【第7話】 広間を眠れる共同客室へ
「申し訳ありません。今夜は二室とも埋まっています」
レイノがそう告げると、遅れて到着した旅人は、奥の廊下を一度見てから肩を落とした。
「食事だけでも助かる。夜が明けたら先へ行くよ」
温かい基本食は出せる。暖炉へ入れる薪も、次の分を買う道筋ができている。それなのに、疲れた客へ差し出せる寝床がない。
旅人は食事を終えると、食事場所の椅子で夜を明かした。翌朝、その背を見送ったあと、レイノは食事場所の隣にある広間へ向かった。
壁際には空いた寝具と使っていない寝台が寄せてある。ここへ並べれば、二室が埋まっていても客を断らずに済む。
「寝台さえ増やせば、泊まれる人数も増える」
口にしてみると、答えはひどく単純に思えた。
通常の二室は営業に使う。広間は完成するまで客を増やさず、空いている寝具だけで配置を試す。レイノは壁沿いへ寝台を並べ、中央へ一本の通路を残した。
見た目は悪くない。
寝台の数も入る。中央を歩けば、どこからでも入口へ出られる。
ところが、少人数へ試しに使ってもらった夜、広間は眠る場所より荷物置き場に近くなった。
「ここへ置いていいか」
「通れるなら構いません」
最初の荷袋が寝台の脇へ置かれた。次の客の箱が反対側へ並び、上着と靴が空いた隙間を埋める。中央の通路は、人が一人横向きで通れる幅まで狭くなった。
夜半、客の一人が外へ出ようとして荷袋へ足を当てた。
ごとり、と箱が揺れる。
避けた肩が寝台の枠へ触れ、木の振動が並んだ寝台を伝った。眠っていた客が身じろぎし、別の客が布団の中から低く息を吐く。
レイノは寝具を整え直し、広間を一つの客室として意識した。乾いた寝具、一定の室温、眠りを妨げない配置。これまで積み重ねてきた宿泊の質を、広間にも結びつけようとする。
布団の冷たさは薄れた。
だが、人が通るたびに起きる物音と振動は消えない。
翌朝、客は眠れなかったとは言わなかった。ただ、首を回しながら言った。
「安く泊まれるのは助かる。ただ、誰かが動くと目が覚めるな」
「荷物も、暗いと踏みそうになる」
レイノは唇を引き結んだ。
能力が足りないのではない。寝具の質を上げても、床を歩く人間と荷物が同じ場所へ重なっている。
その夜、客を入れずに自分で端の寝台へ横になった。
広間の入口から奥まで、何度も荷物を持って歩く。寝台へ戻り、目を閉じる。今度は空の箱を引きずり、また横になる。
一度、人が通っただけで、床板から小さな揺れが背中へ届いた。
「これじゃ眠気が切れる」
寝台を多く置くことばかり考えていた。客が到着してから眠るまで、どこで荷物を下ろし、どこで着替え、夜中にどこを歩くかを考えていない。
収容人数を増やしたくて、眠るための空間を自分で削っていた。
「寝台を詰めれば客室になると思ったのは、俺か」
悔しさに、寝台の縁を強く握った。
そこへ、毛玉が広間へ入ってきた。
壁際には乾いた寝具がある。暖炉からの熱も届いている。それなのに毛玉はどれも選ばず、広間の中央まで歩いていった。
そして、何も置かれていない床の上で丸くなった。
「そこは通路だぞ、毛玉」
レイノが手で端を示しても、毛玉は動かない。
「寝るなら、こっちの方が柔らかい」
近づくと、毛玉は短い脚を出して近くの寝具を蹴った。次に、荷袋と箱が触れ合っている場所へ行き、鼻先で押す。箱が小さく鳴ると、また中央へ戻った。
「荷物が嫌なのか?」
毛玉は答えず、中央で毛を膨らませた。
レイノは結論を急がなかった。
毛玉が中央を気に入っただけかもしれない。壁際の温度が合わない可能性もある。
荷袋を持ち、客が到着した時と同じように入口から入る。中央を通り、寝台の脇へ荷物を置く。上着を脱ぐ動きをして、夜中に目を覚ましたつもりで入口へ戻った。
中央を通路にすると、荷物も人も必ずそこへ集まる。
だが、中央を空けたまま荷物同士を離す場所にすればどうなる。
入口側で荷物を下ろし、着替えまで済ませる。寝台は奥へまとめる。就寝後に歩く者は、荷物のない壁沿いだけを通る。
「通る場所を一本にするんじゃない。時間で分けるのか」
到着して動く場所と、眠ったあとに動く場所を分ける。
中央は通路ではない。荷物同士が触れず、寝台へ振動を伝えないための空間だ。
レイノは寝台を動かし始めた。
置けるだけ置く案は捨てた。入口側には荷物置き場を取り、着替えられる余白を残す。奥へ寝台を並べ、壁沿いには夜間でも足を引っかけない細い通路を通した。
寝台は最初の案より減った。
「これ以上は入れない」
声にすると惜しさが湧いた。あと一台なら置ける。詰めれば二台入るかもしれない。
だが、その一台のために通路を削れば、同じ失敗へ戻る。
「客数より、眠れる人数だ」
レイノは最後の寝台を広間から出した。
配置を変えたあと、荷袋を持って入口から入る。荷物を決めた場所へ置き、上着を外し、奥の寝台へ向かう。横になってから起き上がり、壁沿いを歩いた。
寝台へ肩は触れない。荷物を避ける必要もない。床の揺れも、最初の配置より明らかに小さい。
毛玉は作業の間、中央の空間から少し離れた場所で丸くなっていた。
レイノが別の荷物を試しに置くと、その端が夜間通路へはみ出した。
毛玉はすぐに立ち上がった。荷物の脇からレイノの足元へ戻り、裾をくわえて引く。
「これか?」
レイノが荷物を指すと、毛玉は離れ、通路のはみ出しへ戻った。
「待て。今どける」
短く呼びかけると、毛玉はその場で足を止めた。ほんの一瞬だけレイノを見てから、先に問題の場所へ戻る。
レイノは荷物を持ち上げ、入口側の定位置へ収めた。
「分かった。通路へ出たら、俺を呼ぶんだな」
毛玉は低く「むぅ」と鳴き、今度は壁沿いの通路を横切らず、寝台のそばで丸くなった。
数日後、広間へ複数の客を受け入れた。
「安い代わりに共同の部屋です。荷物と着替えは入口側で済ませてください。眠ったあとは壁沿いの通路を使えます」
「寝台まで荷物を持っていかなくていいのか」
「貴重な物は手元へ。大きな荷物はここです。通路へは出さないでください」
客たちは入口側で外套を脱ぎ、荷物を分けた。奥の寝台へ進むころには、床へ散らばる物がない。
夜中、一人が水を求めて起きた。
壁沿いの通路を静かに歩く。箱へ足を当てる音も、寝台の枠へ触れる振動も起きなかった。扉が開いて冷気が入ったが、閉じたあと、広間の温度はゆっくりと元へ近づいていく。
朝、レイノが広間へ入ると、入口側に置かれた上着の一枚が少しずれていた。
手を伸ばす前に、布が床を擦るほどのわずかな動きで、決めた位置へ寄った。
「今、動いたか?」
別の軽い籠も、通路を塞がない位置へゆっくり戻っている。
すべてを片づけるわけではない。中身を判断して分けることも、汚れを落とすこともない。ただ、乱れていない物を定位置へ戻し、出入りで落ちた室温を穏やかに整えている。
寝床と食事だけでなく、宿泊中の動きまで一つの流れとして広間へ蓄積されたのだ。
客の一人が起き上がり、腕を伸ばした。
「思ったより眠れた」
「夜中の音はどうでしたか」
「誰か出ていったのは分かったが、目を開けるほどじゃなかった。荷物も踏まずに済んだ」
別の客は通路を歩き、足元を確かめた。
「この料金なら、また使いたい。寝台を並べただけの広間とは違うな」
レイノは奥から入口までを見渡した。
雑然としていた広間に、眠る場所、荷物を扱う場所、夜に歩く場所ができている。二室が埋まっていても、今度はここへ複数の客を受け入れられる。
「広間が、客室になった」
口元が緩んだ。
「しかも一人じゃない。複数人が泊まって、ちゃんと眠れた」
レイノは入口側の荷物置き場を見て、次に寝台の間隔を確かめた。もっと増やす案ではない。この配置を崩さず、客が来る前に必要な寝具と食事を用意する方法を考えたい。
受け入れられる人数は増えた。
だが、いつ何人来るかは、扉が開くまで分からない。
「次は、客が着く前に分かればいいんだけどな」
壁際では、毛玉が通路へ背を向け、満足そうに丸くなっていた。




