! バカ者! 大バカ者! なんて事を口走るのじゃお主は! まるでわしらがあ、あいし、愛しあ……もう知らぬっ!」
「ちょっと、足を踏まないで……って待ってよレア!」
「知らん! ついてくるな!」
しかし言った本人はレアが怒っている理由など分かっておらず、ガシャガシャとつま先の上にある鎧を踏みつけるレアの奇行に首を傾げながらも後を追う。
肩を怒らせながら出現させた杭を塵へと戻し地面を強く踏みながら先頭を進むレアであったが、周囲の目がないのを確認すると途端に顔をにやけさせた。
「ふ、ふへへ、わしとユーリが恋仲か。うむ、悪くないのう。寧ろ良いではないか」
ユーリには恥ずかしがって本音を言えないが、レアも満更ではなかった。誰にも見られない所でだらしなく顔を崩し、あまり人に見せられない顔をしていた。
しかし悲しいかな。ユーリにはそのつもりがないので、全てがレアの勘違いで終わる事になる。
幸い浮かれているレアは気付いていないようで、気付かないままでいてくれる事を祈るのみだ。だとしたらまた不機嫌になってしまう。
怒りながら喜ぶという器用な事をしながら進むレアの足取りは、少し軽やかであった。




