訓練
「よし、揃ったな。まずは、お前らがどれほど動けるのが確認しようと思っているんだが、それでいいか?」
「はい」
ルークさんは、新しく入ってきた二人を見て、そう問いかけた。
それに対して、レオン二等兵はすぐに返事したのだが、ルカ二等兵は返事をすることが出来なかった。けれど、それは反抗しようとしているのではなく、緊張のせいで声が出せなくなっているだけだった。
レオン二等兵がちらりと横目でルカ二等兵を見る。けれど、ルカ二等兵は表情を変えずに俯いたまま。何を言ったとしても、返事をさせることは出来なさそうだった。それは、ルークさんも理解しているようで、頭をガシガシと撫でながら、「返事が出来ないなら頷いてくれ」と言うだけだった。
そうしてやっと、ルカ二等兵はびくっと肩を震わせ、慌てて小さく頷いた。その仕草があまりにも必死で、胸が少し痛くなる。
(この調子で戦場で生き残れるのかな……)
思わずそんな考えがよぎる。でも、わたしだって最初は声も出せなかった。アインが隣にいなかったら、きっと立っていることすらできなかった。
だから、ルカの震えは痛いほど分かる。
ルークさんは三人の反応を確認すると、軽く息を吐いた。
「まぁ、いいや。最初は走り込みな。他の隊だと違うかもしれないが、俺たちの隊は突撃が多い。だから、体力は何よりも必要なんだ」
その言葉に、レオンが緊張した顔で頷き、ルカは袖をぎゅっと握りしめた。
レン伍長は変わらず真面目な顔で前を向いている。
わたしは、上下関係を示すために、普段よりも固い口調で口を開いた。
「ルーク上等兵、質問があります」
「よし、いいぞ。言ってみろ」
ルークさんは、わたしの声の硬さに気づいたのか、少しだけ目を細めた。けれど、それは成長した妹を見るような目であり、少しだけ恥ずかしくなってしまう。……こんなこと、しなければよかった。
「走り込みとは、どのくらいするのでしょうか?」
新人にとっては、ゴールがある方が走りやすいだろう。グレン小隊長の訓練だと、ゴールなんてものは無く、終わっていいとまで言われるまですることになるが、それをするのは、さすがに酷すぎる。
だから、このような質問をして、少しでも楽にさせてあげたかった。
「どのくらい、か。セラはどのくらいが良いと思う?」
「いつもの半分くらいでいいんじゃないですかね。少なすぎると、後で後悔することになりますし、これぐらいがいいと思います」
「そうだな。いつものなんて、新人にはわからないと思うが……まぁ、俺が終わりというまで走ってくれ」
わたしがわざわざ質問した意味は……と思ってしまったのだが、その直後に自分で気づいた。前世と違って、この世界では学校に行ける人の方が少ない。だから、距離の単位について知らない人も多い。学校に行ったレン伍長は分かるかもしれないけれど、レオンやルカは知らなくて当然だ。
わたしだって、この世界の単位はよく分かっていない。だから、ルークさんが「いつもの半分」と言っても、それを新人たちに伝えるのは、かなり難しいことだった。
「それじゃあ、走るか。もちろん、俺やセラも走るからな。念のために言っておくが、セラはお前らより二か月前からいるから、身体能力はかなりのものに仕上がってるぞ。だから、舐めないようにな」
ルークさんがそう言うと、レオン二等兵が驚いたように目を丸くし、ルカ二等兵は不安そうにセラと自分の足元を見比べた。
わたしは思わず口を尖らせてしまう。
「……本当ですかね? わたしより動けない人を戦場で見たことないんですけど」
「そりゃ、年齢と性別の問題があるからな。でも、セラくらいの体力さえあれば、戦場で生き残ることが出来るんだ。だから、お前らはセラを目標にして走ってくれ」
ま、セラが生き残っているのは、勘のおかげって部分もあるけどな。新人たちに聞こえないように、小さく呟いた後、ルークさんはわたしたちの前に出た。
どうやら、ペースメーカーのような役割を担ってくれるらしい。わたしは、自分一人で走り切ることが出来るが、新人たちにはきっとできないことだろう。だから、ルークさんの行動は、本当にありがたいはずだ。
「よし、それじゃあ始め!」
あれからしばらくたった後、新人の二人は、歩くよりも遅いスピードで、足を動かしていた。
レオン二等兵は肩で大きく息をし、ルカ二等兵は今にも倒れそうなほど顔を真っ赤にしている。
「はぁ……はぁ……」
「し、しぬって……」
その声は弱々しく、けれど必死だった。
でも、現実は非常だ。どれだけやる気があったとしても、限界を超えることは出来ない。まだいつもの五分の二くらいしか走っていないのに、彼らはわたしたちに追いつくことすら出来なかったのだ。
そして……
「もう、むり……」
「ぼく、も……」
新人の二人は、地面に倒れた。意識を失ったわけではないが、体中が言うことを聞かず、指先すら動かせないほど消耗していた。
呼吸は荒く、胸が上下するたびに苦しそうな声が漏れる。
レオン二等兵は腕で顔を覆い、汗がぽたぽたと地面に落ちており、ルカ二等兵は涙目になりながら、必死に呼吸を整えようとしている。それは、体力の無さが露呈した印でもあるが、彼らがすべての力を使った証拠でもあった。
「あー、これで終わりか。まぁ、新人にしては良いほうか」
「ルークさん、水を取ってきましょうか?」
「いや、いい。コイツらをテントの方に運んだ方が速い。俺がレオンを運ぶから、セラはルカの方を運んでくれ」
「分かりました」
わたしはルカ二等兵のそばにしゃがみ込み、背中を向けて声をかけた。
「ルカさん、背中に乗れますか? 無理なら、わたしが持ち上げます」
ルカ二等兵は涙目のまま、かすれた声で答えた。
「……の、のります……」
震える手でわたしの肩に触れ、ゆっくりと体重を預けてくる。同年代の男性の身体だ。ルカ二等兵は同年代の男子にしては小柄だけれど、わたしにとっては十分に重い。
それでも、この程度で弱音を吐くほど、わたしはもう新人じゃない。塹壕の補修に比べれば、背負って歩くくらいどうということもない。
そうして、わたしがルカ二等兵の身体を背中に回し、ぐっと持ち上げた瞬間──彼は驚いたように息を呑んだ。
「えっ……あ、あの……セラさん、重くないんですか……?」
声はかすれているのに、驚きだけははっきり伝わってきた。
わたしは少しだけ笑って、肩越しに答える。
「重いですよ。でも、このくらいなら大丈夫です」
「……す、すごいですね。僕と同じくらいの……女の子なのに」
どうやら、ルカ二等兵は自分に自信が無いようだった。まぁ、それは予想できていたこと、驚きなんて何処にもない。
とは言え、これだと先が思いやられる。自己肯定が低い人は、敵を殺すのにためらいを覚えてしまう可能性があるからだ。そのことは、誰よりもわたしが理解している。
(どうするのが正解なんだろう?)
人と関わるのが、あまり好きでは無かったせいで、どのように接すればいいのか分からない。でも、こういうことは最初が大事だと思っている。わたしの時のように、手遅れなことには、絶対にさせたくないから。
「ルカ二等兵、やっぱり怖いですか?」
「……はい」
ルカ二等兵は、わたしの問いかけに小さく頷いたあと、唇を噛んで俯いた。そして、背中に乗ったまま、ためらうように口を開いた。
「僕……ほんとは、ここに来たくなかったんです」
「……」
何も言わない、何も言えない。
そんなことは、一目見た時から分かっていたから。
「僕は孤児院出身で……誰かを従軍させると、政府から寄付金が出るから……無理やり、ここに来させられたんです」
わたしと同じ経緯だった。けれど、決定的に違うのは――ルカには、わたしにとってのアインのような支えがいなかったことだ。
わたしはアインと一緒だったから、まだ立っていられた。でもルカは、一人でこの戦場に連れてこられた。怖くて当然だ。自信がなくて当然だ。
けれど、現実は非常なんだ。どれだけ辛い過去があったとしても、死は平等に命を奪い去っていく。
だから、ルカをそのままでいさせることは、絶対にダメなんだ。
「どうして、どうして……こうなったんでしょうね?」
だから、心を鬼にしないといけない。
「その甘え、これで最後にしてください」
「え……?」
その声には、驚きと怯えが混ざっていた。
でも、ここで引いてはいけない。優しくするだけでは、この子は戦場で死ぬ。
「甘えたところで、敵は躊躇ってくれません。死にたいのなら、それで構いませんけど」
その瞬間、ルカの呼吸が止まった。怯えと混乱が背中越しに伝わってくる。
けれど、わたしは続ける。声は冷たく、でも突き放すためじゃない。生かすために、必要なことなんだ。
「この戦場では、敵を殺すか、殺されるしかないんです。だから、甘えたところで何も良いことはありません」
「セラさん……貴方は……」
同年代、それも精神年齢なら明らかにわたしよりも幼い子に、このようなことを言うのは気が引ける。でも、それで甘えさせたら駄目なんな。
わたしは、アインの優しさに甘えてしまった。だから、あの時――アインは死んでしまったんだ。そんな過ちを、二度と起こしたりしない。
……でも、少しくらいは、優しくてもいいよね。
「でも、安心してください。手が届く範囲にいるのなら、わたしはルカ二等兵のことを守るつもりです」
ルカの指が、わたしの服をぎゅっと掴んだ。
さっきまでの怯えとは違う、縋るような力。
「……守って、くれるんですか……?」
「はい、ただ……その代わりと言ってはなんですが、ルカ二等兵も、わたしのことを守ってください。これは交換条件です、受けるか受けないかは、あなた次第ですよ」
ルカの呼吸が止まり、背中越しに驚きが伝わる。
守られる側だと思っていた自分に、守る役割が求められたからだ。
わたしは歩みを緩めず、静かに続けた。
「これは当然ですよ。戦場で誰かを守ろうとするのは、命がけのことなんです。だから、あなたもわたしのことを守ろうとしてくれないと、割に合いません」
「……確かに、そうですね」
ルカは、わたしの言葉に静かにうなずいて、そのうなずきは弱々しいけれど、さっきまでの、ただ怯えているだけの子どもとは違っていた。
背 中越しに、ほんの少しだけ芯のようなものが生まれたのが分かる。
「……じゃあ、ぼく……守ります。セラさんのこと……」
「それじゃあ、まずは訓練からですね。今のままだと、わたしに追いつくことすら出来ませんから」
「……はい」
こうして、わたしは初めての後輩であるルカたちと出会った。
ルカとは同年代ではあるけど、何故かお姉さんになったような気がして、頬が緩んでしまう。アインとは性格が違い、少しも似てないけど、どこか重ねている部分もあったりして、守りたいなと思ってしまったんだ。




