第21話:里の新農地開拓! 勇者アリア、神速の田植えで泥だらけになる
魔王討伐という激動の時代を経て、隠れ里『聖母の箱庭』は今、かつてないほどに「食欲」に満ちた平和を享受していた。
夕食後。サツキは縁側で家計簿を広げながら、ふと、遠い空を見上げて小さく溜息をついた。その手元には、第20話で撮影した「家族の肖像」が、温かい光を放って置かれている。
「あらあら、どうしたのママ。元気ない?」
サツキの膝の上を独占していたシロが、心配そうに鼻先を押し当ててきた。アリアも、脱ぎっぱなしの靴下をサツキに片付けられながら、慌てて身を乗り出す。
「ママ、具合が悪いの!? 今すぐ魔導医を……それとも、世界中から滋養強壮にいい魔物の肉を獲ってこようか!?」
「ふふ、違うわよ、アリアちゃん。……ただね、里のお野菜も美味しいけれど、ふと懐かしくなっちゃって。……炊きたての、真っ白くて、つやつやした『お米』が食べたいわねぇって」
サツキのその一言は、隠れ里に駐屯する全戦力にとって、魔王軍の宣戦布告よりも重く、切実な「至上命令」として響き渡った。
「「「お米っ!!」」」
翌朝。里の低地には、凄まじい地響きと共に土煙が舞い上がっていた。
外郭ガードを担当するエリート騎士たちが、休暇を返上して総出で「開墾」に励んでいたのである。
「サツキ殿の願いだ! 今日中に、この荒れ地を大陸最高の棚田へと造り変えるぞ!」
「土木作業も騎士の誉れ! 泥にまみれることこそ、真の忠誠なり!」
騎士たちが聖剣や槍を「鍬」や「シャベル」に持ち替え、地形そのものを書き換えていく。ルナが精密な魔力制御で山頂から清らかな雪解け水を誘導し、セシルが「豊穣の祈り」を捧げることで、一晩にしてそこには美しい水田が出現した。
「あらあら、みんな手際がいいわねぇ。……よし、今日はみんなで『田植え』をしましょうか!」
サツキが用意したのは、里の市場で仕入れた青々とした苗。
サツキは裾をまくり、泥の中に一歩踏み出した。
「いい、みんな。苗は三、四本ずつ取って、土の中に優しく、しっかりと植えるのよ。……アリアちゃん、そんなに勢いよくやったらダメよ?」
「分かってるって、ママ! 見てて、私の剣技(田植えバージョン)を! 名付けて『神速・一等苗植え』!!」
アリアが、普段は音速を超える剣閃を放つその脚力と腕力を、苗を植える動作へと全振りした。
シュパパパパッ! という残像を伴う動きで、アリアの背後には瞬く間に等間隔で整列した苗の列が完成していく。
「ママ、見て! 私、世界一の田植え職人になれるかも――わわっ!?」
調子に乗ったアリアの足元が、ヌルリと滑った。
里の肥沃な泥(セシルの浄化済み)は、予想以上に滑らかだったのだ。
ドッシャァアアアン!!
派手な音と共に、アリアは頭から田んぼの中へとダイブした。
黄金の髪も、お気に入りの部屋着も、一瞬にして真っ黒な泥に染まる。
(きゅう、きゅうっ。……ふふん、お姉ちゃん、泥の塊になっちゃって。ママに『お行儀が悪い』って叱られるよーだ)
シロが縁側の安全な場所から、満足げに鼻を鳴らす。
「……ふぇぇ、ママぁ……。……ドロドロになっちゃったよぉ……。……目も開かないよぉ……」
泥まみれのまま、アリアが半べそをかいて田んぼから這い出してくる。
それを見たサツキは、怒るどころか、噴き出すように笑った。
「あらあら、アリアちゃん! 本当に、泥遊びをする子供みたいねぇ。……ほら、こっちに来なさい。風邪を引いちゃう前に、洗ってあげるから」
サツキは庭の魔導水路(ホースのような蛇口)をひねり、勢いよく水を噴射させた。
「はい、じっとしててね」
「ひゃああっ! 冷たいっ! ママ、冷たいよぉ! ……あはは、でも、気持ちいい……!」
サツキの手が、アリアの髪についた泥を優しく落としていく。
ホースの水に打たれながら、サツキにゴシゴシと頭を洗ってもらう感覚。
アリアは、冷たいはずの水の中に、言葉にできないほどの温もりを感じていた。
それを見ていたルナとセシルが、互いに顔を見合わせた。
「……計算、……完了。……泥に、……まみれる、……デメリット、……一。……ママに、……洗ってもらう、……メリット、……無限大」
「ルナさん、珍しく意見が合いますわね。……お母様! 私も、足元が滑って……ああっ、わざとではありませんわ! わざとではありませんわよぉ!」
セシルが棒読みで叫びながら、自ら華麗に泥の中へ転がり込んだ。ルナも無表情のまま、トボトボと泥の深い場所へと歩いていき、静かに顔から倒れ伏した。
「あらあら! 二人まで! もう、みんなおてんばなんだから!」
結局、最強の勇者パーティー全員が泥だらけになり、庭先でサツキによる「一斉丸洗い」を受けることになった。
「はいはい、次はルナちゃんね。お耳の中に水が入らないように気をつけて。セシルちゃんは、そんなに聖歌を歌いながら洗われても、泡が飛ぶだけよ」
伝説の英雄たちが、庭先でバケツの水を被り、ママに追い立てられるようにしてお風呂へ向かう。
その背中を見送りながら、サツキは腰を叩いて笑った。
「ふふ、これで秋には美味しい新米のおむすびが食べられるわね。……楽しみだわ、シロちゃん」
(きゅう。……まぁ、泥んこ遊びもたまにはいいんじゃない? ……でも、新米の最初の一口は、僕のものだからね!)
シロがサツキの肩に飛び乗り、満足げに喉を鳴らす。
里を包むのは、夕暮れの穏やかな光と、お風呂場から聞こえる娘たちの楽しげな笑い声。
隠れ里『聖母の箱庭』に、新たな実りの予感が根付いた、賑やかな一日の終わりであった。




