恋バナ
「セラちゃん。ちゃんと食べなよ」
「……戦っている時と別人すぎると思いますよ」
太陽が沈み、敵兵の攻撃がやむと、わたしたちはやっと休憩することが出来た。
すると、アリサ軍曹は戦場で見せた苛烈な一面を抑え、いつも通りの優しい調子でわたしと接してきた。その変わりようは、あまりにも激しく、風邪をひきそうになってしまうくらいだった。
「そうかな? 自覚は無いんだけど」
「……衛生兵のところに行って、頭を診てもらってくださいよ」
「あははっ、面白いこと言うね。セラちゃんは」
自覚がないと知って、思わず失礼すぎることを言ってしまった。アリサ軍曹だから許してくれたけど、他の上官ではただでは済まなかった可能性もある。反省しないと。
でも、仕方がないじゃないか。あれだけ人が変わっていたのに、自覚がないなんてありえない。だから、突っ込むことくらいは許してほしい。
(ま、結果を出しているのなら、それでいいのかも)
とはいえ、この状況で一番求められていることは、結果を出すことだ。
アリサ軍曹はちゃんと結果を出しているし、性格が変わるだけでわたしたちに害を出してるわけでもない。それなら、咎める必要なんて全くないんだ。
「今日の戦いは、普段と比べてどうだったんですか?」
「うーん、可もなく不可もなくって感じかな。敵兵を削れたけど、予想の範囲内。その代わりに、部隊の損傷も最良ではないけど、まだ許容範囲内。ただ、相手も何かしてくると思うから、このままだと少し不味いかな」
アリサ軍曹は、空になった飯盒を軽く振りながら、淡々と続けた。
戦場で見せた鋭さとは違う、落ち着いた声。でも、その内容は重かった。
「不味いって……どういう意味ですか?」
「簡単だよ。今日みたいな正面からの押し合いを、相手がずっと続けるわけがないってこと」
アリサ軍曹は、遠くの闇を見つめる。
沈んだ太陽の残光が、城壁の影を長く伸ばしていた。
「包囲されてる側に比べて、包囲している側は自由に動けるんだ。例えば、水攻めをしたり、内通者に門を開けさせたりとかね。ま、それはかなり前の戦術だから、使ってこないだろうけど、籠城戦ってそういうモノだから」
「それは……かなり不利なんじゃ」
「そうだね。というか、そもそも籠城戦って時間稼ぎでするものなんだ。だから、こんな状況になっても仕方がない。この作戦になったのは、消去法で選んだ結果なんだから」
その話を聞いて、この状況になったことに納得した。
わたしたちバリエーヌは、あの日……ルークさんたちが死んだ日に負けたのだ。
今、こうして戦えているのは、グレン小隊長のおかげで延命したからであり、決して五分に持ち直したわけじゃない。
「ま、その話はやめよっか。何か話したところで、状況が良くなるわけでもないし」
「そうですね。なら、戦いで性格が変わる理由を教えてくださいよ」
「自覚はないんだけどなぁ。……あ、わかったかも」
今の状況を話したところで、何かが良くなるわけでもないし、わたしは意味のない雑談をしようとした。
この会話は無駄なんだけど、戦場ではこの無駄でさえ手に入らないんだ。こういう時にしっかりと満喫しないと。
わたしの質問にアリサ軍曹は、何か考える様子を数秒見せた後、満足したように頷いて口を開いた。
「グレンの影響だと思うよ」
「グレン小隊長の、ですか?」
それは、予想外とまではいかないが、可能性は低いと思って理由だった。
「前から思っていましたけど、グレン小隊長やオーランド軍曹とどんな関係だったんですか?」
前から思っていたけど、この三人はただなら同僚にしては仲が良すぎると思う。
もちろん、勘違いの可能性もあるけれど、互いのことを,かなり信用していそうで、ちょっとだけ羨ましい。
「関係? 戦友だけど」
「そういうことじゃなくて……」
「いや、そういうことなんだよ。だって、私たちは同じ部隊だったんだから」
「え……?」
それはあり得ない。確かに、オーランド軍曹とグレン小隊長が同じ隊なのはあり得るだろう。
でも、アリサ軍曹は魔導隊に所属している人物であり、彼らとは同じ部隊に所属できないはずーー。
そう思って、アリサ軍曹の方を見ると、彼女は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、わたしの頭を撫でてきた。
「あり得ないって、思ったでしょ」
「えっ、あっ、はい」
「えっ、あっ、はい」
図星を刺されて、思わず背筋が伸びた。
アリサ軍曹は、わたしの反応を楽しむように、指先で頭を軽く撫でてくる。
「だよねぇ。普通はそう思うよ。魔導隊と歩兵隊が同じ部隊なんて、聞いたことないでしょ?」
「……はい。絶対に別々だと思ってました」
「でもね、あのクソジジイ……おっと、ダズ少将が歩兵隊に私を入れれば、高機動で魔法を撃つことが出来るとか考えやがったの。そのせいで、私は歩兵隊の一員として、銃弾の雨を浴びながら魔法を撃ってったんだよ」
「そ、そうだったんですね……」
想像しただけで背筋が寒くなる。
魔導隊の魔法は強力だけど、詠唱や準備が必要で、歩兵のように前線で撃ち合うのは本来向いていない。
そんな場所に放り込まれたら――普通なら死ぬ。
「あの時は地獄だったね。詠唱をする暇なんてなかったし、魔法よりも銃を使ったほうが強かったから。なのに、あのクソジジイは魔法を使えって言ってくるし、オーランドの馬鹿は、私を見て笑う始末。思い出すだけでムカついてきた」
「た、大変だったんですね。でも、それならなんで、グレン小隊長の影響しか受けなかったんですか?」
わたしの疑問はもっともだと思う。オーランド軍曹も一緒にいたのなら、そっちの影響を受けてもおかしくない。
なのに、アリサ軍曹の戦場の顔は、どう見てもグレン小隊長寄りだ。
アリサ軍曹は、飯盒を置き、私の目を真っすぐ見た。
「私はグレンに惚れてたから。ね、好きな人に似るのは当然のことでしょ」
「ごほっ、ごほ……す、す、好きって……アリサ軍曹が、グレン小隊長のことを!?」
思わず食べていた物を吐き出してしまった。
で、でも仕方がない。恋愛の話なんて、戦場でしたことはほとんどなくて、強いて言うならシス伍長の猥談くらいだった。だから、それに耐性が無いのは仕方がないことで、胸の奥が一気に熱くなった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 惚れてたって……あの、えっと、その……!」
「かわいいなぁ、セラちゃんは。こんなにも顔を赤くしちゃって。こんな話をするのは初めて?」
アリサ軍曹は、赤くなったわたしの頬を人差し指でツンツンと突いて、わざとらしく首を傾けた。
その仕草が妙に余裕たっぷりで、余計に心臓が落ち着かない。
「私は戦場で何度もグレンに助けられたし、どんな状況でも諦めずに戦い続ける姿を見たら、惚れるのも仕方がないでしょ。もしかして、セラちゃんも?」
「ち、違います! わたしは、憧れみたいなもので、恋慕ではありません!」
「ふーん、嘘は吐いて無いみたい。ならいいよ」
ならいいよって、もしここで頷いていたらどうなってしまったんだろうか?
そう思うと背筋に冷たい物が走って、手に冷汗が滲んでしまう。
アリサ軍曹はそんなわたしの反応を見て、楽しそうに目を細めた。
「冗談冗談。そんなに怯えないで」
「は、はぃ。グレン小隊長は、それを知って……?」
「知ってる知ってる。同じ隊にいる時は毎日、違う隊にいる時は会うたびに告白してたから。『うるせぇ』って、まったく聞き入れてくれなかったんだけどね」
……確かに、それはグレン小隊長が言いそうなことだ。
あの人は戦争のことしか頭に無かったし、誰かと付き合う暇があるんだったら訓練をした方がマシだと思ってそう。でも、アリサ軍曹の気持ちを考えたら……。
「それって……」
「ううん、まったく気にしてないよ。戦争が終わった時に付き合えたらいいなくらいしか思ってなかったし、戦争が終わるまでに私達が無事で生きてる姿も思い浮かんでなかったからね」
その時のアリサ軍曹の横顔は、どこか寂しそうな影を落としていて、わたしは思わず息を呑んだ。
あれほど明るく笑っていたのに、急に遠くを見るような目になって、胸の奥がざわついた。
でも、その表情は一瞬で消えて、いつもの明るい笑みに戻った。
わたしを気遣ったのか、それとも今の感情は隠したかったのか、他人の心なんて正確にはわからないんだから、深く考えても答えなんて出るはずがなくて、ただ胸の奥に残ったざわつきだけが消えなかった。
「ま、戦場での恋愛なんて、そんなものだよ。自分が死ぬか、好きな人が死ぬか。一緒に死ねるのが最良なんだから、恋愛なんてすべきじゃないんだよ」
「それがわかっているのなら、なんで……」
「好きになっちゃったんだから、仕方ないでしょ。理屈じゃどうにもならないんだよ、ああいうのは」
アリサ軍曹は軽く笑った。
でも、その笑い方はさっきまでの明るさとは少し違っていて、どこか自嘲めいていた。
「ここらへんで終わらそっか。暗くなってきたし」
「そう、ですね……」
「セラちゃんは、誰か好きになったことがある?」
突然の質問に、胸がびくっと跳ねた。
さっきまで、戦場で恋愛をしない方がいいと言っていた人とは思えない質問で、頭が真っ白になってしまう。
「さ、さっきまで、恋愛は駄目だって……」
「そうだよ、でも恋バナって楽しくない?」
「た、楽しくないです! それに、誰かを好きになったことなんて無くて……」
「えー、あのジグって子は?」
「違います! アレはライバルみたいなものです!」
アリサ軍曹はわたしの慌てぶりを見て、完全に楽しんでいた。
戦場で見せる鋭さなんてどこにもなくて、ただの悪戯好きなお姉さんみたいだった。
「そうかな? 私から見ると……」
「もう寝ます!」
「あ、待って。もうちょっと話そうよ」
「話すことなんて、何もありません!」
そうして、わたしはアリサ軍曹に絡まれながら、一日目の夜を過ごした。
周りの先輩に助けを求めてみたけれど、彼らは憐れみの視線を向けるだけで助けてくれず、わたしはおもちゃのようにいじられ続けた。
だって、ここから先はもっと過酷になるのが分かっていたからだ。今日みたいに笑っていられる時間なんて、もう何度あるか分からない。だから、アリサ軍曹がわたしをからかって、みんながそれを見て笑って、そんな他愛もない空気が流れるだけで、少しだけ救われた気がした。
火の粉がぱちぱちと弾ける音が、夜の静けさに溶けていく。
遠くではまだ敵の気配が残っているはずなのに、この小さな輪の中だけは、戦場の匂いが薄れていた。
アリサ軍曹は、わたしの隣であくびをしながら毛布を肩にかけた。
その横顔は、戦場で見せるどんな表情よりも穏やかで、年上の姉みたいに見えた。
「セラちゃん、ちゃんと寝なよ。明日も動くんだから」
「……はい。おやすみなさい、アリサ軍曹」
「おやすみ。いい夢見なよ」
そう言って、アリサ軍曹は軽く手を振った。
わたしは毛布にくるまりながら、暗い天幕の天井をぼんやりと見つめた。
胸の奥には、まだざわつきが残っていた。アリサ軍曹の寂しそうな横顔も、からかうような笑顔も、全部が頭の中で混ざって離れなかった。
でも、目を閉じれば、疲れが一気に押し寄せてきて、思考はゆっくりと沈んでいった。
こうして、一日目の夜は静かに終わった。




