1.5
「ちょっとっ、なんなのよ、話が違うじゃないのっあなたねえ」
こんな話ではなかったと、女はまた叫ぶ。
その日は、大学時代の後輩の婚約パーティーだった。
歴史ある有名なホテルの大広間に、三百を超える参加者。招待客のなかにはテレビや雑誌で見たことのある政治家も、有名な作品に出ている俳優もいて、この婚約がいかに規模の大きなものかを知る。後輩は所謂、玉の輿にのったのだ。
なぜ、そう思った。
顔の造りも、胸の大きさも、話術だって、すべて自分のほうが秀でている。就職した会社は比べるまでもなく、大学時代の評判にも自信があった。そうだというのに、後輩の夫なる人は女を一瞥しただけで、それ以上の会話を打ち切った挙げ句、視線すら合わせようとしない。自分に伸ばされもしなかった手が後輩の腰を優しく抱き寄せる、そんな恋人同士なら当たり前の光景さえ、腹立たしい気分になる。
見る目のない男だ。よりによって、あんな女を選ぶなんて。
苛々とシャンパングラスを片手に壁の花となっていても、声をかけてくるのはつまらない肩書きの男ばかり。
やはり自分から行くべきか、と女は目を凝らした。若手実業家と評判の高い一人の青年を目で追っていると、柔らかな美声が彼女へとかけられる。それはまるで、外国映画の甘やかな台詞のようだった。
その人物を確認しようと顔を向けた女は、ぽかんと口を開けて固まった。
まさしく、物語から抜け出てきた王子様がそこにいたからだ。
白い肌をした優しい雰囲気の美貌をもった外国人。幼い頃に思い描いた理想そのもの。
すかさず名前とそれ以上のものを尋ねる女に嫌な顔ひとつせず、答えてくれるその物腰さえも完璧といえるだろう。伴侶としての条件を確実に上回る彼の瞳は、自分に興味を抱いている。
青年が教えてくれた地位もまた素晴らしいものだった。
彼自身は先進国の外交官でありながら、生家は元貴族の爵位を得ており、彼の親兄弟の殆どが今も政に携わっているというのだ。これが最高といわずに何をいうのか。
この美しく高貴な青年の隣に、自分を立つ姿を想像するだけで未来が光り輝き始める。
ちょうど日本に滞在している家族に、是非とも紹介したい。そう告げられた女は、舞い上がった。喜んで頷けば、蕩けるような微笑みが向けられる。
そうして二人してパーティを抜け出し、彼が呼び出した外国車へと乗り込んだ。
広い後部座席には驚いたことに、既に人の姿がある。こちらをちらりとも見ない美しい横顔に思わず魅入っていると、女に次いで車に乗り込んだ青年がそれに気づき、彼を自分の従兄弟だと紹介してくれた。
高貴な生まれというのは、こうも桁外れの美形ばかりなのだろうか。
前者が太陽ならば、こちらは月だ。
女は例え話があまり得意ではなかったが、このとき確かにそう思ったのだ。自分を見初めた青年でさえどこか人間離れした美しさがあるというのに、その男はそれ以上の色香があった。黒い髪や目は見慣れているはずだというのに、持ち主が変わるだけでこうも違うものかと驚く。
にこやかに挨拶する女に一切表情を変えようとしない、その人間味を感じさせなさぶりが更に神秘的な雰囲気にさせるのかもしれなかった。
うっとりするほど美しい、それでいて野性的な大きな身体をした男。
そして、自分を見初めた男は絵にかいたような甘い微笑みを浮かべている。
それぞれ異なる魅力をもった二人の美男子に挟まれることとなった女は、浮かれた気分で停まった車から降りた。着いた先は、女も名だけは知っていた最高級のホテル。その最上級と思える部屋に案内されて、ますます有頂天になっていった。
彼らの家族に、紹介されるはずだった。
女磨き続けてきた努力家である自分は、きっと気に入られる。幸せに満ちた顔で見下してきたあの生意気極まりない後輩より、遥か上の生活が約束されたはずだった。
それなのにこの仕打ちは何なのだと身を起こし、寝台に腰掛ける男を睨みつける。
彼らがとっていた部屋は、大人数用に造られたものなのか。大部屋のほかにも、寝室がいくつもあるらしい。そのひとつと思わしきこのベッドルームには、扉から少し離れた位置にソファとテーブル、そして奥に大きなベッドが誂えたあった。最高級ホテルのロイヤルスイートだけあって、その何もが素人目にも精錬された物であるとわかる。
綺麗に整えられたキングサイズのベッドへと腰掛ける上背のある男は、まだ幼さの残る少女を膝に抱いていた。その姿にどこか犯罪めいたものを感じて、女は眉を顰める。
それにしても、この態度の違いは何なのだ。あれほど車中で無表情だった男がこんなにも優しい目をするのかと、あまりのギャップに腹が立った。自分が何度と話しかけてやっても、一度として返そうとはしなかったというのに。
男は変わらず、膝に乗せた少女を愛でている。偶々体調を崩しているのか、それとも病に冒されているのだろうか。男の大きな身体にぐったりと凭れた彼女の顔は青白く、薄い胸は微かに上下している。血の気のない頬を撫でるのは大きな手だ。その動きに反応するように目をうっすらと開けては、直ぐに力なく閉じる。その繰り返しだった。
こんな状況でなければ、まるで歳の離れた妹か娘に対する情ととるが、先程、この男は彼女にキスをしていなかったか。そのとき女は首を掴まれ身を崩していたが、瞳はしっかりとそれを捉えていた。
「なんなのよ、いったい……っ」
自分を誘い出したあの美丈夫の姿が一向に現れず、その従兄弟だという男は自分を乱暴に扱った。どうなっているのか。女が詰め寄ろうとその太い腕を掴もうとしたところで、チクリ、と先程絞められたばかりの首に痛みが走った。
「え」
何かが、首に刺さっている?
「……ん、少し酸味があるけど病気はもっていないかな」
耳に暖かな息がかかる。
砂糖を浮かべた茶のような、自然と馴染む甘い声には聞き覚えがある。
恐る恐る視線だけを横に向ければ、自分を連れてきたあの青年が其処にはいた。
「え、あ……」
女の肩へと頭を預けるようにして、背後から抱きついている。
「あ、貴方、どこに行かれていたの」
いつの間にか、自身の腰へとまわされていたその腕を、女は震える手で掴んだ。
ずっと姿が見えなくて不安だった。貴方の従兄弟たちの態度にはとても不快だけれど、ちゃんと迎えに来てくれたから許してあげる。だから、早く他の家族を紹介してちょうだい。彼の母国で式を挙げたら、本物のセレブになれる。自分はそれだけの価値がある女なのだから。
女が抱く夢物語ともいえる野望は、どこまでが実際に言葉となったのか。なんだか頭に靄がかかっていたような、そんな気分だった。
身近で聴こえた笑い声に女はハッと正気付き、感情的になってしまったことを恥じる。慌てて夫となるはずの青年を確認するが、彼の目は楽しげに弧を描いていた。それどころか、喉を鳴らして笑っている。
いったい何が、そんなに可笑しいのだろう。
それに、おかしいといえば。
自分は汗っかきではないはずなのに、何か冷たいものが首筋を伝わっている。ちょうど先程、痛みが走ったあたりから鎖骨にかけて。
皮膚を濡らしているものの正体は、はたして本当に汗であろうか。その違和感を確認したいのに、急に重くなった身体を動かせそうにない。会場でシャンパンを呑み過ぎてしまったのか、眠気が襲ってきていた。
「あ、な、なに……いやよ、だめ」
まだ寝ては駄目だ。女はまだ眠るわけにいかない。
外国人である彼の家族が日本に滞在している時間は限られている。母国へと帰られる前に紹介してもらわなければ、それだけ結婚が先延ばしとなってしまう。
がくりと膝が崩れた気がしたが、身体が倒れた際に生じるはずの痛みは一向にやってはこなかった。あのどこまでも甘ったるい青年が、ぼやける視界の端で何かを言っている。ああ、駄目だ。眠くてもう目を開けてはいられない。瞼が、落ちる。耳元で笑みを含ませて囁く声を最後に、深いところへと意識が落ちていった。




