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秘密の住人






一瞬の眩暈のあとで、俺は瞼を持ち上げる。


窓のないダイニングルームの、二つ並べた固い木製椅子の上に横たえていた体を起こす。


腰の下でギィ……と木の骨組みが軋む。


自分以外は誰もいないモートン邸一階。


その廊下を渡った先にある小部屋から、モートン氏がシークレットバーリーに財宝が秘められていると信じて一心に掘り続けた地下通路は続いている。


もしあのとき、浸食された石壁が俺の目の前で崩壊しなければ――もし、地下通路が頑丈なもので、長雨にさらされても天井に穴など開かなかったならば、この現実か悪夢か不確かだった夢心地な最悪な日々は始まらなかったのか。


いや、そんな甘いもんじゃない。


どんないきさつであれ、最初から俺はあの『楽土』の扉に辿り着く定めだったんだ――。


俺は古時計を見上げる。


秒針が静寂の中で怠惰に時を刻んでいた。


「――なんのため……いや」


例えば、初めて訪れる小さな街に立ち寄ったこと。


そもそも国内ではなくあえて海外旅行を選び、船でも鉄道でもなく飛行機のチケットを買ったこと。


会社を辞めてふらりと一人旅をしようと思い至ったという個人的なことですら、自分自身の意思じゃなかったなんて誰が疑う?


――なんで俺が――


父親も母親も凡庸で、ごく平均的な人生を送っているように見えていた。


そんな彼らの間に生まれたのが、二〇〇年前に大罪を犯した一人セレ=ビリアンドに顔貌がそっくりな男、俺だ。


「――知るかよ……」


ディアードは俺のことをしきりに『鍵』と呼んでいた。


セイリードには開けられなかったハーデンベリア号の船室の扉も、どういうわけか俺には開けられた。


楽土の『鍵』となること。


それだけが俺に与えられた使命で、他は用なしなのか。


呪いを受けながらも楽土への扉へと辿りついてしまったのがその証拠だ。


俺は魔星雲の接近期に合わせて、楽土の扉を開くためだけに生を受けた人間か。


そうなんだろうか。


もしそうならば、これまでの俺の人生っていったい――なんだよ。


ファーディンは、俺が地下通路の突き当たりに倒れていたのを見つけたとき、カメラのストラップが木壁のささくれに引っかかっていたと言っていた。


それが船室の扉が閉じないように挟めた木箱と同じ役目を果たし、おかげでフリアとファーディンがハーデンベリア号へ侵入できたんだとしたら……それは、偶然という名の仮面を被った必然とはいえないか?


ダイニングテーブルには空のカップと今朝の新聞、ボディに痛々しい傷のついたバデリィCFⅡ、それに昨日バスルームを使って現像した写真を並べたままだった。


フィルムが写し取っていた写真は一枚だけ。


地下通路の突き当たりで俺がファインダーを覗いた時に見た砕けた木壁が、フラッシュを浴びた不自然な陰影で不気味に写っていた。


俺はすぐに顔を背けた。


愚かだった。


つるはしで破壊した木壁を越えたときの妙な感覚を、今でも体がしっかりと覚えているのに。


悪夢だ悪夢だといつまでも現実を拒絶し続けていた。


おれが『鍵』になって扉を開け、横暴なディアードに屈していれば、二〇〇年前と同じく天変地異を呼び起こしていたかもしれない。


セイリードやファーディンたちがいなければ、俺は古の災厄を蘇らせていた。


扉は開けてはならない。


古来継続されてきた魔女や錬金術師たちの流刑を人類の過ちだと語る人間がいる。


結果的に彼らを流刑に処したことは『楽土』が生まれるきっかけになり、後の人々によってその歴史さえ抹消された。


『鍵』の存在は闇歴史に通ずる。


後世に残された人類にとっての秘められた脅威だ。


その『鍵』である俺は抹消されるどころか、こうしてモートン邸のダイニングルームでのんきに考え事にふけっている。


俺こそが世紀の災厄の一部じゃないか。


「……ハァ、死にたくなるな――」


膝の上に置いた自分の青白い両手をボンヤリと見つめる。


ここはダイニングルームだ。


隣はキッチンになっていて、刃物も油も火も簡単に手の届くところにある。


――ひとつ試してみるか。


ひとりでいるとそんなことしか考えられなかった。


黒く渦巻く感情に押し流されそうになる。


「ただいま、留守番ご苦労さま!」


コトッと遠くの方で物音がし、人の声が近づいて来るのに気づいた。


しかたなく俺は顔を上げた。


最初に入ってきたセイリードが戸口のところでンフッと微笑む。


「どうかしたの? 死人みたいな顔して。誰もいないうちに自殺しようとか考えても無駄だよ。あんた呪われてるんだから」


ずけずけと遠慮なく言ってくれる。


考え事をぶち壊され、俺はいっぺんにやる気をなくす。


「わざわざご忠告をどうも」


「うーん、疲れてるね」


「ここらで少し眠りたいと思っただけだ」


「眠ったと思ったらもうひとつの体がケンプリードで目覚める。ケンプリードで眠ったと思ったらこっちの体がモートンさんのお屋敷で目覚める。あんたの日常って交互に飛び跳ねる曲芸師の空中技みたいだねえ」


「二人の俺が一緒にいて、毎日顔を合わせるよりましだろ」


ダイニングルームに入ってきたセイリードが、頷くかわりに大きく息をついて向かいの席に着く。


「ただいま戻りました、カートレイさん」


セイリードに続いてフリアが戸口から顔を覗かせた。


「やあ、おかえり――あっ、フリア」


突然呼び止めた俺に、行ってしまいそうだったフリアが足を止めて振り返る。


「今日も綺麗だね」


フリアは一瞬あきれた顔をし、「お茶をお持ちします」と言って行ってしまった。


「『フリア、今日も綺麗だね』」


下手な腹話術のような濁声に俺が顔を上げると、セイリードが笑い転げていた。


俺は深いため息を吐く。


テーブルに置いてあった写真を丸めて空のカップに立て、新しいライターで火をつけた。


木壁の景色はあっという間に熱に溶け、印紙は燃えて鋼色の灰となった。


小さくなっていく炎の向こうで、セイリードが黙って俺を見つめていた。


彼女の髪飾りにはサファイアの粒が足されたままになっていた。


ファーディンはニセ物だと言っていたが、そんなはずはない。


二〇〇年以上も思いを寄せ、高級銘柄の発泡ワインを手にこの地を訪れたようなキザ男が、安物のおもちゃを女に与えるわけがない。


発泡ワインのことは【青藍】であるフリアから聞いた。


「『楽土』の秘宝に手を出したんだってな。ファーディンから聞いたよ」


セイリードがゆっくりと瞬きする。


「セレ=ビリアンドが情報集めや分析を得意とし、ファーディン=ロレスは逃げ足の速さと変装だけが自慢の女泣かせな体力馬鹿。じゃあ、おまえの特技はいったいなんだ、セイリード=ヒラー」


俺の問いにセイリードが口元を引き結ぶ。


軽くキッチンの方へ目をやり、フリアが来ないことを確認してから口を開いた。


「虚偽と演技。三人とも手は早かった。あたしたちは手を組んで世間を欺き続けてたんだもの」


「盗人か」


セイリードはテーブルに視線を落とす。


「言い訳はしないよ。あたしたち三人とも孤児院から抜け出して、お金のある暮らしに憧れてたから。喧嘩もしたけどあたしたちはいつも一緒で、大きな夢を持ってた」


俺は椅子の背もたれに体を預ける。


腕組みをして少女の話に耳を傾けた。


「セレは海を渡って広い世界を見て回るのが夢だった。ファーは誰にも負けない立派なお家を建てて、世界一幸せな家族を作るのが夢だった。あたしは綺麗なドレスや社交界――お姫さまのような暮らしに幼い頃からずっと憧れてたの。夢を叶えるためにあたしたちはなんでもやった。盗みも詐欺も、人助けも――」


セイリードが肩を縮めて両手で頬杖をつく。


「人助け、か。でも結局は誘惑に負けて、最大の過ちを犯したんだろ」


「後悔してる。ものすごく」


「ファーディンも同じようなことを言ってたな。もう懲りたって」


「……ごめんなさい」


「俺に謝るな。人が犯してきた罪は、おまえに謝られて済むほど軽いもんじゃない」


俺が憎いのは、魔女や錬金術師たちに楽土という名の怨念の境地を作らせるような過剰な迫害や処刑を行ってきた人間たちであり、復讐の機会をうかがっているディアードだ。


「そういや気になっていたんだがディアードの妹、名前は確か――」


「ああ、エステシアンのこと」


頬杖をついていた手で顔を覆ったまま、セイリードがくぐもった声で答える。


「行方不明だっておまえ言ってたよな」


「うん。二〇〇年前にあたしたちが扉を開けたときに、姿を消したの。ディアードはエステシアンの力を密かに恐れてるみたいだったよ。本当は魔女王になるべきは妹のエステシアンだったらしいの。でも己の力を誇示して楽土の覇者として女王の位につきたかったディアードが、妹を監禁して玉座に着いたんだって。ディアードに反発していたエステシアンはずっと楽土から逃げ出す機会をうかがっていたのかもね」


「エステシアンの方がより力も強く恐ろしい魔女だってことか?」


顔を上げてセイリードが頷く。


「ディアードが恐れるほどにね。玉座に執着したのは、姉としての自尊心によるものだろうってメメルは言ってたっけ」


「楽土を舞台とした姉妹の確執か。古今東西女の執念ほど恐ろしいもんはないな。……ン? でもおまえ、外へ出たらエステシアンを探すとか言ってたじゃないか」


俺は思わず唸った。


セイリードが首を横に振って拒絶する。


「あれはただディアードと取引するためのはったり。ディアードが恐れるほどの妹魔女になんか会いたくもないよ。どこにいるのか、どうやって探せばいいか、あたしにもわからない」


「そりゃそうだな」


セイリードは本当に心底後悔しているようだった。


彼女の悪事を許すわけではないが、あの日から一度も本来の大人の姿に戻る様子もなく、鏡を覗き込んでは落ち込む姿を見ていたら、あえて責める気にもなれなかった。


歴史と現状、それにたぶんセレ=ビリアンドと瓜二つである俺の存在こそが、彼女にとってもっとも堪える罰になっている。


「やっぱりあんたも英雄さんだったね。おかげでハーデンベリア号から出られたよ。ありがと」


「やっぱりってなんだよ。俺はただのロッシュ=カートレイだ。英雄でもなんでもない」


そのとき、茶器が触れる音が聞こえた。


戸口へ顔を向けるとフリアが入ってくるところだ。


「立ち聞きなんかしてないで、ここに座って話に入ればいいのに【青藍】さん」


俺は柔らかく言ったつもりだが、【青藍】を名乗る彼女は一瞬足を止めて俺を見つめる。


「いいえ。お茶のしたくにお時間がかかってしまって、すみませんでした」


「話逸らすし。相変わらずつれないね。ファーディンとならタメ口で話してたのに、俺との敬語は一向にやめようとしない」


フリアは黙って茶器をテーブルに並べ始める。


セイリードが俺たちを交互に眺めてニヤニヤしていた。


ティーポットの横では、小さな砂時計が紅茶の蒸らし時間をきっちり計っている。


「無視、か」


「あなたにとってのわたしはモートン邸で働く小間使いのフリアのはずです。ファーディン――【銀狼】はわたしの仕事仲間ですから」


「《ブラック・ドッグ》か。奇妙な組織だよな」


「基本的には人助けをしています」


「人助け、ね」


俺は苦笑いした。


セイリードへちらりと目を向けると、困ったような笑顔を返された。


「ただの推測だけど、君のボスはモートン氏がシークレットバーリーへの地下通路を作っていることを密かに知っていたからこそ君をこの屋敷の小間使いとして潜入させたんだろ? だとしたら、君に監視させておきながら、なぜボスはモートン氏を止めようとしなかったんだ?」


砂時計の砂がすべて下へ落ちる。


フリアの手が順序正しく優雅に動き、カップへと紅茶を注ぎ始める。


彼女は否定しなかった。


「おそらくボスとサー・モートンの間には親交があったのだと思います。古くからのご友人かなにかで、《ブラック・ドッグ》の負傷者を隠密に治療してくれていたとか、もっと内情は複雑かもしれませんが、多分そういったご関係なのだと思います」


「互いに弱みを握っていたってことか」


「地下通路のことは、サー・モートンが直接話したとは思えませんが、ボスほどのお方であれば行動や言動から感づかれたのでしょう」


「モートン氏の悪戯な宝探しを下手に妨害するより、君に監視させておけば自ら手を汚さずともシークレットバーリーの謎を掌握できるかもしれないっていう打算しか見えないけどな」


フリアは答えない。


内心を反映させない憂いを帯びた微笑を浮かべ、写真の燃えかすが入ったカップと、淹れたての紅茶のカップとを黙って交換した。


「で、俺はいつ君の手で国際保安局へ連行されるんだ? それともすでにこの紅茶に毒が?」


セイリードの前へカップを置き、フリアが顔を上げる。


「いいえまさか。連行する気はありません」


俺の向かいではセイリードがカップを傾け、静かに聞き手に回っている。


フリアは腹をくくったのか、自分用の紅茶を淹れて空いている席に着いた。


「どういうこと?」


「仕事の救援要請を出して【銀狼】と接触したとき、発泡ワインを担いで柵を越え、意味深に石壁へと近づいた男性が彼と同一人物だとわかり、わたしは絶対に彼の協力を得なくてはならないと思いました。“シューティングスター”――国際保安局の名を出せば、依頼の深刻さを強調できると思ったのです」


「つまり……」


「はったりです」


俺は口に含んだばかりの紅茶に激しく咽せた。


「大丈夫ですか?」


フリアが立ち上がり、背中をさすってくれる。


「時代が変わって景色も全然違うのに、女ってあんまり変わらないんだねえ。なんか親近感」


わざとらしく口元を隠し、くつくつと笑っているセイリードを俺は睨んでやった。


「性格の問題だろうが」


俺の頭の中は瞬間的に真っ白になっていたらしかった。


国際保安局に追われていると聞いたときの俺の恐怖と絶望を、ここにいる女たちは全然わかってない。


「今回のことはボスに報告するだけです。ボスはどんな手段も厭わない方ですが、依頼のない仕事を引き受けたりしませんから」


席へと戻り、フリアがカップに唇を寄せる。


綺麗だった。


裏切られても、騙されても、この女から目をそらせずにいる自分にあきれてしまう。


事務的で冷淡すぎる態度も演技なのか本性なのかわからない。


けれど、そんな彼女がまれに見せる優しさに、馬鹿正直な俺はやっぱり無関心ではいられなかった。


俺は考えを改めた。


俺の体が呪いで死を拒絶するというなら、むしろ呪いで一人の女を永遠に愛することもできるだろう。


もう逃げ出したりしない。


旅先での恋にだって、成功例がひとつくらいあってもいい。


実弾入りの拳銃を向けられ、もしあの弾が当たっていたら……などとは考えたくないが、俺は俺で彼女をふりまわしていたから、あいことするべきだろう。


それでも相当悔しいから、ふんっ、とふてくされた俺はテーブルの上にのせてあった新聞を広げ、女たちとの間にバリケードを張った。


ひとつの記事が目に留まる。


壮年の男性が悲しみに伏している写真と、その横に微笑む少女の顔写真とがあった。


「フィーン最大手の貿易会社フィートラスコーポレーションの社長令嬢ティリアナ=フィートラスとみられる遺体がクデーニャ沖で発見、だってさ――なあ、フリア見てみろよ。このティリアナ嬢の写真、髪の色も形も違うがどこか君に似てないか? 世の中には似た顔ってのがいるんだな。遺体の白骨化が進んでいたが遺留品からティリアナ嬢とほぼ断定――なにがあったんだか知らないが、むごい話だ……って聞いてないし」


バリケードの向こうでは女二人がおしゃべりをしていた。


花が咲いたようなセイリードの笑顔と、控えめなフリアの笑い声。


取り残された気分で俺は仕方なく新聞を置き、バデリィCFⅡを手にとってファインダーを覗き込んだ。


――フリア、この数週間で俺は君になにかひとつでもいい印象を与えられただろうか。


ファインダー越しに問いかける。


二人の女がおしゃべりする構図は悪くなかった。


――君には助けられてばかりで……おかげでますます君のことが好きになりそうなんだ――。


フィルムを巻き、シャッターを切る。


またすぐにフィルムを巻いておく。


シャッター音に驚いた彼女たちが振り返ったところで、もう一度シャッターを切った。


不自由な親指での高速操作にはちょっとしたコツがいるが、軽い悪戯にしてはなかなかいい驚き顔が撮れたと思う。


「あーっ、悪戯っ子に高額罰金決定! ね、フリア」


振り向いたフリアの視線は、俺がテーブルに置いた新聞の記事へと注がれていた。


その口元が少しだけ嬉しそうに微笑んでいるのが不思議でならなかったが、深く追求するとその微笑を失ってしまいそうな気がしてやめた。


「フリア?」


「ここは許してあげましょうよセイリード。きっと素敵な写真を撮ってくれてるはずですわ、カートレイさんなら」


セイリードとフリアが顔を見合わせて笑う。


俺は椅子に腰かけたまま苦笑いで後ずさりをした。


そして、大事なことを思い出した。


「そういえば、ありがとうフリア」


言葉の意味がわからなかったらしく、フリアは不思議そうに首を傾げる。


「傘。空港を出たところで突然の集中豪雨に遭ったんだ。売店で買っておいてよかったよ」


あぁ、とフリアは微笑んだ。


「このところ、紅茶占いをしないときでもよく見えることがあるんです。時の順序を超えて、いろいろなものごとが」


「完全に呪われ人だな。シークレットバーリーの地下から生還した俺も君も」


「ええ、でも」


フリアがセイリードを振り返り、次に俺を見つめる。


「海洋祭も終わりへ近づき、ペアンゼルス座から七つの星雲も徐々に遠ざかって呪いは解かれなかったというのに、以前にも増して周りが賑やかなのはなぜでしょう」


「さあな。そんなことより、君が星に詳しいことに驚きだ」


二〇〇年後、魔星雲は再び宇宙の暗幕に接近する。


そのとき俺たちがどんな風になっているかなど、想像もできない。


気の遠くなるような、ひどく不安定な未来が、俺たちの前へ続いていくことだけは確かだ。


「明日のことを占ってくれよフリア」


俺がカップを差し出し、セイリードも自分のカップを差し出した。


「なに占いにしましょうか」


「恋占い!」


「恋愛運で」


声が重なり、俺はぎょっとしてセイリードを見つめる。


セイリードは大人っぽい艶然とした表情で、悪戯っぽくンフッと笑った。











8月15日


わたしには見える


この世界のなにもかもが


猫や鴉、蝙蝠たちがわたしの目となり耳となり


世の出来事を報せてくれる


だから、窓の外には雑草だらけの庭と高い石壁しか見えなくても


退屈はしない


二〇〇年後


たとえ楽土の扉が開いたとしても


あなたがわたしを自由にしてくれることは期待していない


もうずっと、何百年もそうだったんだもの


これからもそうでしょう?


この監視棟に入った人間たちは


絶望の末に息絶え、腐敗し、古木のように乾いてしまった


わたしは毎夜


彼らの懐に寄り添って眠る


朝日の中で、部屋中にいる彼らに口づけをして「おはよう」と言う


ただ一人、清らかな肉体を持つわたしだけが


こうして血で壁に独り言を綴っている


けれどもうこの部屋のどこにも書く場所がないから


この長い独り言を最後に、隣の部屋へ移ろうか


偽りや裏切り、駆け引きに騙し合い――


退屈しない世の中だけど


どうせなら扉を開けて外の光を浴びてみたい


そしてこの監視棟で知り合ったお友だちをみんなつれて


わたしを罠にはめたあなたに逢いに行きたい


きっと素敵な晩餐会ができると思うわ


期待はしていないけど


もし見失ったとしても鍵は必ず見つかるはずだし


愛しい人を思う心は永遠に咲き続けられると思うの


そう思うでしょう、ねえ? お姉さま






〔了〕

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

感想等いただけると幸いです。

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