2-3. もう一人の協力者
警察がNPO法人「ふるさと再生プロジェクト」の本格的な捜査に乗り出したことで、健太の心にわずかな安堵が広がった。しかし、地面師という巧妙な相手に対し、警察の動きは必ずしも迅速とは限らない。そして、彼らが次の手を打ってくる前に、自分たちでできることは全てやるべきだ。
健太は、橘弁護士と連絡を取り、警察が動き出したこと、そしてNPO法人に関する新たな証拠(活動報告の写真)について報告した。橘弁護士もまた、その証拠の重要性を認め、弁護士会を通じて警察との連携をさらに強化していくことを約束してくれた。
「佐々木先生、素晴らしい進展です。しかし、彼らは警察が動いていることを察知すれば、必ず警戒を強め、手口を変えてくるでしょう。我々も、情報収集の手を緩めるわけにはいきません」橘弁護士の声は、冷静でありながらも、強い決意を秘めていた。
「はい、承知しております。しかし、私一人では、やはり限界がありまして…」健太は正直に言った。
「その点については、私も手を打ちましょう。信頼できる調査会社に、NPO法人の実態調査を依頼します。彼らの資金源、過去の活動実績、そして裏にいる人物について、徹底的に洗い出してもらいます」
橘弁護士の言葉に、健太は驚き、そして感銘を受けた。やはり、プロフェッショナルは違う。自分の想像を超えるスケールで動いている。
電話を切った健太は、ミケに目をやった。ミケは、健太のデスクの隅で丸くなっているが、その目はいつも以上に輝いているように見えた。まるで、健太の心を読み取っているかのように。
「ミケ、どうしたんだ?何か言いたそうだな?」
ミケは、健太の言葉に「ニャア」と一声鳴くと、ゆっくりと立ち上がり、事務所の窓辺に向かった。そして、外の景色をじっと見つめている。その視線の先には、鈴木醸造の古びた蔵と、その手前に広がる再開発の工事現場が広がっていた。
健太は、ミケの視線を追った。工事現場では、今日も重機が大きな音を立てて土を掘り起こしている。そこには、真新しい高層マンションの建設予定地の看板が立てられている。
ミケは、窓の外をじっと見つめたまま、今度は、健太の目を見て、小さく「クゥン」と鳴いた。その声は、健太には「まだ何か足りない」とでも言っているように聞こえた。
「まだ何か……?」健太は首を傾げた。
ミケは、再び窓の外に視線を戻した。そして、その視線は、工事現場の一角にある、小さな仮設事務所に向けられていた。そこには、「再開発準備室」と書かれた看板が掲げられている。
「再開発準備室……?」
健太は、ミケの意図を測りかねた。なぜ、今、あそこを?
ミケは、健太の戸惑いをよそに、その仮設事務所を指し示すかのように、前足で窓ガラスをそっと叩いた。
健太は、ミケの行動に導かれるまま、その仮設事務所について考えてみた。再開発を推進するNPO法人「ふるさと再生プロジェクト」が、この仮設事務所を拠点にしている可能性は十分に考えられる。もしそうなら、そこには、地面師詐欺に関する決定的な証拠が隠されているかもしれない。
しかし、仮設事務所に潜入するなど、健太一人でできることではない。それに、不用意に近づけば、相手に警戒心を抱かせてしまうだけだ。
健太は、頭を抱えた。どうすれば、あの仮設事務所から情報を得られるだろうか?
その時、ミケが再び、健太のデスクの上に置いてあった、あるものを前足でチョン、と突いた。それは、健太が最近読んでいる、建築雑誌だった。
健太は、建築雑誌を手に取った。なぜ、今、これを?
ミケは、雑誌のページをめくるように、健太の手元をじっと見ている。健太は、ミケに促されるままに、雑誌をめくっていった。
すると、あるページに目が止まった。そこには、「下町の伝統建築を守る会」という特集記事が掲載されている。記事には、古き良き下町の建築物の魅力が紹介されており、その中で、鈴木醸造の蔵が、「歴史的価値の高い建造物」として写真付きで紹介されていた。
「鈴木醸造の蔵……」健太は呟いた。
記事には、「下町の伝統建築を守る会」の代表、山下氏のインタビューが掲載されている。山下氏は、地元の工務店を営む傍ら、古い建物の保存活動にも力を入れている人物だ。
ミケは、山下氏の顔写真に前足で触れた。
「ミケ、どうしたんだ?」
ミケは、山下氏の顔写真と、鈴木醸造の蔵の写真を交互に見て、健太の顔を見上げた。その瞳は、まるで「この人に聞け」とでも言っているかのようだ。
健太は、山下氏の名前を、これまで何度か耳にしたことがあった。彼は、地域のイベントにも積極的に参加している、顔の広い人物だ。もしかしたら、この山下氏なら、再開発に関する、より詳しい情報を持っているかもしれない。そして、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」についても、何か知っているかもしれない。
健太は、すぐに雑誌に掲載されていた山下氏の工務店の連絡先に電話をかけた。すると、山下氏本人が電話に出た。健太は、自分の名前と司法書士事務所名を名乗り、鈴木醸造の件で相談がある旨を伝えた。
山下氏は、健太からの電話に、少し驚いた様子だったが、快く面談に応じてくれた。
「鈴木醸造さんのことなら、私も気になっていたんだ。あのNPO法人の連中が、最近、やけに鈴木さんの家の周りをうろついていると聞いてね。何か裏があるんじゃないか、と勘ぐっていたんだ」
健太は、山下氏の言葉に、安堵した。やはり、山下氏もNPO法人に不審な目を向けていたのだ。
その日の午後、健太はミケを連れて、山下工務店の事務所を訪ねた。山下工務店の事務所は、木材の匂いがする、温かい雰囲気の場所だった。山下氏は、作業着姿で健太を迎え入れてくれた。
「佐々木先生、いらっしゃい。いやぁ、ミケちゃんは賢い猫だと評判だが、本当に頭がいいねぇ。まさか、うちまで連れてきてくれるとは」山下氏は、ミケの頭を優しく撫でた。ミケは、山下氏に警戒心を抱くことなく、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
健太は、山下氏に、鈴木正義の件、地面師の手口、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」が再開発を隠れ蓑にしていること、そして、銀行への不正融資を企てていることなど、これまでの調査で分かったことを全て話した。
山下氏は、健太の話を真剣な表情で聞いていた。彼の顔には、怒りと、そして、この下町への深い愛情が滲んでいた。
「まさか、そんな卑劣なことを……!あのNPO法人の連中、最初は良い顔ばかりしていたが、やはり信用できないと思っていたんだ」
山下氏は、憤りを露わにした。
「あの『ふるさと再生プロジェクト』の連中は、最近、しきりに住民たちに『再開発計画の早期承認』を呼びかけているんだ。そして、なぜか、再開発後の新しい街並みの絵図を、やけに細かく描いている。普通のNPO法人なら、そこまで踏み込まないはずなのに」
健太は、山下氏の言葉にハッとした。
「再開発後の街並みの絵図……?」
「ああ。それを住民説明会で配ったり、仮設事務所の壁に貼ったりしているんだ。それが、あまりに具体的で、まるで既に計画が決定しているかのように見せかけている。だが、実際には、まだ協議段階のはずなんだがねぇ」
健太の頭の中で、一つの疑問が湧き上がった。
もし、彼らが、単に土地を奪うだけでなく、「再開発計画自体を乗っ取ろうとしている」としたら?
地面師は、特定の土地を狙うことが多い。しかし、NPO法人を隠れ蓑にして、地域全体の再開発を推進する立場を装っているとなると、その狙いは、単なる個別の土地にとどまらない可能性が出てくる。
「山下さん、その再開発後の街並みの絵図を、詳しく見たことはありますか?」健太は尋ねた。
「ええ、もちろん。うちも地域の工務店だからね。住民説明会にも何度か顔を出したし、あの仮設事務所にも何度か足を運んだことがある」
山下氏は、そう言うと、立ち上がって棚の奥から、一枚の大きな図面を取り出した。それは、再開発後の下町の全体図だった。高層マンションが建ち並び、商業施設が誘致され、新しい道路が整備されている。そして、その中心には、鈴木醸造の土地が、駐車場と、小さな公園に変わっているように描かれていた。
健太は、その絵図を見て、愕然とした。やはり、彼らは鈴木醸造の土地を狙っている。
「先生、この絵図の中に、何か不審な点でも?」山下氏は尋ねた。
健太は、絵図を食い入るように見つめた。すると、ある場所に目が止まった。それは、再開発によって新設される予定の、地下駐車場の入り口だった。その入り口は、鈴木醸造の土地の、ちょうど裏手に位置している。
「山下さん、この地下駐車場の入り口は……」健太は、指でその場所を指し示した。
「ああ、ここかい?この再開発計画で、新たに掘られることになっているんだ。交通の便を良くするためだと説明されていたがね」
健太は、脳裏に一つの可能性が閃いた。
もし、地面師たちが狙っているのが、単に鈴木醸造の「土地」そのものではなく、その土地の「地下」にあるものだとしたら?
例えば、再開発の裏で、その地下に何か価値のあるもの、あるいは、彼らにとって都合の良いものが隠されているとしたら?地下駐車場という名目で、それを手に入れようとしているのではないか?
ミケは、健太がその地下駐車場の入り口を指し示すと、絵図に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。そして、その場所を、前足でそっと触った。
「ミケ、どうしたんだ?」
ミケは、その場所を指さしたまま、健太の顔を見上げた。そして、何かを伝えようとするかのように、何度もその場所を指し示した。
山下氏は、ミケの行動を不思議そうに見つめていた。
「ミケちゃん、何か気になる場所でもあるのかい?」
健太は、ミケの行動に、何か重要なヒントが隠されていることを感じた。しかし、それが何なのか、まだ分からない。
「山下さん、この地下駐車場の計画について、もう少し詳しく教えていただけませんか?例えば、地下何階建てになるのかとか、他にどんな施設が地下に作られる予定なのかとか……」健太は尋ねた。
山下氏は、少し首を傾げながらも、丁寧に説明してくれた。
「詳しい計画図は、まだ公表されていないんだが、説明会では、地下二階建てで、駐車場以外にも、災害時の備蓄倉庫が作られる、と説明されていたな」
地下二階建て。災害時の備蓄倉庫。
健太の頭の中で、バラバラのピースが再び繋がり始めた。
もし、彼らが狙っているのが、地下の「何か」だとしたら、それは何だろう?
ミケは、その地下駐車場の入り口と、鈴木醸造の蔵の場所を、交互に指し示した。
「蔵の地下……?」健太は呟いた。
鈴木醸造の蔵は、この下町でも最も古い建造物の一つだ。その地下には、古くからの言い伝えや、何か隠された秘密があるのかもしれない。あるいは、地面師たちは、その「地下」に、何か違法なものを隠そうとしているのではないか?
「山下さん、もし差し支えなければ、この再開発準備室の仮設事務所に、少しだけ潜入してみたいのですが……。中の様子を見てみたいのです」健太は、思い切って山下氏に頼んでみた。
山下氏は、健太の言葉に驚いた表情を見せた。
「それは…危険ではないかい?彼らは、かなり胡散臭い連中だ。もし君が司法書士だとバレたら、何をされるか…」
「分かっています。ですが、あの仮設事務所の中に、この地面師詐欺の核心を暴く手がかりが隠されているような気がするのです。もし、NPO法人が、この再開発計画自体を乗っ取ろうとしているなら、その証拠は必ずそこにあります」健太は、強い決意を込めて言った。
山下氏は、健太の真剣な眼差しを見て、しばらく考えていた。そして、やがて、深く息を吐き、口を開いた。
「……分かった。君の覚悟、しかと受け止めた。だが、一人で行くのは危険だ。私に、何かできることはないか?」
健太は、山下氏の言葉に、希望を見出した。山下氏は、地元の顔役であり、工務店を営んでいることから、再開発準備室にも顔が利くはずだ。
「山下さん、もし差し支えなければ、あなたにご協力いただきたいのです。あなたが、工事の打ち合わせか何かで、仮設事務所を訪れる際に、私も同行させていただくことはできませんでしょうか?私は、あなたの事務所の者として、あるいは、見習いの職人として、同行させていただければ……」
山下氏は、健太の提案に、ニヤリと笑った。
「なるほど、見習いの職人か。それは面白い。よし、分かった。私も、あの連中がこの街で好き勝手やっているのが気に食わなかったところだ。一肌脱がせてもらおうじゃないか」
健太は、山下氏の協力に、心から感謝した。これで、仮設事務所への潜入が可能になる。
ミケは、健太と山下氏のやり取りをじっと見ていた。そして、健太が仮設事務所への潜入を決意すると、満足そうに「ニャア」と一声鳴いた。その瞳は、まるで、健太の進むべき道を、常に照らしているかのようだった。
山下氏は、すぐに再開発準備室に電話をかけ、打ち合わせのアポイントを取った。そして、健太に、作業着を準備するよう指示した。
「よし、佐々木先生。明日の朝一番だ。君には、私の見習いの職人として、しっかり働いてもらうぞ」山下氏は、そう言って、健太の肩を叩いた。
健太は、山下氏の力強い言葉に、勇気を得た。この街の未来のため、そして鈴木正義さんの大切な土地を守るため、何としてもこの地面師詐欺の闇を暴いてみせる。
その夜、健太は、明日の潜入に備えて、入念に準備を進めた。そして、ミケの頭を優しく撫でた。
「ミケ、明日も頼むぞ」
ミケは、健太の言葉に答えるように、健太の腕の中で、静かに目を閉じた。
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これは、あくまでエンターテイメント作品としての表現上の都合によるものであり、現実の法制度や専門家の職務を正確に描写することを意図したものではありません。読者の皆様には、この点をご理解いただき、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます。
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