それが、事の始まり
前シリーズ(現在、削除済み)の全文を書き直ししたものです。
より分かり易い内容に努めています。
ご一読下さると幸いです。
「ミュリエル・ホークショー侯爵令嬢並びにノア・ローズブレード辺境伯子息の御入場です」
よく通る声がホールに響く。
眼前の大扉を抜けた先にあるのは、私を見る好奇の目や揶揄する声かしら。
「……やるからには役割は果たす。俺の足を引っ張るなよ」
溜め息交じりにそう語る隣に並び立つ彼は、じろりと私を睨み付ける。
そう威嚇しないでも取って食いやしないのに。
可愛いわね、この人。
「まあ、頼もしいですわ。ふふっ」
思わず笑いが零れると、彼は更に分かり易く不機嫌な顔をした。
が、それも直ぐに能面のように表情が隠される。
煌びやかなシャンデリアの輝きが今まさに開かれる扉の向こうから漏れたからだろう。
拍手の音が鳴ったと同時に一歩中へ入る。
足を引っ張るな、というわりには私の歩幅に合わせる彼にやはり笑いが零れそうになるのをぐっと抑えて澄まし顔を取り繕った。
さあ、私の二度目の人生最後の卒業パーティーという名目の模擬デビュタント。
楽しんでいきましょうか。
「今度の旅行は、国外も良いかも知れませんね」
色とりどりのチラシを前に、それはもう真剣に吟味する貴方につい笑ってしまう。
何がおかしいのか分からない貴方は、目を瞬かせた。
「ふふっ。もう貴方って本当に、うふふっ!」
山も良いかも、なんて言いながら、目は青と白が映える美しいチャペルが併設された海辺のホテルのチラシを見ているのだもの。
こっそりと顔色を窺って見ているつもりのようだけれど、そういうところは何年たっても変わらないわね。
そんなに何度もちらちら見られたら丸分かりよ。
本当にもう、可愛い人。
「春選さんの行きたいところがいいわ」
いつものようにそう言うと、貴方は耳を赤くしてはにかみながら先ほど見ていたチラシをようやく指した。
「それなら、此処に行きませんか?」
そのお誘いに頷いて微笑むと、貴方はほっとしたように息を吐いてから嬉しそうに無邪気な笑みを向けた。
「楽しみですね。ミュールさん」
「そう……今、なんて?」
「――ル。ミュールったら!」
声を潜めて呼ぶ声に、自分が今しがた居眠りをしてしまっていたことに気が付く。
ああもう。
私ったら、はしたないわ。
涎が垂れてないか不安に思いながら、起こしてくれた友人に微笑む。
「……おはよう。キャロル」
「おはよう」
『なぁに? 夜更かしでもしたの?』
ご高説を承る気が全くないらしい彼女は、真摯にメモをしているふりをして走り書きしたものをこそっと見せてきた。
『面白い本だったものだから、つい』
ノートに返事を書くと、彼女はじろりと睨みため息を吐いた。
それに気が付かないふりをして、急に口を閉ざした先生の方を見やる。
何が原因かは一目瞭然だった。
最前列の席の一生徒が、いびきをかいていたからだ。
冷え切った目で彼を見ていた先生は、おもむろにノートに何かを記す。
それと同タイミングで時計塔が授業の終わりを告げた。
「今日はこれまでとする。貴君らのなかでまだ本日期限のレポートを出していないものは早急に出すように。以上だ」
身に覚えがあるらしい一部の生徒たちがそわそわしているのを一瞥した先生は、溜め息交じりにそう仰るとさっさと教室を後にした。
「ぐぅ」
ああ、またあの人は……。
ちらりと此方の顔色を窺う子女たちに笑みを向けると、彼ら彼女らは一斉に顔を背けた。
「放っておいたら?」
キャロルが汚らしいものを見たかのように彼を見ながら、彼のもとへ行こうとする私の手首を掴み引き留める。
「そうもいかないわよ」
その制止をやんわりと振り解いて、未だにいびきをかいている彼の前に立つ。
「ロニー様、起きて下さいまし」
「んんぅ……アマンダ?」
そっと肩を揺さぶると彼は寝ぼけまなこであろうことか別の女性の名前を口に出した。
ざわめく周囲を無視して、私はにこやかに彼の意識がはっきりするのを待つ。
暫くボーっとしていた彼だったが、欠伸をして伸びをするとようやく私が彼女ではないと気が付いたらしい。
「ふぁぁっ! ……何だ、ミュリエルか。何の用だ」
「夜更かしでもなさっていたのですか? 今日は一段と気がそぞろでしたわね」
苛立たしさを隠しもしない彼は、私を一瞥すると立ち上がった。
私よりずっと育った背丈の彼を見上げる。
昔はあんなに小さくて素直な子だったのに。
……まるで、夏弘を見ているような気分だわ。
そのまま彼は一言も返すことなく、私の隣を素通りしていった。
「信じられませんわ! あんな公然の場で婚約者でもない女性の名前を口走るだなんて!」
怒りに身を任せたままコニーが声を荒げる。
私と同じミルキーブロンドの髪を振り乱して、怒りの余り今にも咆哮しそうな雰囲気で、行き交う生徒たちが遠巻きにしている。
まるで怪獣みたいね。
「そう声を荒げるものではないわ。はしたなくてよ、コニー」
澄まし顔のキャロルが窘めると、かあっと顔を赤くしたコニーが少しは冷静になったのか両頬に手を当てる。
感情的になり易いけれど、直ぐに反省出来るのは彼女の美点だわね。
「申し訳御座いません」
「貴女まで品性を失う必要はないのよ。幾らミュールを思ってのことでも、ね?」
にこりと誰もが見惚れるような笑みを浮かべたキャロルに、コニーは一瞬見惚れてハッとすると直ぐに頷いて見せた。
「散々な言われようねぇ」
「貴女も他人事のように言うものではなくてよ。仮にも自分の婚約者でしょう」
キャロルに窘められ、私はため息を吐いた。
その事実を突き付けられてはぐうの音も出ない。
「とはいえ、実際のところロッシ嬢も被害者だということは知っているでしょう?」
アマンダ・ロッシ子爵令嬢。
アルバ王国でも指折りの商会を展開する、陞爵したばかりの新興貴族の一つ。
西南の国エノトリアとの貿易で一役買ったことが評価されたのだと兄様が仰っていた。
そのロッシ家のご令嬢は、鮮やかな赤い髪に大変愛くるしい容姿をしていて、一時は学内で時の人だった。
病弱だった故に例外的に中等部からの入学を許可された彼女は、それまで外部との交流が殆どなく、彼女の容姿を知る者が少なかった。
その所為か、一目見た一部の殿方は瞬く間に虜になってしまった。
一部の殿方には、残念ながら私の愚かなる婚約者も含まれる。
以来、彼は変わり果てた。
それまで欠かしたことがなかった親睦を深める為の逢瀬を止め、ロッシ嬢に猛アプローチを始めたのだ。
「彼が伯爵家を盾に圧をかけたという、あれ?」
「そう。それよ」
伯爵家という高位貴族であることを盾に、当時は男爵家だったロッシ子爵家に圧をかけていう事を聞かせようとしたことがあったらしい。
しかし、それは直ぐに失敗した。
私と彼の婚約は、派閥争いの融和を目的とした政略的なものであり、おいそれとは解消出来ないそういうものだったから。
そして、その事実を知った彼の父カトラル伯爵は激怒なさった。
叱責に次ぐ叱責の後に、彼に接近禁止命令を下したのだそう。
次に彼女に接近したことが分かった時点で彼は領地に戻され、私の婚約者は自動的に二つ下の弟君に変わることになった。
というのに、彼は未だにロッシ嬢を諦めきれないらしい。
あれ以来、ずっと冷たい態度の彼には疾うに愛想がついている。
けれど、だからといって婚約が破棄できるわけでもないのよね……。
「それにしたって、何年いじけて拗ねているのよ。彼がおいたをしたのは12歳の頃でしょう? 私たち、もう直ぐデビュタントなのよ?」
そう言われると、随分と長くいじけているのね。
此処まで来るといっそ清々しいわ。
「そっ、そう言えばミュリエル様も今日は眠そうになさっていましたよね?」
少し声が上ずったコニーが話題を変えるべく、話を変えた。
……ダメね、気を遣わせてしまったわ。
「ええ。この本が面白……あら?」
丁度いい話題になると思って鞄から本を取り出そうとしたら、何処を探しても見当たらない。
そう言えば、中庭で夢中になって読んでいた所為で午後の授業に遅刻しそうになったわね。
「忘れ物をしてしまったみたい。二人は先に向かって下さる?」
多分、あのベンチのあたりにある筈よね。
此処からだと、真反対に行かないといけないかしら?
「それなら、噴水のあたりで待っているわね」
「分かったわ」
二人に手を振って、足早に反対方向の階段へ向かう。
「そう言えば、コニー。貴女、昨日誰かと言い争っていたのですって?」
「え、ああ。実はその――」
二人の会話が遠ざかって生徒たちの歓談の声に混じった。
「おいそれって、まさか映写玉か?」
「父上が快くお貸し下さったんだ。君は一足先に卒業して、国外に向かうのだろう? 思い出を残したくてさ」
廊下で語らう殿方たちの会話に心が温かくなる。
確か、彼は近々留学予定のお父上が宮廷医師のご子息だったかしら?
ああ、いけない!
私ったら、また盗み聞きのような真似をしてしまったわ。
「お聞きになられまして? 今、学内に麗しの薔薇がいらしているそうですわよ」
「まあ! 本当ですの?」
ああっもう!
どうしてこう、要ることも要らないことも耳に入ってしまうのかしら……。
今だけ昔に戻りたいわ。
ああ、ダメね。昔もさして、衰えてなかったわ。
頭を振って急いでようやく見えてきた階段へ向かう途中、髪留めが外れかかっているのが窓に映った。
「あっ」
急く思いを落ち着かせるように一呼吸おいて、外れかかった髪留めを直そうと立ち止まる。
変ね、金具がはまらないわ。
家に帰ったら修理に出さないと。
ふんだんにレースがあしらわれ、目の色と同じアクアマリンが埋め込まれている去年の誕生日に贈れた大事なもの。
何とか留め直して、人が少なくなった廊下を進もうとした矢先に廊下を走る見知った何人かの生徒たちが先を越した。
「急げ!」
「オルグレン先生がご帰宅される前に渡さないと!」
どうやら、先ほどのレポートのことらしい。
いつもの方々と、ちらほら見慣れない方もいらっしゃるわね。
……そう言えば、彼はちゃんと出したのかしら。
まあ、私には関係のないことだけれど。
気を取り直して、階段を降りようとしたその時だった。
背中を押される感覚の後に、体が宙に浮いた。
「……えっ?」
我が身に起きたことを理解するよりも先に、四肢に伝う痛みが私を襲った。
バンッと大きな音が耳に届いて、背中の鈍い痛みにようやく自分が階段から落ちたのだと把握できた。
「かはっ……!」
明滅する視界の中で、最後に視認できたのは階上にいた誰かの背中だった。




