幼馴染
「うっ……」
何かが頬を触れた気配がして、目が覚める。
視界に映ったのは、気を失った場所とは違うテントの中。そして、わたしの頬に手を伸ばしている、気を失ったアインの姿だった。
「――っ!」
驚いて、身体が跳ねあがる。その反動で、アインの手がわたしの頬から離れ、空を切った。
でも、アインは目を開かない。今もなお、これ以上ないほど気持ちよさそうに、眠っていたのだ。その眠りはあまりにも気持ちよさそうで、無理やり起こしたくなってしまう。
でも、気を失う前のことがあるから、申し訳なくて、アインのことは放っておくことにした。……もし、わたしが倒れかけていなかったら、アインが殴られることはなかったのだから。
(でも、どうしてここに?)
そんなことを考えていると、テントの扉が開いた。
「お、やっと起きたのか?」
「る、ルークさん!?」
テントの扉を開けたのは、わたしたちの先輩であるルーク上等兵だった。ルークさん達はまだ訓練をしていたはずなのに、どうしてここに居るのだろう?
「訓練は……?」
「お前ら、かなりの時間寝ていたぞ。だから、訓練なんて、とっくの前に終わってる。というか、もう夕暮れだ」
そう言われて、テントから顔を出して外の風景を見ていると、空は綺麗なオレンジ色になっており、肌を冷たい風が撫でていった。わたしたちが訓練をしていた時間は、まだ太陽が空高くまで登っていた時のことだったから、空の色があまりにも違っていて、 まるで数時間どころか別の一日を飛び越えてしまったような感覚だった。
「す、すみません! 訓練の途中で気を失ってしまって!」
つまり、わたしはあの訓練の途中に気を失ってしまって、ここまで運ばれてきたということになる。訓練に最後まで参加できなかったこともそうだし、ルークさんに迷惑をかけてしまったということも事実なんだ。
わたしはただでさえ無能なのに、他人の足を引っ張ってしまうなんて……。
そう思った時、ルークさんがわたしの頭を優しく撫でて、呆れ半分感心半分と言った様子で口を開いた。
「あのなぁ、確かに俺らはあの訓練に耐えれるが、お前らはまだ十四だろ。まだ十四の子供がアンナ訓練に耐えれるなんて、あの小隊長以外誰も思っていないし、むしろよくあそこまで頑張ったなと思ってるよ。だから、そこまで自分を責めるな」
「本当、ですか?」
「ほんと。俺が十四だった時なんて、常にサボることばかり考えてたんだから。それに比べたら、お前らなんて優秀にもほどがある」
ルークさんは笑いながら言ったけれど、その笑顔の奥には、どこか苦い影があった。
それが、逆に胸に刺さる。
「でも……」
「謝らなくていい。それに、全部俺らが悪いんだから」
「え?」
思わず聞き返したわたしに、ルークさんは少しだけ視線を落とし、それからゆっくりと口を開いた。
「まだ十四歳だろ。そんな年齢でも従軍させらえる状況がおかしいんだ。もっと早く、この戦争に勝っていれば、こんなことにならなかったんだから」
「もっと早く、この戦争に勝っていれば、こんなことにならなかったんだから」
それは、わたしに向けられた言葉じゃなかった。誰かを責めるでもなく、誰かに聞かせるためでもなく――ただ、胸の奥に溜め込んでいたものが、ふと零れ落ちたような声だった。
ルークさんの視線は、わたしではなく、遠くの地面に落ちていた。夕暮れの光がその横顔を照らして、影が深く伸びる。
「……俺たち大人が、もっと早く終わらせるべきだったんだよ。本当はな」
その言葉に、わたしは何も言うことが出来なかった。胸の奥が、ぎゅっと縮む。痛いわけじゃない。苦しいわけでもない。
ただ――どうしようもなく、重かった。
そう思ったことが無いわけではない。十年間も塹壕戦が続いたのは、今まで戦ってきた人の怠慢じゃないかって。でも、実際戦場で戦ってみて、わたしは理解していしまったのだ。
敵も、味方も、お互い全力で戦った結果が、この十年なんだって。死にたくないから、敵を殺したいから、誰かをしなせたくないから。一人ずつ別の理由があり、それが複雑に絡み合うことで、この地獄が成り立っている。
そう思うと、誰も責めることが出来ないんだ。
「暗い話はそれでおしまい。別の話でもするか」
「……そうですね。何の話にしますか?」
「そうだな、アインの寝言でも話すか」
「アインの?」
まだ、心は重かったけれど、無理やり意識を変えようとした。そうでもしないと、戦争のことを考えてしまい、心がまた沈んでいくのが分かったからだ。
考え始めたら、きっと底まで落ちてしまう。だから、わざと話題を変える。無理やりでも、今はそれしかできなかった。
「アインの寝言って……どんなの言ってたんですか?」
「聞いて驚け。コイツは、テントまで運んでる間にずっと、セラは守るって言い続けていたんだ」
「えっ?」
恥ずかしくて、胸の奥が一気に熱くなった。
さっきまで冷たい風に撫でられていたはずなのに、頬だけがじんわりと火照っていく。
「ま、まもるって……アインが……?」
自分の声が震えているのが分かった。驚きと、戸惑いと、どうしようもないくすぐったさが混ざって、うまく息が吸えない。
わたしのせいで、アインはグレン小隊長に殴られて、こんなことになってしまったのに、まだわたしのことを守ろうとしてくれるなんて。
「そうそう、ずっと繰り返してた。よかったな、セラ。愛されてるじゃんか」
「う、うるさいです!」
「ははは!」
もう、何でこんなことになっているのか分からなかった。胸の奥が熱くて、息がうまく吸えなくて、戦争の重さで沈んでいた心が、今度は別の意味でぐちゃぐちゃにかき乱されていく。
なのに、アインは気持ちよさそうに眠っている。それが、本当に腹が立つ。
「……ばか」
もっと自分のことを大切にしてほしい。わたしのことなんて、気にしないでいいから。
そう頭は思っているはずなのに、心はそれを嬉しいと思ってしまっていた。……裏切り者。わたしの心はわたしの一部なんだから、わたしを裏切るな。
少し、手を伸ばしてアインの頬をつんつんと突いてみる。でも、アインの眠りは深かったようで、その程度で目を覚ますことはなく、まだ目を開かない。……どうして、アインはわたしの心をこんなにも揺さぶってくるのだろうか?
「ははっ、照れるなって!」
「照れてません!」
「戦場で恋愛話なんてほとんどないからな。いいのが見れてよかったよ。じゃ、邪魔者はどこか遠くに行きますかね」
「れ、恋愛ってどういうことですか!」
ルークさんは、わざとらしく肩をすくめながらテントの布をめくり、「若いもん同士でごゆっくり〜」とでも言いたげな背中を残して、外へ出ていった。
ぱたん、と布が閉じる。
その瞬間、テントの中に静寂が落ちた。さっきまでルークさんの声があったから気づかなかったけれど、夕暮れの風が布を揺らす音と、アインの寝息だけが響いている。
(……ど、どうすればいいんだろう)
同じ孤児院出身だから、一緒に寝たことは何度かある。だから、側にいたところでなんとも思わないはずなのだが、今は心臓が高鳴って、平常心でいることは出来なかった。
これも全部、アインのせいだ。アインが変なことをするから、わたしはこんなにも困っているんだ。
(恋愛? ないない、男と恋愛するなんてありえない)
前世は男だったんだ。女として生きることは、何とか受け入れることが出来たけど、男と恋愛することなんてありえない。だから、わたしは死ぬまで恋愛しないだろうって、ずっと前に覚悟していたんだ。だから、これは一時の気の迷い。そんなこと、あり得ないんだって。
(はぁ、少し横になろう。混乱してきた)
そうして、わたしはもう一度テントの中で横になった。 もう夕方であり、どうせ夕食の時間に起きるのだろうけど、訓練のせいで体が疲れ果てており、出来るだけ動きたくないし、かといって、このテントの中で気まずい時間を過ごすつもりも無かったら。
横になった瞬間、布の冷たさが背中にじんわりと染みてきた。疲れ切った身体には心地よいはずなのに、胸の奥だけはざわざわして落ち着かない。
そんな気持ちを振り切るために、わたしは全力で意識を眠りという闇の中に沈めたんだ。




