第14話 影の任務
馬車は帝都の東門を抜け、交易路を南東へ走っていた。
リーナは揺れる馬車の中で、膝の上に広げた地図を見つめていた。
「交易路の第三中継地。ファルツェンの町だ」
ルシアンが向かいの座席から説明した。口調は「俺」。馬車には二人きりだった。
「密輸の報告が三件上がっている。シュヴァルツベルク家の交易路を使って禁制品が流れている形跡がある。放置できない」
「それで、わたしをお連れくださったのですね」
「密輸商人は嘘をつく。俺の情報網だけでは旋律の裏は読めない。お前の鑑譜眼が要る」
リーナは地図を畳んだ。窓の外を見る。午後の日差しが麦の穂を金色に染めている。
「ルシアン様。これは『影』の任務なのですね」
ルシアンの碧眼が、一瞬だけ鋭くなった。
「知っているのか」
「お察ししただけですわ。普通の交易調査なら、公爵家の名で商館に直接命じれば済む話です。わざわざわたしを同行させるのは、公にできない調査だからでしょう?」
ルシアンは沈黙した。それから低く息を吐いた。
「……鑑譜眼より先に、その頭が厄介だな」
「お褒めに与りますわ」
* * *
ファルツェンは交易路の要衝だった。
荷馬車が行き交う石造りの宿場町。ルシアンは旅商人の装いに着替えていた。黒の外套を地味な茶色に替え、碧眼を伏せている。
リーナも簡素なドレスに着替えていた。銀髪を三つ編みにまとめ、帽子の下に隠している。
「目標は、倉庫街の第七区画だ。密輸品の積み替えが行われているという情報がある」
ルシアンが低い声で言った。リーナは頷いた。
倉庫街は町の東端にあった。夕暮れの薄い光の中、積み上げられた木箱と樽の列が影を落としている。人通りは少ない。
第七区画の倉庫の前に、二人の男が立っていた。商人風の太った男と、護衛らしき痩せた男。荷馬車が一台、倉庫の横に停まっている。
リーナは物陰から鑑譜眼を発動した。瞳が金色に変わる。
太った商人の核紋から旋律が聴こえた。
不協和音。三つ。
積み荷の中身についての嘘。出荷元の偽装。そして、取引相手の名を隠している旋律。
「あの商人、積み荷の中身を偽っていますわ。出荷元も偽装しています。それから、取引相手の名前を意図的に隠していますの」
リーナが囁く。ルシアンが顎を引いた。
「行くぞ」
ルシアンが物陰から歩み出た。旅商人の穏やかな笑みを浮かべている。
「失礼。この区画で荷物を預けたいんだが、空きはあるか?」
太った商人が顔を上げた。愛想笑い。
「あいにく、ここは契約済みの区画でしてな。別の倉庫を当たってくだされ」
嘘だった。リーナの鑑譜眼に、明確な不協和音が鳴っている。この区画は契約済みではない。隠している。
ルシアンがさらに一歩踏み込んだ。
「そうか。それは残念だ。ところで、その荷馬車の中身は何かな。随分と厳重に封をしているが」
商人の表情が変わった。愛想笑いが消え、目つきが鋭くなる。
「あんた、何者だ」
「荷を改めさせてもらう」
ルシアンの声から旅商人の柔らかさが消えた。同時に、彼の影が不自然に伸びた。
護衛の痩せた男が剣に手をかけた。だがその瞬間、ルシアンの足元から闇が広がった。黒い霧のような影が地面を這い、護衛の足首に絡みつく。
「動くな」
ルシアンの声は静かだった。だがその声に込められた力は圧倒的だった。闇属性A級。影が護衛の全身を拘束し、太った商人も腰が抜けて座り込んだ。
「ひっ、闇属性……!?」
「騒ぐな。質問に答えろ」
リーナが歩み出た。商人の前にしゃがみ込み、瞳を金色に光らせたまま問いかける。
「この荷馬車の中身を教えてくださる? 嘘をつかれても、わたしの耳には筒抜けですのよ」
商人の唇が震えた。リーナの金色の瞳が、夕暮れの影の中で淡く光っている。
「ま、魔導具だ……。禁制品の魔導具を東部へ流している……」
「出荷元は?」
「エーデルシュタイン家の……魔導院から流出した品だ。うちが中間で引き受けて、東部の闇市に流す」
リーナの鑑譜眼が、商人の言葉を確認した。不協和音がない。本当のことを言っている。
エーデルシュタイン家の魔導具が、密輸ルートに。
リーナは立ち上がった。荷馬車の幌を開ける。木箱が五つ。蓋を外すと、布に包まれた魔導具が並んでいた。小型の結界石、魔力増幅器、禁制の呪術触媒。
リーナが結界石に鑑譜眼を向けると、製造元の旋律が聴こえた。エーデルシュタイン家の魔導院の刻印。間違いない。
「証拠は十分だ」
ルシアンが影の拘束を解いた。商人と護衛をシュヴァルツベルク家の部下に引き渡し、魔導具を押収した。
* * *
帝都への帰り道。馬車の中で、ルシアンが珍しく沈黙していた。
「お前を危険に巻き込んだ」
ルシアンが口を開いた。碧眼が、窓の外の暗闇を見ている。
「次はない」
「次も参りますわ」
リーナは即座に返した。ルシアンが振り向いた。
「わたしの鑑譜眼がなければ、旋律の裏は読めないでしょう? 商人の嘘を暴くのも、魔導具の出所を確認するのも、この目がなければ時間がかかる」
「それとこれは別だ」
「別ではありませんわ。わたしは利用されているだけの人間ではなくなりましたの。自分の意志で、この嘘を暴きに行っています」
ルシアンが唇を引き結んだ。何か言いかけて、飲み込んだ。それから、低い声で呟いた。
「……面倒な女だ」
「その台詞、もう三回目ですわ」
「何度でも言う。お前が危険な場所に出てくるたびに言う」
馬車が揺れた。ルシアンが外套の襟を直す仕草で、わずかに顔を背けた。沈黙が落ちる。星明かりが窓から差し込み、ルシアンの横顔を淡く照らしていた。
だがあの影の中に、嘘はなかった。ルシアンの旋律は闇の中でこそ澄んでいた。
「エーデルシュタイン家の魔導具が密輸ルートに」
リーナは呟いた。
「フローラの家は、表も裏も嘘で塗り固められている。もっと大きな嘘が、この先にある気がしますの」
ルシアンは答えなかった。だが碧眼が、リーナの横顔を見ている。その視線に言葉はなかったが、リーナの鑑譜眼には聴こえていた。同意の旋律。そしてその下に、もう一つの音。名前のつけようのない、静かで深い音色。
馬車の車輪が石畳を踏む音が、夜の交易路に響いていた。




