1-4 真天先輩の手料理
あらためて見るとすごい。距離感バグってる。目が錯覚を起こしそうだ。本当に高校生かこの人。
俺は慌ててそびえたつ双峰から視線を外し、真天先輩の足下のビニール袋を見やる。二袋もあった。
「何を買ってきたんですか?」
「お米に、豚肉に、いろいろお野菜に……何を作るかはまだ秘密にしておきましょうか。まずはお米を炊きましょうね~」
シンクに向かい、慣れた手つきで米をとぎ始める真天先輩。シャリシャリといい音が鳴る。長らく聞いていなかった音だ。
「あ、どうぞ唯人くんはお仕事していてください。ちょっと時間がかかりますから」
「は、はい」
エプロン姿の真天先輩、しかも後ろ姿なんて刺激が強すぎる。俺はこそこそと執筆部屋に引き返した。
これは夢じゃないか? さっきから頭がグルグルしっぱなしだったが、頬を思いきりつねってみると痛い。間違いなく現実だ。こんな漫画みたいなアクションをまさか自分がやることになるとは。
再びパソコンの画面に向かう。……お仕事していてと言われても、やっぱり気が散って集中できない。これからプロになるという人間がそれでいいのかと言えばよくないだろうが、無理なものは無理だった。
よし、アウトプットからインプットに切り替えよう。これだって作家の立派な仕事だ。
「今日はこれを読むか」
投稿サイトのランキングページで異世界ファンタジーのジャンルを表示させ、上位に付けている中から適当に選ぶ。作者はプロらしい。異世界ファンタジーでこれからデビューするなら競争相手の作品をしっかりチェックするのが大事だ。と、編集者からも言われている。
「むうう……」
じっくり読んでいるうちに、思わず唸ってしまう。
まず、文章が上手い。プロなら当たり前じゃないかと思うが、WEB小説に最適化されているというか、とにかく読みやすい。一文一意というやつだ。このあたり、最初の頃の自分はまったくできていなかった。
台詞もキャラクターに合わせて個性がある。かといって必要以上にこねくり回したりしない。口に出して読みやすい台詞になっている。
そして各話のラスト。それぞれ程度の差はあるが、次が気になる終わり方になっている。長編連載はこれが大事なんだ。
「さすがプロだな……」
異世界ファンタジーはWEB小説で特に競争が激しいジャンルだ。すでに書籍化経験のあるプロもこぞって投稿し、さらなる商業出版を目指して切磋琢磨している。
自分の受賞作はどうかというと、一度だけ3位まで到達したことがある。しかし今は、書籍化作業のために更新を停止しているせいもあるが、とっくにトップ10圏外だ。終わりなきマラソンとたとえている人をSNSで見かけたが、その通りなんだと思う。
俺は今、受賞作とは別に執筆している作品がある。これも異世界ファンタジーだが、今度こそはトップを取ってみたい。すでにプロットは完成しているので、あとはひたすら書くだけだ。
「この土日でなるべく進めたいと思っていたんだけど……なあ」
真天先輩のエプロン姿が脳裏に浮かんでしまう。いけない、煩悩は退散させなければ。
無心で読んでいるうちに、胃が空腹を訴えてきた。気がつけば正午を回ろうとしている。
「唯人くん、お昼ごはんができましたよ」
ドアがノックされ、真天先輩が声をかけてきた。
さて、いったい何を作ってくれたのだろうか……ダイニングまで出た俺は、思わず目を奪われてしまった。
「五目チャーハンと、中華風スープです!」
卵の黄身がまぶされて金色に輝くライスに、豚肉、ねぎ、ニンジン、ピーマンがバランス良く混ぜ込まれている。傍らの中華風スープは、トマトとチンゲン菜と豆腐がこれまた彩りよく浮かんでいる。両方合わせて、ほんのりと刺激的な香りが漂ってきた。
ごくり、と勝手に喉が鳴ってしまった。空きっ腹がさらにグルルと蠕動してしまう。俺は吸い寄せられるように席に着いた。
「さあ、どうぞモリモリ食べてください」
「い、いただきます!」
まずは中華風スープを一口。舌にふわっとした旨味が乗って、それからじっくりと食道、胃へと流れ込んでいく。全身の細胞が活性化する感じがした。
「美味い……! このスープはどうやって?」
「普通の鶏がらスープの素ですよ。あとは具材をちょちょいと入れただけですし」
お次はチャーハンを。真天先輩の労力に感謝するようにゆっくり口へと運び、噛みしめる。すると米、肉、野菜が渾然一体となって、糖質に飢えていた粘膜に染み渡っていく。すぐさまエネルギーに変換されるような高揚感。
「んんんっ……! これも美味い!」
「美味しいですか? やっぱりたまには糖質ですよ!」
「うん……それは認めなきゃいけないみたいです」
チートデイか。低糖質生活を続けていると米がここまでの美食に感じられるのか……。
「本当によかった。身内以外に料理を振る舞うのは初めてだったんですけど」
「真天先輩、料理上手いんですね?」
「最近うちのメイドに習ってるんです。プロ級の腕前なんですよ」
メイドと聞いて、驚きはしたがあり得るだろうなと思った。真天先輩の聖川家は、代々実業家だという。聖川グループと呼ばれる企業をいくつも抱えている、とてつもないお金持ちというのは周知の事実だ。
「メイドなんて、フィクションの世界にしかいないと思ってました。やっぱりすごい家なんですね」
「おかげさまで、不自由のない生活をしています」
真天先輩もスープを飲み、チャーハンを口にする。満足げに頬を緩ませて。
「だから少しでもわたしの受けた恩恵は、世に還元したいと考えていて」
それが真天先輩の将来の夢という、専業主婦なのだろうか。
ノブレス・オブリージュ。社会的地位の高い人には、相応の義務が伴うという考えだ。今まで受けた恩恵を世に還元したいというのは、まさにそれだろう。専業主婦になりたいという気持ちと、はたして繋がっているのだろうかと疑問に思うが……。
やがて、お皿はすっかり空になった。
「ごちそうさまでした! じゃあ洗い物もわたしがしますので」
「そ、そこまですることないですよ。俺がやります」
「いえいえ、わたしがやりますから。どうぞどっかり座っていてくださいな」
結局好きにさせることになった。俺は真天先輩が皿や調理器具を洗うのを所在なく見つめていた。
そうだ、大事なことを忘れていた。
「洗い物、終わりました。……あら、それは?」
「食材費です」
千円札を数枚入れた封筒を手渡した。買い物にどれほどかかったか知らないけど、たぶん足りるだろう。
「こればっかりは受け取ってください。家主が食材費を持つなんて当たり前でしょう?」
「……はい。それでは受け取ります」
真天先輩は封筒を丁重にバッグの中にしまいこんだ。
……微妙な間が流れてしまう。
「それで、お夕飯もあとで作ろうと思うんですが……」
「あの、すいません、先輩のお申し出なんですけど。俺の執筆活動をサポートするっていうの」
「……ご迷惑でしょうか?」
シュンと真天先輩の眉尻が下がる。ああ、そんな悲しげな顔をさせたいんじゃない。
「とんでもないです! 料理は美味しかったし、嬉しいです。……でも正直、まだ受け止めきれなくて」
「というと……」
「少し時間をもらえませんか? 一度じっくりと考えたいんです」
すると彼女の表情は、打って変わって明るくなった。
「わかりました。こちらこそ突然の訪問で驚かせちゃいましたよね」
それから真天先輩はてきぱきと帰り支度を整えた。
「余った食材は冷蔵庫に入れておきました。エプロンもここに置いておきますから」
「あ、はい」
「じゃあまた週明けに学校で。そのときお返事を聞かせてくださいね。執筆頑張ってください」
「……さ、さよなら」
真天先輩は去っていった。空気がシーンと静まりかえる。
……落ち着け、落ち着こう。俺がこれからするべきことは。
そう、小説を書くことだ。それ以外にすることは、できることはないんだ。
俺は胸のドキドキが収まらぬまま、執筆部屋に引き返した。
あとはがむしゃらに、一心不乱にキーボードを叩いた。
「……っ! 言葉がすらすら出てくる……!」
頭の中で生成される文字列が、即座にテキストエディタの中に反映される。そのスピードはかつてないものだった。それもただ雑な勢いがあるだけじゃない。しっかり意味の通る文章になっていく。
胃の中に収まり消化されている真天先輩の手料理。これが身体の隅々にまで活力を与えてくれているのがはっきりとわかる。
「書ける、書けるぞ……!」
この日は午後だけで一万文字を執筆することができた。文句なしにこれまでの最高記録だった。




