《第1章 第4話 記憶の風、そして誓い》
春の光が、教室の窓辺に差し込んでいた。
桐生ひよりは静かに筆を動かし、ノートに桜の花を描いていた。
その線はまるで、彼女の心の奥にある何かを映すように繊細だった。
隣の席に座る朋広は、その様子を見つめていた。
彼女の描く花びら一枚一枚が、
あの夜に見た桜霊の光に似ている気がしてならなかった。
「ひより、その花……」
声をかけると、彼女は小さく微笑んだ。
「これは、“記憶の花”って呼ばれてるの。
桜霊が宿る花びらの形をしてるんだって。」
その言葉に、朋広の胸がかすかに痛んだ。
“桜霊”――昨夜、夢の中で出会った存在。
まさか現実でもその名を聞くことになるとは思わなかった。
放課後、二人は学園裏の桜並木を歩いた。
風が吹くたびに花弁が揺れ、淡い光を反射する。
まるで時の流れが一瞬止まるようだった。
「……ねぇ、朋広くん。」
「ん?」
「人の記憶って、風に消えるのかな。」
「消えないと思う。誰かの心に残っている限りは。」
ひよりは少しだけ目を細めた。
「それなら、私のことも――残る?」
「当たり前だよ。」
その瞬間、ひよりの頬に光が差した。
桜の花弁が一枚、彼女の髪に留まっていた。
夜。
朋広は再び夢の中にいた。
目の前には、昼間と同じ桜並木――だが、すべてが光に包まれている。
風が吹くたびに、誰かの記憶の断片が流れてくる。
子どもの笑い声、泣き声、そして恋の誓い。
それらがひとつの旋律になり、彼の胸の奥で鳴り響いた。
その中に、ひよりの声があった。
――“私、忘れたくないの。あなたと見た風景を。”
「……ひより?」
振り向くと、光の中に彼女の姿が浮かんでいた。
現実よりも柔らかく、透き通るような微笑。
「桜霊が教えてくれたの。
この風は、過去と未来をつなぐんだって。」
朋広は歩み寄り、手を伸ばした。
だが、指先が触れた瞬間――彼女の姿が淡く揺らいだ。
「待って、消えないで。」
「大丈夫。私は消えないよ。
ただ、風に変わるだけ。」
桜の光が彼を包み込む。
風が頬を撫で、彼女の声が遠ざかる。
――“約束する。桜が再び咲く日、私はもう一度ここに来る。”
目を覚ますと、夜明けの光がカーテンを透かしていた。
窓辺には、ひよりの落としたペンが転がっていた。
そしてノートの端に、小さく書かれた文字。
――「また、春に。」




