24.「叙任式と安村班」
明けて翌日、昨日の悩みなど嘘のように、近年自分の中で類を見ないほど唐突に安村は目覚めた。
頭の中を何かが駆け巡る感覚というのだろうか。
こういう日は良くも悪くも何か起こるものだ、と思いながら少年のようにわくわくしている自分をどこかに見つけ、安村は自分の頬を軽く叩いた。
それからいつもと同じように、コンビニで買っておいた菓子パンと牛乳を流し込み、洗面所の水でちゃちゃっと髪を直し、シワまみれのスーツに着替え、歯を磨き、家を出る。
15分ほど歩いたのち、駅構内に流れる変な音楽、かつてファンだった「彼」のスピーチに辟易としながら電車に乗った。
前の駅がかなり栄えていて、大きな住宅街もあることもあってか、平日のこの時間に座れたことは一度もない。
少し前までは全てがどうでもよく、車内で自分の周りなど見てもいなかったが、よく見ると車内のモニターには駅と同じ「彼」のスピーチが流れているし、座ったり立ったりしている乗客の中には、もうとっくに何度も見ているだろうに、モニターの中の「彼」を食い入るように眺めたり、その言葉に合わせて頷いているものもいる。
さすがにそんな狂信者のような奴は少数だろうとさらに周りを見渡すと、モニターを見ていない普通の女子高生や、サラリーマンまでもが携帯の裏に「彼」や内閣の集合写真、党のマークのシールを貼っている。
なぜ今までこの異常さに俺は気付かなかったのか。
それとも気付いていてあえて目をそらしていたのだろうか。
安村は背中にぞわぞわとした恐怖にも悪寒にも似た何かを感じ、目的の駅に着くと逃げ去るように電車を降りた。
駅から少し歩いて警察署に入り、目的地を目指していると、その廊下の途中で見たことのある背中が目に入る。
「おい、山辺。そんなとこで突っ立ってると通行の妨げだぞ。」
そう言われると山辺は無言でこちらを振り向いた。
その顔が昨日電話口の向こう側で想像していたのと全く同じ顔で思わず吹き出しそうになるのを安村は必死に耐え抜いた。
「今日の朝っぱらから電話が来た。10時から叙任式があるらしい。あいつら俺たちに面倒押し付ける気満々だぜ、やっさん。」
安村は面食らった。
警察長官や警視総監でもないのに、叙任式なんてかつて聞いたことがなかった。
たかだかといったら申し訳ないだろうが、ひとつの殺人事件の捜査班の中の、さらに警部が3人、巡査部長2人の小さな班だ。
それを特に昇任なのかもわからない、わけのわからない役職につけるだけで叙任式なんて大袈裟なことを普通するだろうか。
この組織のことを一応わかっているつもりだが、今回のことはわからないことだらけだ。
そして山辺の次の言葉でさらに驚かされることになる。
「それだけじゃない、そこいら見てみろよ、みんな遠巻きに俺たちのこと見てやがる。なんせ軍部大臣と警察庁長官もお出ましになるって噂だぜ。大仰なことこの上ねえよ本当、いい加減にしてほしいぜ。」
安村は驚きを通り越して少し笑ってしまった。
イレギュラー中のイレギュラーだ、狸と狐まで出てきやがった、ここまでくるともう何があるかわからない。
もう腹を括ってしまおう、もしこれで自分の警官生命が終わったとしたって、それに相応しい事件に思う。
午前10時、5分前。山辺、安村、大里、岡崎、新内の5人はおそらく要人と話す際に使われるような、応接間のような大部屋に集められた。
長年いるがこんな部屋があったのを安村は初めて知った。
それよりも、大里や山辺が来るのはわかっていたことだが、岡崎はともかく、新内が叙任を辞退しなかったことが安村は意外だった。
この前の安村との小競り合いは別にしても、リスクを自らとりにいくタイプだとは思っていなかった。
直接聞いて確かめてみようかとも思ったが、ただ突然、なんで来たんだ、というのもどこか違う気がして安村は口を噤んだ。
「新人巡査じゃあるまいし、キョロキョロするなよ、やっさん。お偉いさんのお出ましだぜ。」
大里は小声でそう言うと、顎で小さく足音がする方のドアを指した。
新内と岡崎はさすがに緊張したような面持ちをしている。
まもなくドアが開く音がして、先導に少し太った男と、明らかに普通とは違う雰囲気を守った出立ちの男女、その後ろにフクロウのような印象の、ガリガリに痩せた背の高いメガネの男の4人が部屋に入った。
その後に少し離れて、軍隊のような大量の足音がついてきて、部屋の前で止まった。
前に立っている太った男が取り繕ったような笑顔で話し始める。
「山辺課長警部、以下4人の方々、この度はおめでとう。お前たちのために異例の叙任式が行われる。中島長官はじめ、我々が出向くのは異例中の異例。心して臨むがいい。」
明らかに居丈高な男の発言に、安村は少しむっとしたが、両脇の山辺と大里が男を睨みつけるのを見て少し我に帰る。
「聞いた通り野良犬のような連中だ、中島長官、さっさと終わらせましょう、こんな茶番。」
先ほどの男がスーツの女性の方を向き直りそう言う。
女の方を見てみると、まだ30代半ばだろうか。
最近政権とともに長官が変わって、異例の若さでしかも女性だと聞いていたが、思いのほか美人ではある。
しかし明らかに気の強そうな顔つきと、鋭い眼光を備えていた。
共にいる2人の男も、眼鏡の方はクソ真面目な官僚かと思ったがよく見ると捉えどころのなさそうな男で、興味のなさそうな視線を安村の後ろの壁に向けている。
もう1人の筋骨隆々とした男も観察しようとしたが、そこから溢れ出ている殺気に、安村は目を合わせることもできなかった。
その男が目をギラギラさせたまま唐突に口を開く。
「中島ちゃんよぉ、これは叙任式なんだよな?俺が間違ってるか?」
ちゃん付けで呼ばれた警察長官が余裕ありげに笑みを浮かべながら返答する。
「ええ、その認識で間違いありませんよ。松山大将軍。」
「学のない俺でもわかるがよ、そうだとしたらお前のとこの部下、無礼すぎるんじゃねえのか?あぁ?」
先ほど偉そうに喋っていた小太りの男がわかりやすく震え上がり、中島の方に目線で助けを求める。
「えぇ、間違いありませんね。細淵警視総監、慎みなさい。」
中島はそう言うと、こちらを向き直り、貼り付けたような冷たい笑顔で言った。
「まずは山辺順課長警部、安村誠警部、大里修警部、岡崎麗巡査部長、新内一巡査部長。この度は旧王家関連事件特別捜査官の特命を受けてくださってありがとうございます。謹んでお礼申し上げます。」
そういうと一人一人の目を数秒ずつ順に見つめた後、こう続けた。
「皆さまが「彼」と呼ばれる我が国のリーダーは、国を一つにまとめようと尽力されております。しかし、大きな声では言えませんが、現在旧王家や旧第一党の政治家、また一部の官僚や軍部の者たちなどが反乱分子になりかねない状況です。」
そう言うと、次は安村だけの方をじっと見つめる。
「もちろん何もされないのが一番いいに決まっていますが、万が一のために抑止力に。もし何かが起こってしまった場合には逮捕していただきたいと考え、優秀な刑事を厳選して任命致しました。そのため、本日は不肖私、警察長官の中島、警視総監の細淵に加え、井上軍部大臣、松山大将軍にも立ち会っていただこうと思いご足労願いました。」
そういうと中島は安村から視線を外し、松山の方を見つめた。
松山だと。
その名前に自分も、他の4人も同時に息を呑むのを感じた。
松山冷夏。
現政権になるずっと前、この20年近くずっと東阿国トップの将軍として国中に名を轟かせている男である。
軍部大臣の経験こそないものの、それは本人が煩わしいのが嫌で拒否し続けているとも言われている。
まず、何よりこの国の軍部の花形であり、入れ替わりの激しい"東阿五将"の筆頭である大将軍の地位に就任から大戦後の守護神として君臨し続けている、名実ともに東阿国最強の男である。
メディアに出ることはほとんどないため安村たちも気づかなかったが、この男の放つ静かだが夥しい殺気にも説明がついた。
「俺が松山だ、この度はおめでとう……あぁ、俺こういうかしこまってるとこでなに喋っていいかよくわからねえわ、井上、あと頼むわ。」
松山はぶっきらぼうにそう言うと、井上の方を睨みつける。
それに対し、井上は特に動じる様子もなく軽く頷くと松山から引き継ぐ。
「中島警察長官共々、就任したばかりで知られていないとは思いますが、軍部大臣の井上と申します。以降お見知り起きを。この度は皆さん任務を快諾してくださってありがとうございます。」
表情どころか目線や口角すら全く動かさずに井上はそう早口で言い切る。
ひ弱そうだがどこか凄みのある男、と言う感じだった。
そしてこういう男は最も危険な犯罪者たりうるタイプだ、と安村は思った。
「あれ、次は俺か?俺が逆に着任から二十数年、ロートルの万年大将軍、松山冷夏だ。この度は長ったらしい名前の最前線の役職へようこそ。精々使い捨てられずに生還してくれ。」
安村たちがぎょっとするのと同時に、先ほどまで縮こまっていた細淵が慌てて口を開く。
「ま、松山さん、我々警察組織は誰かを使い捨てなぞにする気はない。」
「本当のことを言ったらいけねえのか、ハリボテ大将。お前も精々気をつけることだ。現総裁も、中島ちゃんも、お前なんぞ守ってくれるかわからねえぜ。」
ニヤニヤしながら松山はそう言うと、細淵は顔から赤みが一気に引き、助けを求めるように再び中島の方へ目をやる。
この間も井上は全くの無表情である。
細淵の視線を感じ、小さなため息をついたあと、中島が話し始める。
「松山大将軍の仰る通り、最前線で危険な任務になる可能性があるのは確かです。軍部との協調が必要になる場面もあるかもしれません。山辺さんは警視正、安村さん、大里さんは警視、岡崎さん、新内さんは警部補へ昇進させます。そしてこれは長官の私の直属の組織になります。私たちとの連絡をしていただくトップは山辺さん、実働の班長は安村さんにお願いしたいと思います。それでは、優秀な皆さんの活躍をお祈りしています。」
中島は最後に安村のことを見つめると、ニヤリと笑った気がした。




