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惑星降下陸戦隊・第11中隊の軌跡  作者: 山口遊子


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第5話 平穏なる忘却

4-1:十二分の猶予

セクター・ガンマの防衛線は、もはや地図の上にしおがれた、無意味な赤線に過ぎなかった。


地球連邦陸戦隊、第11中隊。

その名が冠された部隊の生存者は、5名だった。

新田中尉、日下部曹長。そして、泥にまみれて認識票の刻印すら判別できない若い下士官が3名。それだけだ。

3名の下士官は、装甲服の露出した配線が酸性雨でパチパチと青い火花を散らしているにもかかわらず、身じろぎもせず泥の底を見つめていた。


彼らが今潜んでいるのは、敵の重粒子砲によってガラス状に融解し、不格好に固まった珪酸塩の窪みだった。

頭上からは、タナトス-IVの粘着質な酸性雨が絶え間なく降り注いでいる。

新田のバイザーは2日前の爆撃で右半分が完全にひび割れており、左目の視界だけで周囲の泥を捉えていた。


「中隊長。……いや、新田さん」


日下部が、粘り気のある泥の中に背中を預けたまま、掠れた声で呼んだ。

彼の装甲服は、もはや補助モーターの駆動音すら立てなかった。左腕のちぎれた袖口からは、紫色の止血剤が雨水に洗われて、どろどろと薄桃色の泡になって流れ出している。

彼が右手に握っているC8型レーザーライフルは、センサーの液晶が叩き割られ、ただの鉄の棒と化していた。


「なんだ」


新田は答えた。その声のピッチは完全に一定で、マイクは呼吸の乱れすら拾わなかった。

新田は、泥に半分埋もれた戦術端末の画面を、左指の爪でカチカチと叩いた。その規則的な音は、3秒ごとに鳴る端末の警告音と完全に重なっていた。

ひび割れたスクリーンの向こうで、システムが淡々と数字を更新していく。


『第11中隊・現有エネルギー:0.2%』

『物理的遮蔽物耐久値:残り1.5%』

『敵ストライダー接近。包囲網完了まで:300メートル』


「あと、12分だな」

新田は呟いた。


「12分、ですか。カップラーメンを4回作れますね」

生き残りの一等兵が、泥にまみれた顔を上げて力なく笑った。彼の喉からは、呼吸のたびにヒューヒューと笛のような音が漏れていた。


残弾のインジケーターはすべて灰色に変色している。増援の要請シグナルは、地球連邦のデータベースが彼らを「124名の健全な部隊」と表示し続けている画面の横で、エラーログとして処理されていた。


接近アラートの電子音が一段階高くなった。しかし、窪みの中の誰も耳を塞ごうとはせず、日下部はただ、壊れたライフルの銃口に詰まった泥を、残された右手の人差し指でゆっくりと掻き出し続けていた。



4-2:セラミックの感度

「なあ、新田さん」

日下部が、バイザーの曇りを右手で不器用に拭いながら、天井の濁った赤い空を見上げた。

彼の瞳の焦点は、迫り来る地響きを通り抜け、はるか遠くの雲の一点に固定されていた。


「実家の近くの駅前にさ、古びたパン屋があったんだよ」


新田は、セル(またはエネルギー)の入っていないレーザーライフルのレバーを、規則的にカチャカチャと引いていた。

「パン屋か。……トヤマも、そんな話をしていたな」


「そう、トヤマの奴も言ってた。あそこのカツカレーパンが最高なんだって。

でもさ、俺が最後に帰省したとき、あの店、もう閉まってたんだよな。

店主のじいさんが腰を痛めて引退しちまったらしくてさ。

シャッターに『長い間ありがとうございました』って、手書きの紙が貼ってあった」


「そうか。じゃあ、もう食えないな」


「そうなんだよ。食えないと思うと、なぜかあの脂っこい、ちょっと胸焼けするようなカレーの匂いだけが、頭の裏側でずっとループするんだ。

……今度の休暇で、別の店のでいいから、絶対にカツカレーパンを食おうって決めてたのにな」


日下部は、前歯の折れた口元を歪めて笑った。顎から伝う薄い血混じりの唾液を、拭おうともしなかった。


「休暇、か」

呼吸の悪い一等兵が、泥の中から口を開いた。

「俺はさ、帰ったら真っ先に、釣竿のラインを巻き替えたいんですよ」


「釣りか。お前、何狙いだ」

日下部が、首を小さく傾げた。


「フナとか、ブラックバスとか、そんなんです。

親父の形見の古い竿があるんですけどね。ガイドが錆びちゃってて。

チタン製に換えようかと思ってたんですけど、やっぱりセラミックにしようかと」


「チタンの方が軽いだろ。錆びないしな」

日下部の声のトーンは、さも重大な戦術論議でもするかのように平坦だった。


「いや、感度が違うんですよ、セラミックは」

一等兵は、泥にまみれた右手の親指と人差し指をわずかに浮かせ、見えないラインのテンションを測るように、2ミリだけ手元に引くジェスチャーをした。

「水底の岩に針がコツンと当たる感覚が、手元にダイレクトに伝わってくる。

あの感覚を指先で味わいながら、ただじっと浮きを見つめてる時間が、一番落ち着くんです。

……タナトスの泥じゃ、何も釣れそうにないですからね」


「セラミック、か。確かに、感度は大事だな」

新田も、会話に加わった。

彼は泥のついた人差し指と親指を交互に擦り合わせた。かつてミリ秒単位のレートの変動を捉えていた指先が、今は粗い珪酸塩の粒の輪郭を一つずつ確かめるように動いていた。


「ギチ、ギチ、ギチ……」


泥濘の向こうから、重い金属の擦れる音が響いてきた。

ガラス化した岩を踏み砕く音に合わせて、一等兵の首の皮下を走る血管が小刻みに震える。

赤い霧を切り裂いて、カマキリのような形状の光学センサーの緑色の光軸が、彼らの潜む窪みを真上から走査した。

戦術端末の距離表示が「0」を示した。


「あーあ、結局、カツカレーパンは食えずじまいか」

日下部が呟いた。


「ラインも、巻き替えられませんでしたね」

一等兵が、静かに目を閉じた。


新田は、膝の上で激しくノイズを発する戦術端末の画面を見つめ、バイザーの奥の左目をゆっくりと細めた。


「……お前たちの任務は、完了した」


新田の唇が閉じた瞬間、頭上から圧倒的な質量の熱線が容赦なく叩きつけられた。


唐突な、白い閃光。

ドラマチックな音響はない。超高温の熱線が珪酸塩の窪みを一瞬で満たし、5対のバイタルサインの波形は、端末のノイズごと完全に平坦な直線へと書き換えられた。

第11中隊の陣地だった場所は、ストライダーの踏み荒らす赤い泥の中へと融解していった。



4-3:端数の償却

数カ月後。

地球連邦軍・極東管区総司令部の事務室。


エアコンの効いた室内には人工観葉植物の緑が映え、デスクの上に置かれたアイスコーヒーのグラスの表面を、結露した水滴が静かに滑り落ちていた。

静かな部屋に響くのは、精密電算機が吐き出す微かなファンの音と、ホログラムディスプレイを操作する職員の端末のクリック音だけだった。


「……おい、このデータ、なんだ?」


若い事務官が画面の隅で赤く点滅している未処理のログファイルを指差した。


「どれだ?」

隣の先任事務官が、自分の端末の画面を同期させる。


「これですよ。惑星タナトス-IVの、セクター・ガンマに配置されていたはずの『第11中隊』です。

アテナの戦術マップ上では、ずっと『戦力健全、A』で、東部セクターを1500メートルにわたって防衛し続けていることになってるんですが……。

今朝、現地の自動無人偵察機がその座標をスキャンしたら、そこには半年前のストライダーの残骸と、融解した岩盤しか残っていなかったそうなんです。

生存者のバイタルサインは検知されていません」


先任事務官は、デスクの引き出しから取り出した目薬を両目に差し、パチパチと瞬きをしながら画面をスクロールした。

画面には、新田中尉の端末から送信されずにサーバーのバッファに溜まっていた、いくつかの破損データが表示されている。


『地球連邦陸戦隊、第11中隊。命令に基づき、死守に成功。……次の命令を待つ』


「ああ、これか」

先任事務官は息を吐いた。

「通信障害の最中に発生した、データの同期エラーだな。

前線指揮所が全滅した際、主電算機への戦損報告のプロトコルが途絶したんだ。

電算機『アテナ』は、報告がない限り、その部隊が最初の命令通りに健在し続けていると仮定して計算を回すからな」


「じゃあ、この数ヶ月間、司令部が彼らに出し続けていた追加の命令や、作戦変更の通知は……」


「誰もいない空き地に、電子メールを送り続けていたようなもんさ」

先任事務官の指が、キーボードを淡々と叩いた。「手続き上、この部隊のステータスを修正する」


『ステータス更新』のプロンプトが表示される。「第11中隊」の人員数『124』という数字がバックスペースで消去され、代わりに『0』が入力された。


『人員:0』

『ステータス:全滅につき、籍を抹消』


エンターキーが押されると、画面の中で赤く点滅していた緑色のボックスは一瞬で無彩色のグレーへと反転し、画面のスクロールとともに上部へ押し流されて消えた。


「これでよし。アテナの戦術マップに1500メートルの穴ができるが、もうあそこの戦線は放棄されたから関係ない。未帰還兵の処理手続きに回しておけ」


「了解しました」


若い事務官が別のウィンドウを開き、次のデータ処理に移る。

窓の外では、白い砂浜に地球の穏やかな波が規則正しく打ち寄せ、また静かに引いていった。



==================================================

[ASSET STATUS LOG]

Timestamp: 2126.11.02-14:00:00 (Faraway - Earth)

Unit ID: 3rd Sector, 11th Infantry Company

Target Point: Sector Gamma / ARCHIVE

--------------------------------------------------

[ASSET INVENTORY]

- Assigned Personnel: 0 units (Database Purged)

- Active Survivors: 0 units (All Life Signs Terminated)

- Cumulative Attrition Rate: 100.0%

- Ammunition Reserves: 0.0%

- Operational Status: CLOSED / ARCHIVED

==================================================



(完)



[あとがき]


最期のログの訳:

==================================================

【アセット状況ログ】

タイムスタンプ: 2126.11.02-14:00:00(ファラウェイ領域 - 地球)

部隊識別ID: 第3セクター所属 第11歩兵中隊

指定目標地点: セクター・ガンマ/アーカイブ

【アセット一覧】

配属人員: 0単位(データベース削除完了)

生存者数: 0単位(全生命反応停止を確認)

累積消耗率: 100.0%

残存弾薬量: 0.0%

作戦状態: 閉鎖/アーカイブ保存済

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佐藤大輔風、戦記ドラマを目指したんですが、いかがでしたでしょうか? 


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