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街ねこ司法書士、消えた土地の夢  作者: W732
第2章:肉球が指す微かな違和感
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2-4. 地面師の影

 翌朝、健太は慣れない作業着に身を包み、山下工務店の前に立っていた。足元には、いつも通りのんびりとした様子のミケが、ぴたりと寄り添っている。健太の心臓は、いつもより速く脈打っていた。再開発準備室への潜入。それは、司法書士の業務とはかけ離れた、まるで探偵のような行動だ。しかし、この街を守るためには、どんな危険も顧みない覚悟が健太にはあった。

「よし、佐々木先生。準備はいいかい?」

 山下氏が、年季の入った作業車を運転しながら声をかけてきた。山下氏もまた、作業着姿で、その顔には、どこか悪だくみをするような笑みが浮かんでいた。地元の顔役である彼が、健太の潜入に協力してくれるのは、心強い限りだ。

「はい、山下さん!準備万端です!」健太は、無理に明るい声を出した。

「ハハッ、緊張してるな。まあ、無理もない。だが、心配いらない。俺に任せておけば大丈夫だ」山下氏は、そう言って健太の肩を叩いた。

 ミケは、山下氏の足元に擦り寄ると、「ニャア」と一声鳴き、山下氏の作業車のタイヤを前足でチョン、と触った。

「おや?ミケちゃん、どうしたんだい?」山下氏は首を傾げた。

 健太もミケの行動に注目した。ミケは、山下氏の作業車のタイヤと、再開発準備室の方向を交互に見て、健太の顔を見上げている。

「もしかして、タイヤに何かあるのか?」健太は、山下氏の作業車のタイヤを調べてみたが、特に変わった様子はない。

 ミケは、健太の戸惑いをよそに、今度は作業車の後部座席に積まれた古びた工具箱を指し示した。

「工具箱か……?」健太は呟いた。なぜ、今、工具箱?

 ミケは、健太の問いには答えず、工具箱を指し示したまま、健太の顔をじっと見つめている。その瞳は、まるで「これを持って行け」とでも言っているかのようだ。

 山下氏は、工具箱を見て、苦笑した。「なんだ、ミケちゃん、これを持って行けってかい?これはただの使い古した工具箱だぞ」

 しかし、健太はミケのヒントを無視するわけにはいかなかった。これまでの経験から、ミケの行動には必ず意味があることを知っている。

「山下さん、もしよろしければ、この工具箱、私も持っていってもいいでしょうか?」健太は尋ねた。

「ああ、構わないが。そんなに重いものじゃないし、何なら使い方も教えてやるぞ。まあ、先生には必要ないだろうが」山下氏はそう言って、健太に工具箱を手渡した。

 健太は、工具箱を手に、山下氏の運転する作業車に乗り込んだ。車が再開発準備室へと向かう間、健太は工具箱をじっと見つめた。一体、この中に何が隠されているというのだろうか?

 再開発準備室の仮設事務所は、工事現場の片隅にひっそりと建っていた。周りには、工事用の柵が張り巡らされ、立ち入り禁止の看板が立てられている。一般の人間が容易に近づける場所ではない。

 山下氏は、慣れた手つきで車を仮設事務所の前に停めた。事務所の入り口には、いかにも厳重そうな警備員が立っている。健太の心臓が、さらに大きく脈打った。

 山下氏は、警備員に顔パスで挨拶を済ませると、健太を伴って中に入っていった。

「やあ、皆さん。打ち合わせの時間に伺いましたよ」

 事務所の中は、予想以上に広々としていた。壁には、再開発後の下町の巨大な模型が飾られ、会議室からは、NPO法人の職員たちが忙しなく動き回る姿が見える。健太は、顔を伏せ、見習いの職人を装って、山下氏の後ろを歩いた。工具箱を抱えているおかげで、不審がられることもない。

 健太は、周囲の様子を観察しながら、ミケが示した「地下駐車場の入り口」に関連する情報がないか、目を凝らした。しかし、目立った書類や図面は見当たらない。

 山下氏とNPO法人の職員との打ち合わせが始まった。健太は、その間、打ち合わせ室の隅で待機することになった。山下氏が、工事の進捗状況や資材の搬入について、NPO法人の職員と熱心に話している。

 健太は、その隙に、工具箱をゆっくりとデスクの上に置いた。そして、中からドライバーを一本取り出すふりをして、さりげなく周囲を見回した。

 NPO法人の職員たちは、健太の存在に気づくこともなく、自分たちの作業に没頭している。健太は、その隙に、棚の隙間や、机の引き出しの隙間から、何か手がかりがないかを探した。

 その時、健太の足元にいたミケが、ゆっくりと工具箱から顔を出し、事務所の奥にある、鍵のかかった扉に目を向けた。その扉には、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた札がぶら下がっている。

「関係者以外立ち入り禁止……」健太は呟いた。

 ミケは、その扉を指し示すかのように、健太の足元を何度もチョン、と叩いた。

 健太は、ミケの意図を察した。この扉の奥に、何か重要なものが隠されているに違いない。しかし、鍵がかかっている以上、開けることはできない。

 健太は、ミケに気づかれないように、その扉の周りの様子を観察した。すると、扉の横にある壁に、小さな換気扇が取り付けられていることに気づいた。その換気扇からは、微かに、土とカビのような匂いが漂っていた。

「土とカビの匂い……?」健太は首を傾げた。なぜ、こんなオフィスの中に、土の匂いがするのか?そして、なぜカビのような匂いがするのか?

 その時、ミケが、工具箱からさらに何かをくわえ出した。それは、健太が普段使っている、小さな虫眼鏡だった。

「虫眼鏡……?」健太は、ミケの行動に戸惑った。なぜ、今、虫眼鏡?

 ミケは、虫眼鏡をくわえたまま、健太の顔を見上げている。そして、その視線は、再び「関係者以外立ち入り禁止」の扉に向けられている。

 健太は、ミケが何を伝えようとしているのか、理解に苦しんだ。しかし、ミケがこれほどまでに執着するからには、何か意味があるはずだ。

 健太は、ミケがくわえてきた虫眼鏡を手に、換気扇に顔を近づけてみた。そして、その換気扇の隙間から、中の様子を覗き込もうとした。しかし、換気扇の羽が邪魔をして、奥の様子をはっきりと見ることはできない。

 健太は、諦めかけた。その時、ミケが、健太の足元にあった、小さな石ころを前足でチョン、と触った。それは、工事現場から転がってきたのだろうか。

「石ころ……?」

 ミケは、その石ころと、工具箱の中にあるハンマーを交互に見た。

「まさか……!?」健太は、ミケの意図に気づき、ハッとした。

 ミケは、健太が持ってきた工具箱の中に、小さなハンマーが入っていることを知っていたのだ。そして、そのハンマーを使って、換気扇のカバーを外すように促しているのだ。しかし、そんなことをすれば、すぐにバレてしまう。

 健太は、躊躇した。しかし、ミケの目は、健太に「やるんだ」と強く語りかけている。

 その時、健太の隣で打ち合わせをしていたNPO法人の職員が、急に立ち上がり、健太の近くにやってきた。

「おい、そこの君!ここで何をしているんだ!?」

 健太は、心臓が飛び跳ねる思いだった。バレた!

「あ、いえ……その……」健太は、しどろもどろになりながら、とっさに工具箱のドライバーを手に取った。「少し、工具の整理をしておりまして……」

 しかし、職員は、健太の言葉に耳を傾けることなく、健太の手元をじっと見ていた。彼の視線は、健太が持っている虫眼鏡に向けられている。

「その虫眼鏡、何に使うんだ?まさか、この事務所の中を盗み見ようとしているんじゃないだろうな?」職員は、鋭い眼光で健太を睨んだ。

 健太は、絶体絶命のピンチに陥った。弁解の余地もない。

 その時、健太の足元にいたミケが、突然、大きな声で「ニャアアアア!」と鳴いた。その声は、健太の耳には、まるで「逃げろ!」とでも叫んでいるように聞こえた。

 そして、ミケは、健太の工具箱の中にあった、小さな金属製の部品を、くわえ出した。それは、健太には見覚えのない部品だった。

 ミケは、その金属製の部品をくわえたまま、NPO法人の職員の足元にポトリと落とした。

 職員は、ミケの行動に気を取られ、足元に落ちた金属製の部品に目をやった。

「なんだ、これは?」

 その隙に、健太は素早く状況を判断した。このままでは、さらに追及される。

「失礼いたしました!」健太は、頭を下げると、工具箱を抱え、山下氏に目配せをして、そっと打ち合わせ室を後にしようとした。

 しかし、職員は、健太の行動を許さなかった。

「待て!君、何者だ!?」職員は、健太の腕を掴もうとした。

 その瞬間、ミケが、職員の足元に落ちていた金属製の部品を、素早くくわえ、再び健太の足元に持ってきた。そして、健太の作業着のポケットに、その部品を押し込むように促した。

 健太は、ミケの意図を理解した。これは、何か重要な手がかりなのだ。健太は、素早く部品をポケットにしまい込んだ。

 職員は、ミケの行動に再び気を取られている。その隙に、山下氏が、健太を庇うように前に出た。

「おいおい、何をしているんだ。うちの見習いが、何か粗相でもしたのかい?」

「いや、この男、妙な虫眼鏡で事務所の中を覗き込もうとしていたんだ!それに、猫まで連れてきて……」職員は、興奮した口調で山下氏に詰め寄った。

「ハハッ、それは誤解だよ。うちのミケは、珍しいもの好きでね。それに、見習いは、最近、目が悪くなってきてな。小さな部品を見るのに、虫眼鏡を使っていたんだ。作業中に落ちた部品でも探していたんだろう」

 山下氏は、巧みな話術で職員の追及をかわした。そして、健太の肩を叩き、「ほら、お前も謝れ」と促した。

 健太は、頭を下げた。「申し訳ありませんでした」

 職員は、釈然としない様子だったが、山下氏の顔を立ててか、それ以上追及することはなかった。

 健太は、冷や汗をかきながら、山下氏に続いて事務所を後にした。車に乗り込むと、健太は深く息を吐いた。

「山下さん、助かりました…」

「ハハッ、危なかったな。まったく、君は大胆だ。だが、収穫はあったのかい?」山下氏は、健太の顔を見た。

 健太は、自分のポケットから、ミケがくわえてきた金属製の部品を取り出した。それは、指先ほどの大きさの、錆びついた金属片だった。表面には、何かの文字のようなものが刻まれているが、錆びついていて読み取れない。そして、微かに、土とカビのような匂いがする。

「これは……」健太は呟いた。この匂いは、仮設事務所の換気扇から漂ってきた匂いと同じだ。

「なんだ、それは?工事現場から落ちてきた部品かい?」山下氏は、部品を見て首を傾げた。

 健太は、ミケに目をやった。ミケは、健太が持っている部品をじっと見つめている。そして、再び、その部品から漂う土の匂いを嗅ぐかのように、鼻をひくつかせた。

「山下さん、この部品は、あの仮設事務所の奥の扉の部屋から出てきたものだと思います。あの部屋からは、土とカビのような匂いがしていました」健太は言った。

 山下氏は、健太の言葉に顔色を変えた。

「なに?あの部屋から?あの部屋は、『地下の作業室』だ、と説明されていたはずだが……」

 健太は、山下氏の言葉にハッとした。

「地下の作業室……!」

 ミケは、健太と山下氏のやり取りを聞きながら、部品と、鈴木醸造の蔵の方向を交互に見ていた。その瞳は、何かを確信しているかのように輝いている。

 健太は、この錆びついた金属製の部品が、地面師詐欺の、あるいは、この再開発の裏に隠された、もう一つの闇を暴く重要な手がかりになることを確信した。

 彼らが本当に狙っているのは、鈴木醸造の「土地」そのものではなく、その「地下」に隠された何かだ。そして、その「地下」にあるものと、この金属製の部品に、何らかの関連があるはずだ。

「この部品……警察の鑑識に回してもらいましょう」健太は、力強く言った。

 山下氏は、健太の言葉に頷いた。「ああ、それがいい。私も、あの連中の悪事を暴く手伝いをさせてもらう」

 健太は、ミケに感謝の念を抱いた。ミケがいなければ、この決定的な手がかりを見つけることはできなかっただろう。

 事務所に戻った健太は、すぐに田中刑事に連絡を入れた。仮設事務所での潜入の経緯と、ミケが見つけた錆びた金属製の部品について説明した。田中刑事は、健太の行動に驚きながらも、その部品の重要性を理解し、すぐに鑑識に回すことを約束してくれた。

「佐々木先生、君の行動力には感心するが、くれぐれも無茶はするな。相手はプロの詐欺師だ。君の身に何かあっては大変だからな」田中刑事は、健太を心配する言葉をかけた。

「はい、ありがとうございます」健太は、田中刑事の忠告に感謝した。

 電話を切ると、健太は、ミケの頭を優しく撫でた。ミケは、健太の腕の中で、満足そうに喉を鳴らした。

 この錆びついた金属製の部品が、一体何を意味するのか。そして、鈴木醸造の地下に、一体何が隠されているのか。

 健太は、この事件の謎が、少しずつ、しかし確実に解き明かされつつあることを感じていた。そして、その核心には、ミケの小さな肉球が導いてくれた「微かな違和感」があったのだ。


【免責事項および作品に関するご案内】

 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名等はすべて架空のものです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。

 また、本作は物語を面白くするための演出として、現実の法律、司法書士制度、あるいはその他の専門分野における手続きや描写と異なる点が含まれる場合があります。 特に、司法書士の職域、権限、および物語内での行動には、現実の法令や倫理規定に沿わない表現が見受けられる可能性があります。

 これは、あくまでエンターテイメント作品としての表現上の都合によるものであり、現実の法制度や専門家の職務を正確に描写することを意図したものではありません。読者の皆様には、この点をご理解いただき、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます。

 現実の法律問題や手続きについては、必ず専門家にご相談ください。

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