巻き込まれた第一発見者と変態は、学内を闊歩する
キィンと甲高い音が木霊する。
その音を皮切りに、人気のない踊り場の中心には、幾重にも重なった円がまるで蕾から開花するかのように広がった。
その幾学模様は青白く発光したのも束の間、花は散りその中心に立つローブの男が振り向く。
「やはり、辺境伯子息の仰せのように、同業の痕跡は一切見当たりませんね。事故でないのなら、犯人は普通の人間とみてよろしいかと」
カツンと身の丈よりも長い杖を床に一度突くと、それは一瞬にして指輪に姿を変えた。
これが……魔法。
「然しもの辺境伯子息も、僕らの力を見た事は無かったようですね」
ニコニコと胡散臭い笑みを向け、真意の程が知れない糸目に口を開く。
「ええ、今日初めて拝見しました。それから、その呼び方は改めて頂きたい。如何にも、父の顔がチラついて仕方ない」
唯でさえ、気が進まない厄介なことを命じられたというのに、これ以上父上の顔までチラついては堪らない。
「承知しました。では、指揮官殿とでもお呼びしましょうか」
「父がチラつかないのなら、如何ようにも」
俺の返答に、糸目はクスクスと実に愉快げに笑う。
何がそんなに愉快なのやら。
「ああいや、失敬。誓って悪気があってのことでは御座いませんので悪しからず。いやね、今代の王は石橋を叩いてからお渡りになられるようだから、いつかうっかり叩き割りやしないかと思ったら、つい」
王党派の連中が今の発言を耳にしたのなら、悪気がなかったどころでは済まないだろうな。
王が号令をかけ、臣下が次々に渡る橋が真っ二つだなんて、聞いているだけでも身毛がよだつ。
「聞かなかったことにしましょう。しかし、貴殿は己の発言にお気をつけを」
「ああ! なんて寛大な指揮官殿だろう! 手に口付けても?」
舞台の演者よろしく、大仰な仕草で俺の手を取ろうとする糸目から半歩退く。
コイツが本来なるべきは役者ではないだろうか。
大衆劇場の大根役者よりずっと向いている。
「おや、つれない」
ニコニコと胡散臭い笑みのまま糸目は肩を竦めると、その場でクルクルと回り、幼い子供のように一人ではしゃぎ始めた。
「やれやれ。悪ふざけをする暇があるのなら、お得意の力で時間でも遡って犯人を見つけて来てくれないか?」
子供の頃に土産で頂いたものの中にこういう人形が回るオルゴールがあったな。
あれは、今何処にあるのだろう。
ふと、如何でも良いことを思い返していると、糸目の気配が急に変わった。
気付いた頃には疾うに遅く、音もなく鼻がくっ付きかねない近さに奴はいた。
っ、早い!
「これはいけない。実に、いけない。何やら勘違い召されているらしいご様子。よぉくお聞きなさい、指揮官殿。私たちの力は万能ではない。それが叶うのなら、私はもう疾うの昔に遡っているさ。ソフィア姫殿下の血を流す尊きお方を害す者を、このユージーンが許すわけ無いだろう? 見つけ次第、八つ裂きにしても足らない位だ」
何処に隠していたのか殺気にも似た怒気を声に乗せた魔法使いは、そう言うと瞼に再びそのムーンストーンような瞳を隠して、先ほどと同じニコニコと胡散臭い笑みを向けた。
フードが脱げた所為で蒼穹のようなその鮮やかな青い髪を露わにした糸目は、くるりと階段とは反対の方へ足を向ける。
あの噂は本当だったのか。
ソフィア狂いのユージーン。
建国王の王妹であらせられるソフィア・マクファーレン姫殿下を敬愛し、信仰対象のように崇め奉る男。
この学院の創設者の一人であらせられるソフィア姫殿下は、ご自身の英知を豊かな国土へ導く為にお使いになられたお方だったとか。
そんな素晴らしいお方を今も敬愛する民は少なくないが、この男は抜きん出ていることで有名だ。
魔法使いという、この国でも五十人も居ない希少な存在の一人であるこの男は、ソフィア姫殿下の血が流れる王侯貴族の命はソフィア姫殿下の命も同然だと言ってのける。
それが活火山だろうと荒ぶる海だろうと、命じられさえすれば何処へなりとも向かうらしい。
唯一幸いなのは、ソフィア姫殿下がなさらないであろうことには頑として頷かないというストッパーがあるという点だ。
それすら無かったなら、今頃どうなっていたか分かったものではない。
陛下が直々に糸目に命じなかったら、俺もこうして相見えることは無かっただろう。
眼前を歩く糸目は、ふと歩みを止め廊下の一点を見始めた。
「そこに何か?」
「ええ、まあ。ですが、此度の件とは無関係なことですよ。……ああ、いえ。そうとも限りませんね」
一度はそう口にした糸目だったが、はたと何かに気付いたらしくその意見を引っ込めた。
「決定的なものは写っていないかと思われますが、事件当日にこの場で映写玉を使った学生さんがいらっしゃる筈。その方が何か写しているやも。見つけ次第、伺われるとよろしいかと」
……映写玉を?
まあ、要求される学が備わっていて金があるなら平民でも通うことが許される場所だ。
あっても可笑しくはないが。
「映写玉だと分かる理由を伺っても?」
「あれに刻まれた式……使う際に生じる痕跡とでも申しましょうか。そうですね。分かりやすい例えとしては、香りでしょうね。僕たちにしか分からない香りがするのです」
言葉を選ぶように口を閉ざした後、糸目は適した表現を思い付いたらしくかいつまんで話した。
詳しく話されても分らない俺に配慮するつもりはあったらしい。
つらつら語るのかと思いきや、その辺りは冷静なのか。
まあ、余計なことを知ったが為に口を塞がれるなんて展開は、ご免蒙りたいから良しとしよう。
「成る程。そう言えば、あれにも魔法石が使われていましたね」
魔法石。アルバ王国を含める世界全土の山や海、稀に畑のような場所でも発見される特殊な石。
超常的な力を有した代物で、今ではそれを使った生活用品や娯楽品が世界各国で日常的に生み出されている。
しかし、そこへ至るまでの歴史は到底明るいものでは無かったのだと、祖父さんから聞かされたことがあった。
一昔前に、大陸全土を巻き込む大戦があった。
それには当然、魔法石が埋め込まれた兵器もあったそうだ。
だが、只人の手にあまり余る力というのは大抵において、手に負えない現象を引き起こすものだ。
それはある日、瞬く間にして発生したらしい。
争う人たちが一瞬にして重傷を負い、帰郷を夢見た若人が眼前で帰らぬ人となるなど、その場は目を背けたくなるような世界が広がったという。
そうして、人々が冷静さを取り戻した頃に発覚したのは、魔法石が埋め込まれた兵器が暴発したことによる無差別攻撃だったということ。
それは未だに誰も止められぬ状態で放置されているそうだ。
それが、停戦のきっかけだった。
間もなくして、海向こうの永年中立国を謳う芙蓉皇国が、各国間の調停役として間に入ることなる。
彼の国が真っ先に行ったことは、魔法石の軍事使用及び魔法使いの軍事介入を禁じる法案を作らせることだった。
それに全ての国が思惑は如何あれ賛同し宣誓した。
そうして、コースによって馬は向き不向きがあると言う言葉があるように、魔法石は自然と各国の魔法使いが管轄する運びとなる。
とは言え、ただ管理するだけというのは如何なものかという論争が起きたのもそれから直ぐの事だったとか。
まあ、それが無かったら映写玉だなんて娯楽品どころか、今でも水を沸かす為の火にさえ苦労する日々だったのだろうがな。
「当たり前になると、それが何で出来ているのかを忘れてしまいがちですからね。ああ。そう言えば、先ほど僕の目をご覧になられましたよね?」
ぐへへなんて、下品な笑い声を出しながら学内をねっとり見やりながら進む糸目が、思い出したかのように振り向く。
「……不可抗力ですがね」
凄むあの目が脳裏に浮かぶ。
コイツからすると、俺なんて赤子も同然ではなかろうか。
……あの早さに、少なくとも今の俺は反応出来ない。
父上なら或いは、いや止そう。
音が無いのはいい、しかし気配が完全に無いのでは如何しようもない。
良くも悪くも、世界は広いな。
「ご存知ですか? 僕たちの目を見た人間は幸せになるという言い伝え」
己の目を指さした糸目が、にんまりと笑みを向ける。
そんな言い伝えもあったな。
元は子供向けの寝物語からとか、ジョン一世に気に入られた忠臣の事を言うらしいとか。
真実は分からんし、少しも気を引かれないからそんなのもあったな程度の印象だが。
「幸せになると良いですね」
からかっているような、それでいて本心からそう言っているかのような。
依然として真意の程が知れない糸目と目が合う。
改めて考えると、向こうは目を瞑っているから、目が合ったと言って良いかは微妙に困るな。
何と言って良いのやら思案していると、暗かった廊下に月明かりが差した。
雲間から隠されていた月光が差し、学内の木々がそよめく。
外套が無くとも平気になってきたとは言え、少し冷えるな。
「幸せ、ね。今なら、この案件を滞り無く片してさっさと王都から帰ることかな」
間を置いた疲れ切った返事に、糸目はキョトンとしたのも束の間、ケラケラと笑い出してまた先を進み始めた。
何から着手したものか。
人員の確保と事件現場付近にいた人間の洗い出し、曲者の有無。
やる事が山積みだな。
「貴殿らのご子息も共犯なのでは?」
「日頃からご令嬢に対し目に余る所業だと聞き及んでおりますよ。理由なら大いにお有りなのでは?」
「なんと浅はかな!」
「証拠も無しによくもまあ、そのように謗れますな!」
罵声に次ぐ罵声、怒声に次ぐ怒声。
余りにも目に余る喚き声にいっその事、耳を塞いでしまいたい。
キィキィと猿山か、此処は。
そろそろ手か足を互いに出しかねない両者の険悪な雰囲気に嫌気が差す。
俺を除いた全員、この場にいるのは貴族の家長だと言われてもきっと、民は信じまい。
身なりを剥いでしまったら、尚の事分からないかもな。
その位には品位のひの字もありゃしない。
うちの猟犬がグルグル回る方が余程有益そうな、堂々巡り。
ちらりと、此度の事件に遭ったご令嬢の父君であらせられるホークショー侯爵の方を見やる。
只ひたすら一点を見詰める彼は、仄暗い怒りをその目に宿していた。
彼は向かいに座す真っ青になったかと思いきや青黒くなったりと、クルクルと顔色を変化させるカトラル伯爵を見つめているようだった。
真犯人かはさておき、現在最も有力な犯人像が彼のご子息なのだから仕方がない。
それはそれとして、退室したい。
オルグレン先生と報告を命じられた後は戻っていいのかと思いきや、俺は残るように命じられるとは思わなかった。
参ったな、ホイットマンたちに何も伝えてないままだ。
ヒートアップしていく室内に、ドンと叩く音がはっきりと轟いた。
「……双方の主張はよぉく分かった。だが、此度の件は学内に侵入した曲者の可能性も十分にあることを忘れておるようだ。よって、此度の件については冷静に証言をしてくれた第一発見者であるノア・ローズブレード辺境伯子息に一任するものとする。異論は許さん。それで構わぬな? ホークショー侯爵よ」
……は?
今、陛下はなんて仰った?
陛下のお言葉に追いつかない俺を置き去りに、ホークショー侯爵はようやく固く閉じていた口を開いた。
「全ては陛下の御心のままに」
その返答で、全てが決まった。




