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決断(1)

 

「実はね、」


 日曜日の昼過ぎ、公園を散歩しながら、わたしは妻に告げた。


「作家になろうと思うんだ」


 えっ、というような感じで妻が立ち止まった。

〈急に何を言い出すの〉というような表情を浮かべていた。


「小説を書こうと思っている」


「でも、小説って言ったって……」


「うん。一度も書いたことがない」


 だったらどうして、というような目でわたしを見た。


「支社長通信をやっていた時、とても楽しかった。発信したことに対して多くの人が反応してくれたし、『毎回楽しみにしています』という返信を貰うと嬉しくてたまらなかった。だから最終回を迎えた時はかなり落ち込んだ。通販の中止と支社長解任が重なったから余計辛かった。でもね、最終回に対する返信がわたしを救ってくれたんだ。メルマガをいつも楽しみにしているというお客様から、『またいつかどこかで三木田支社長様のエッセイを読みたいです。読めますよね。エッセイではなくても、例えば小説かもしれませんが、必ずまた三木田支社長様の文章を拝見する時が来ると信じています』というメールをいただいたんだ。それをこの前思い出したら、居ても立ってもいられなくなった。なれるかどうかはわからないけど、挑戦してみるのも悪くないと思った。だから、これからの5年間を作家になるための準備期間にしようと思うんだ。どうかな?」


 妻から返事はなかった。

 どう答えようか考えているようだった。

 でも、その沈黙が嫌だった。

 だから、まだ頭の中できちんと整理できていなかったが、言葉を探りながら話を続けた。


「今の会社を辞めて違う会社で働くという選択肢もあるよね。だけど、それって結局一緒なんだよね。サラリーマンを辞めたあともサラリーマン。それってどうかなって。結局同じことの繰り返しじゃないかなって思うんだ。会社が変わっても、組織に使われ、組織に翻弄(ほんろう)され、組織に捨てられる、それが繰り返されるだけなんじゃないかなって。だから、思い切り変えるのも悪くないと思うようになったんだ。なんて言うんだっけ、あれ」


 ある言葉を思い出そうとして脳に喝を入れた。


「あれだよ、あれ。1年に2回同じものを作るやつ」


「二期作?」


「そう、それ。二期作。サラリーマンを辞めたあともサラリーマンって、サラリーマンの二期作だよね」


 わたしが何を言いたいのか妻はわかったようだったが、それを口にすることなく、話の続きを待ってくれた。


「二毛作に挑戦したいんだ。サラリーマン卒業したら作家になりたい」


 妻は一瞬呆れたような顔をした。

〈なんて子供じみたことを〉というような表情だった。 

 それを見た途端、不意に常務や人事部長、そして後任の支社長の顔が思い浮かんだ。

 すると、胸の中に溜まり続けていたマグマが噴火するように口から飛び出した。


「使われる側から卒業したいんだ! 誰からも給料を貰いたくないんだ! 誰にも人生を支配されたくないんだ!」


 妻の顔が強ばったが、何も言い返してはこなかった。


「常務を殴りつける夢をよく見るんだ。人事部長に唾を吐く夢をよく見るんだ。後任の支社長の胸ぐらをつかむ夢をよく見るんだ。毎晩毎晩あの三人と対峙している夢を見るんだ。夜中に目が覚める度にチクショ―と叫びたくなるんだ!」


 すれ違った女性がびっくりしたような表情でわたしを見た。

 かなり大きな声を出していたのだろう。

 声を潜めなければと一瞬思ったが、それを実行に移すことはできなかった。

 マグマはまだ胸の中に残っていた。

 これを全部吐き出さない限り、気を静めることはできない。


「本当は社長を殴り倒したいんだ。わたしを降格させただけでなく、常務や人事部長を操って酷い仕打ちをするワンマンのクソジジイをぶちのめしたいんだ」


 前から歩いてきた小さな女の子がギョッとしたような様子で母親の後ろに隠れた。

 それを見たのか、妻はわたしのシャツの袖を引っ張り、口に右手の人差し指を当てた。

〈子供が恐れるような怖い顔で怖い声を出さないで〉というような表情だった。


「興奮して悪かった」


 謝ると、妻は首を横に振った。

 責める様子は微塵も感じられなかった。

〈落ち着いて〉と伝えたかっただけのようだった。

 わたしは気を落ち着かせるために深呼吸をして、言葉を継いだ。


「トラウマというのかな、よくわからないけど、心にナイフが刺さっているような気がするんだ」


 歩きながら前だけを向いて話を続けた。


「そのナイフを抜くためには、今とは違う生活が必要なんだよ」


「それが作家?」


 やっと妻が口を開いた。

 わたしは頷いて、前を向いたまま続けた。


「そう、作家。そして、個人事業主。それが新しい生活」


「そう……」


「そう」


 それ以上話す言葉は残っていなかった。

 妻も口を開かなかった。

 それからあとは無言で公園を歩き続けた。



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