プロローグ
「────っらァ!」
グレン小隊長が、敵兵を切って進んでいく。
噴き出される赤い液体。鼻の奥に焦げた肉の匂いが張りついて、吐き気が込み上げ、銃声が鼓膜を叩き、足が勝手に震える。
「ボーッとするなァ! 今日こそは塹壕を制圧するぞォ!」
「は、はい!」
まだ十四歳でしかないわたしも、戦場では他の人と全く同じ命として扱われる。
少しでも足を止めてしまうと、鉄の銃弾が脳天を突き破り、アレのような結末に至ってしまうだろう。
「オレに、続けェェー!」
だから、わたしは今日も銃を持って走る。
血と汗、そして糞尿で穢れた大地を踏みしめ、死なないために、知らない誰かを殺すのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
わたしは前世のことを覚えていた。
前世は、何の変哲もない普通の少年。テストで赤点を取らないために必死に勉強し、休憩として友達とゲームをする、そんな普通の人生を送っていた。
けれど、ある日わたしは死んだ。
死因は、ただの交通事故。家族で出かけていた時、横から信号無視のトラックが飛び出してきて、避ける暇も無く、死んでしまったのだ。
その時の死については、未だはっきりと覚えている。
そして、わたしはこの世界に転生した。
生まれた場所はわからない。気が付いた時には親に捨てられていて、この世界には普通に存在する孤児院に引き取られていたのだ。
最初はかなり戸惑っていた。生まれ変わりなんて信じていなかったし、前世に比べると、とても貧しく生きるのがやっとの世界、そんな世界で普通の人が耐えられるわけもない。
極みつけに、わたしは女性の身体になっていたのだ。
性同一性障害――幼いことからそれに苦しみ、何とか数年前に、やっと踏ん切りがついたところ。
わたしは、この身体を受け入れ、女性としてこの世界で幸せに生きる……そのはずだったんだ。
十四歳の誕生日。わたしが暮らしていた孤児院に兵士たちがやって来た。
兵士たちが言うには、十年にわたる塹壕戦のせいで、兵士が全く足りず、孤児院から徴兵したいらしい。
そして、わたしは孤児院から売られ、兵士となった。
どうやら、この世界には、魔力という物が存在し、それさえあれば男女など関係ないらしい。もちろん、運動能力の差により男性の方が優先されるが、兵士の足りないこの状況では関係ない。
(な、なんでこんなことに……)
戦争なんて、経験したことない。
前世は、命の奪い合いが無い平和な国で生きていたし、今世も誰かの命を奪って経験なんて無い。
だから、一瞬で死んでしまうんじゃないかと、すごく怖かった。
でも……
「安心しろって。俺が守ってやるから」
「相変わらず、能天気だね、アイン」
同じく魔力があるから徴兵された幼馴染、アインがいた。
アインは常に明るく、孤児院の子供たちの中心人物だった。わたしが孤児院を出る時、惜しんでくれた人が数人しかいなかったのに対し、アインはみんなに惜しまれていたのだ。
……ほんと、うらやましい。
「能天気って何だよ。ま、いいや。俺が敵兵をばんばんやっていくから、セラは後ろで待っておけ」
「わたしも前線に呼ばれたから、後ろで待つってことは出来ないよ」
全く、この同じ年の少年は、いつも気分で動いている。
敵兵を殺すということがどういうことか分かっていないし、もしかしたら戦争という物すら理解していないかもしれない。
でも……わたしは、その明るさのおかげで、少し安心していた。
けど……こんな分かったような気になっているわたしでさえ、戦争という物をよくわかっていなかったんだ。
「進めェェェ!」
「なに、これ……」
「これが戦争なのかよ……」
「てめえら! ぼさっとするな! 死にてェのか!?」
戦場に満ちている死体や汚泥、排泄物が混じる臭気、終わりの見えない銃声、狙撃の恐怖。そのどれもがわたしたちの予想をはるかに超えていて、死んだほうがマシだと思えてくる。
地獄のような塹壕戦。この時代には、まだ機関銃も戦車も存在せず、歩兵が持つのは単発式の銃だけだった。だから、銃弾の雨の中を突撃する以外に、塹壕を突破する方法はなかった。
もちろん、一般的な兵が銃弾を防ぐ術を持っている訳が無い。
わたしたちに出来るのは、出来るだけ体勢を低くしながら走り、出来るだけ銃弾が当たらないようにすることだけ。
あとは、先頭で走る小隊長の後ろを全力でついていくだけだった。
「死ね! バリエーヌのクソ豚ども!」
敵兵は、わたしたちの命を奪うために、全力で銃を撃ってくる。撃たないとわたしが死ぬ。だから、撃たれる前に撃たないと。
指が震える。他人を殺したことなんて、一度も無い。
怖い、怖いよ。
でも、死ぬのはもっと怖いんだ。
乾いた銃声が響き、目の前にいる敵兵の頭から脳汁がこぼれていく。
……わたしが殺した。
喉が酷く乾き、人間を殺したという事実が、心に重くのしかかる。栄光? そんなものあるわけがない、人殺しは所詮人殺し。正義なんて、どこにもなく、胸に残るのは罪のみだ。
「あ……あはは……人を、人を殺した……」
アインが隣で呟いている。
そっか、アインも人を殺したんだ。あれだけみんなから慕われてて、誰よりも優しかった君でさえ……。
しかし、そんなことを考えている暇なんて無い。
人を殺すことは、戦場の常識。そんなことで戸惑っているようなら、次はわたしたちが殺されてしまう。
――殺される前に殺せ
戦場で重要なのはこのことのみ。それに対応しなければ、ただ殺されるだけなんだ。
(忘れないと……忘れないと……)
人を殺した罪悪感を出来るだけ忘れ、無の感情で人を殺そうとする。
一人、二人……決して、私の腕がいいわけじゃない。でも、人が蟻のように無数に存在している場所では、子供一人の手でも簡単に人を殺せてしまうのだ。
罪から逃れるように走り、罪を忘れるために銃を撃つ。
でも、そのたびに罪が増え、どんどん心が壊れそうになっていく。
「ぎゃああああああ!」
「いたいいたいたい!」
「たす……けて……」
「お父さん……お母さん……」
敵兵の声か、それとも味方の声か分からないけど、銃声の隙間に声が聞こえる。
やめて……やめて……。
この中には、わたしが殺した人もいるし、同じ国で育った人もいるだろう。その人たちが、次の瞬間には叫び声を上げ、見るに堪えない無残な肉塊になっているのだ。
そんなの、耐えられない。
「ひっ」
何かに躓いてこけそうになってしまう。
ふと、それを見下ろすと、それはこの戦場にやって来て、一番最初に話しかけてくれた優しいお兄さんだったモノだった。……そんな優しい人でさえ、戦場ではただの肉塊になってしまう。
その事実が、何よりも死を実感させてきた。
「ガハハハッ! 今日は三十メートルも前進したぞォ!」
その日の夜、わたしたちは、最初より少しだけ進んだ場所で、休憩を取っていた。
先輩たちは、みんなで酒を飲んで騒いでいて、わたしたちの方なんて見向きもしない。
「お、俺は……人を……」
「アイン!」
「殺したんだ……」
「ねぇ! アインってば!」
わたしはアインの襟をつかんで、無理やり持ち上げる。
酷くて、人の心がないと批判されてしまうかもしれないけど、アインが笑っていないと、わたしは耐えられなかったから。
「セラ……?」
アインは、今にも死んでしまいそうなほど追い込まれていて、放っておいたら自殺してしまいそうだった。
……そんなの嫌だよ。わたしを置いていかないで。
「しっかりしてよ! まだわたしたちは生きているんだよ!」
「でも、俺は人殺しで……」
その意見は本当に正しい。人殺しは駄目だってことは、心の奥底で理解している。
でも、戦争だとそんな考えは甘すぎるんだ。だから、わたしたちは狂ってないといけない。
「人を殺したってことは、祖国を守ったということなんだよ! だから、気に病む必要なんてない! この戦争に負けると、孤児院のみんなは酷い目に合うんだよ」
思っても無いことを口にする。
……わたしは本当に人でなしだ。幼馴染を元気着けるためとはいえ、こんな最低なことを口にしているのだから。
それがどんな結果になるのかも知らずに。
「あははっ……そうだよな。うん、そうに決まってるよな。俺は正しいことをしたんだよな」
「うん、そうだよ」
でも、そのことにわたしは気付かない。いや……気付いていたけど、必死に目を逸らしていたんだ。
そんな事実に気が付いてしまったら、わたしまでおかしくなってしまうそうだったから。
その時――
「チッ、こんなところにいたのかよ」
グレン小隊長が、わたしたちのところまでやって来ていた。
「ぐ、グレン小隊長!」
わたしたちは、すぐに立ち上がり、敬礼をする。グレン小隊長は、あの銃弾の雨の中を、先頭で道を切り開くほど過激ない人であり、怒らせてしまうとどうなるか分からなかったから。
でも、そんなことは杞憂だった。
「ぐっ……」
わたしたちは、一緒になって腹を一発殴られた。
何も悪いことはしてないはずなのに……どうして……。
「なん、で……」
「何でって、おまえらが遅すぎるんだよ。おまえらさえいなければ、今日は少なくとも六十メートルは進むことが出来ていた。部下の命は戦争に勝つための大事な部品なんだ。これ以上、俺たちに迷惑をかけるな。今日はこの程度で終わらすが、明日からは優しくしねェからな」
それだけを言って、グレン小隊長はわたしたちから離れていく。
わたしはただ、その後ろ姿をじっと見るしか出来なかった。




