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安兵衛の策

お待ちかねの12月14日です。


元禄十四年、八月十九日


堀部安兵衛、高田郡兵衛の両名は馴染みの店で軽く酒を飲みながら管を巻いていた。

原因は仇討ちのための同志が思うように集まらないからだ。

赤穂藩江戸家老であった安井彦右衛門を盟主に担ごうとすれば断られ、それ以後安井は赤穂の者とは接触を絶つ。

では上席家老の藤井又左衛門ならばと思えば、越中富山藩の知り合いを頼りに江戸を出ていた後であった。

赤穂に居た末席家老の大野は不始末の上に逃亡。話にならない。

そして筆頭家老の内蔵助とはほとんど対立していると言っても良い。

旗印となる者が居なくては人は集まらない。

これは武勇だけではどうにもならない事であり、江戸の急進派は歯痒い思いをしていた。


さらにはお家再興の為に動く内蔵助の働きが着実に形になっているのも安兵衛達には面白くなかった。

まず城明け渡しの際に目付を担当した荒木らが赤穂藩の再興を上告している。

これによって浅野長矩の没後百日目に百箇日の法事が行われている。

幕府にとっては罪人である長矩の法事を認めるという事は、お家再興に向かう意思があると言っているに等しい。


それに評定でお家再興と決まる前に逃げ出した者達の誓約の神文まで集めている。

もはやその者達に赤穂藩に帰属する意思は無いだろうが、数を揃える事でそれだけ多くのものがお家再興を願っているという意思表示ができる。


それだけでなく、内蔵助は将軍徳川綱吉の母である桂正院が懇意にしている寺院と繋がりのある寺に働きかけ、桂正院を動かそうと画策している。

幕府に大きな影響力のある桂正院がその気になれば、一発でお家再興は叶うだろう。


さらに、七月末には長矩の従兄である美濃大垣藩主、戸田氏定の下を元赤穂藩京都留守居役の小野寺十内と訪れたと聞く。

どのような話をしたのかまでは知らないが、また一歩お家再興に向けて前進したことだろう。



それだけ大きく動き、確実に成果も出ている内蔵助ら再興派に比べ、自分達は毎日実を結ばない話し合いをしているだけであり、焦りと苛立ちばかりが積み重なっていく。

江戸の町人には連日仇討ちはまだかと問われ、泉岳寺の住職にまで線香をあげるより吉良の首を供えたほうが供養になるのでは、などと嫌味を言われる始末だ。


「おいぃぃぃっ! 安兵衛! 郡兵衛! てぇへんだ!」


飯屋に騒がしく入ってきたのは孫太夫であった。

なにがあったのか、滅茶苦茶な帯の絞め方で着流しの胸元が盛大にはだけていおり、大小など腰に差さず手に持っている有り様で、なんとも孫太夫らしくない酷い格好だった。


「なあ安兵衛、あのみっともないオッサンは知り合いか?」


「いや知らん」


とりあえず二人は他人のふりをする事にした。

武士は、とりわけ江戸の武士は見た目を気にする。

知り合いだと思われたくなかった。


「お前ら酒なんて飲んでる場合じゃねぇぞ!」


孫太夫の様子にただならない事があったのだと感じ、これで下らない用だったら簀巻きにして橋から落としてやるつもりで二人は聞くだけ聞いてみる態度をとった。


「犬でも蹴飛ばしたのか? 大人しく奉行所に行け」


「お気に入りの女郎が身請けでもされたか? あきらめろよ」


「そんなんじゃねえ! 吉良が屋敷替えをするそうだぜ!」


「「!?」」


安兵衛と郡兵衛の酔いは一瞬で覚めた。


「その話、まことか?」


「ああ、湯屋でさるお家のご隠居から聞いた。間違いねえ」


火事の多い江戸には風呂のある家はなく、代わりに数千の銭湯(江戸では湯屋と呼ぶ)が存在し、江戸の庶民は関東特有の砂埃と湿気の対策として一日に何度も利用した。

そのため湯屋は一種の社交場となっているのに加え、身分を問わないという暗黙の了解があり、情報収集にはうってつけの場所となっている。


「本当にどこぞのご隠居から聞いたのか? その格好は湯女でも抱いていたんじゃねえのか?」


疑わしげに郡兵衛は問う。

湯女というのは湯屋で働く女のことで、望めば二階でそういう楽しみもできる。


「あいにくとオッサンのオッサンは安い女だと満足しねえのよ。しかし最近よく同じ頃に湯屋に来る奥方が居るんだが、ありゃあいい女だ。きっとどこぞの名のある家の奥方に違いねえ。乳のほうは少し小ぶりなんだが、こう綺麗なおわん型でな」


「「おいオッサン」」


江戸の湯屋は混浴である。

だからといって直視しようものなら、何故かどこにでも居る血の気の多いおばさん達に殴られる。

江戸中どこの湯屋にも不思議なことに絶対に居る恐ろしいおばさん達だ。物の化の類だと噂される。

彼女達は武士だろうが大商人だろうが殴る。おそらくお忍びのお奉行様だろうが、お忍びの将軍様でも殴られるだろう。江戸のおばさんには誰も逆らえないのだ。

だから江戸の紳士達はこっそり見ている。

体を拭く際に目に入っても仕方ない。下の毛の処理をしている時に目に入っても仕方ない。ふとした瞬間に目に入っても仕方ない。仕方ないのだから仕方ない。仕方ない万歳。仕方ない正義。


「おっと話が逸れちまった。よく聞けよ、場所は本所の松平登之助の上り屋敷、日取りは十二月の中頃だそうだ!」


松平登之助は徳川綱吉の小姓を勤める旗本の武士だ。

日取りまで決まっているからには、この話は間違いなく保証されたも同然。


「屋敷替え、それも本所みたいな何も無い所に。安兵衛、こいつは……」


「ああ、千載一遇の好機だ。郡兵衛は江戸の同志にこの事を知らせて仇討ちの人員を確保してくれ」


「わかった」


返事するや郡兵衛は店から飛び出して行った。おそらく今日中には江戸の同志全員に屋敷替えの話は広まるだろう。


「ならオッサンは引き続き情報収集だな。安兵衛はどうする?」


服を着直しながら訊ねる孫太夫に安兵衛は意味ありげな笑みを返す。


「文を出す」


「ご城代にか?」


「無論ご城代にも文を出すさ」


大石内蔵助に立ってもらわなくては人を集めても、いざという時に怖じ気づく者が出るだろう。

家老が居るというだけで、それは一部の者の暴走ではなく浅野家家臣による行いとなる。

その安心感が有ると無いとでは大きく違う。


「それと上方の同志にもこの事を知らせなくてはならない」


「上方は奥野が主導でお家再興に動いてるって話だぜ」


「ああ、しかし上方も一枚岩というわけではなかろう。本心では仇討ちを望む者も少なくはないはずだ」


「くくく、なるほどな。上方の同志と連係しご城代を挟めば、重い腰を上げざるをえないか。流石だぜ安兵衛」


この安兵衛の策により江戸急進派と上方急進派、二つの勢力が同調し、元赤穂藩士の主流は仇討ちへと流れていく事になり、急進派は一気に勢いを増していくのだった。

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